第3章 ②『アルバイター、シャロ』


「ねえねえ幸介くん」


 入店から約一時間。やけにおとなしかったシャロがちょいちょいと手招きをしながら俺の名前を呼ぶ。ちらほらと客足も増えていたが対応もおおかた終えて落ち着いたところだったので、仕方なく向かう。かまってやれなかったから、少しくらい相手してやってもいいだろう。


「ちょっと忙しそうだね?」


「まあ、ちょっとお客さんも増えたからな。それでも全然何とかなるはなるけど。なんだ、気を遣って一人で帰るのか?」


 俺の自転車の後ろに乗ってきたシャロは、考えてみれば帰る足がない。電車に乗って帰るにしても駅まで少し距離はあるし、徒歩で帰るには少ししんどい。タクシーに乗る金など持っていないだろうし、自転車には乗れないし。言ってはみたが帰る術を持っていないな。


「そうじゃないよ、手伝ってあげよっか?」


 うきうきした様子だった。うきうき、というよりはもしかしたらうずうずだったのかもしれない。まあ今でこそニートのプーさんだが、以前は熱心なバイト少女だ。こういう光景を目の当たりにすれば助けたいとでも思うのかもしれない。


「好意は受け取っておくけど、客だしなお前。それにそこまでの忙しさでもねえよ。現に今こうして喋ってるわけだし」


 俺がそう返すとシャロはむーっと顔をしかめる。思い通りにいかないことが不満でならないようで、俺もシャロがただ手伝いをするだけの為に提案してきたとは思い難かった。


「じゃあ仕方ない。それは諦めて一つお願いがあるんだよ幸介くん」


「なんだ?」


 いつにもなく真剣な顔。さっきのメニュー表とにらめっこしているときと同じくらいにマジ顔だったのだが、こいつのこういう顔はあまり良い結果をもたらさないような気がする。


「マスターにわたしを紹介して。具体的に言うとわたしをここで働かせてもらえるように掛け合ってきて!」


 お願い! と手を合わせて迫真のおねだりを見せるシャロだった。頭を下げてひたすらにお願いを連呼する。される度にだんだんとふざけているように思えてきたが、雰囲気は比較的真面目。バイトも出来ずに困っているのだろう、一人暮らしだと言っていたしお金がないと不便だろう。ここは時給がいいわけではないので、その点でいくとおすすめはしないが繋ぎとしてならアリか。


「分かったよ。でも、言うだけだからな。無理なら諦めろよ?」


「もちのろんだよ!」


 親指を立ててそんなことを言う。どこでそんな言葉覚えたんだよ。


 シャロの元を離れて奈々絵さんのところに戻る。全ての調理を終えた奈々絵さんは厨房でパンケーキのつまみ食いの最中だった。俺が来ても食べる手を止めない。どころか、お前も一枚食うか? と差し出してきたまである。しっかりと美味しいから困るぜ。


「バイト?」


 シャロの事情を説明し、ここで働いてみたいと言っていた旨を伝える。奈々絵さんは驚いた顔をするが、その後シャロの方を向いて暫し見つめる。シャロはと言うと一瞬こっちを見て、観察されていることを察したのかどこかロボットのようにぎこちない。


「まあ、いいんじゃない。綺麗な子だし、頭弱そうな男子とか釣れそうだ」


「言い方気をつけてください」


「その代わり時給は安いし、仕事出来なかったらクビだからな」


 ずいぶんと勝手なオーナーだ。それを冗談ではなくマジで言っているのだからたちが悪い。知り合いの母親でなければ絶対に働いていない。


 それはともかく、奈々絵さんの許可も得たので、それを伝えに行こうとシャロのもとまで戻ろうとすると、ちょっと待ったと奈々絵さんに呼び止められる。何かと思い振り返ると、またすいぶんと悪そうな顔をしている。嫌な予感しかしない。


「せっかくだ、今から研修を行うとしよう」


 腕を組み偉そうな奈々絵さんは、ナイスアイデアと言わんばかりにドヤ顔を作るのだった。


 制服に着替えた、といっても服の上からエプロンを装着しただけの実に簡易的な制服だった。くるりと一周したシャロは、どう? と髪をかきあげてアピールしてくる。ふわりと風に乗っていいにおいが飛んでくる。


「よろしくおねがいします! シャーロット・クロースです、シャロって呼んでください!」


 厨房の前で背筋を伸ばし、大きな声を出す。そんな体育会系のノリを見せるシャロに俺は肩を落とす。しかし、奈々絵さんは意外と好印象だったようだ。


「いい声だねシャロちゃん! それじゃあ接客行ってみようか!」


「いえっさー」


 俺には理解出来ない独特のノリで先走る二人に置いて行かれた俺は、黙々と皿洗いでもしていることにする。初めて会った時の様子からして、接客業なども決して苦手としているわけではなさそうだ。


 現に、特に何かを教えられたわけでもないのに、行って来いと言われただけでそれなりの接客をしているところにシャロんの飲み込みの速さが伺えた。コミュニケーション能力に欠けていた俺に比べればずいぶんと即戦力と言える。


「ここに来たばかりの頃の幸介よりも全然出来るね」


「奇遇ですね、俺も同じこと考えてました」


 自覚ありなので別に傷つくとかはない。ほんとうに苦労したのは今でも覚えている。ここで働いていたおかげで人と関わる力を身に着けたと言ってもいい。よくも長い目で見て俺を雇ってくれたものだ。


「いらっしゃいませー」


「おや、新顔だ」


 元気のいいシャロの声に続いて、聞き覚えのある低めの声が耳に入ってくる。そちらを見ると、大幕高校の名前が入った黒色のジャージを着た男。あれは体操着ではなくバスケ部のジャージであることを俺は知っていた。なぜなら、それを着る友人がいるからで。


 そいつが、その本人であるからだ。


「白木屋……」


 ニタニタと笑いながら白木屋辰巳が席に着く。俺がここで働いていることはもちろん知っているし、今日いることも多分分かって来たのだと思う。どこからそういう情報を得るのかは教えてくれないが。


「ご注文は何にします?」


 しっかりと接客を行うシャロ。まあ研修だし、言わば試験でもあるわけだからここで仕事が出来ないと思われればそこで終わりなのだ。そりゃ頑張るか。


 注文を聞き終えたシャロが厨房に戻ってくる。と同時に白木屋が俺の姿を発見し、さきほどのシャロのように手招きしてくる。可愛くねえ。無視してやろうかとも思ったが、仕方なく向かう。


「部活終わりか?」


「そ。小腹が空いたから店に貢献してやろうと思ってな。そしたら何だよ、あの店員さんめっちゃくちゃ可愛いじゃねえかよ! 誰なんだ? いつからいる?」


 シャロの姿を見てテンションのボルテージが急上昇した様子の白木屋はああだこうだと騒いでおり、突然何かを思い出したようにハッと目を見開く。


「あの人! この前お前が商店街で話してた人じゃないか?」


 そういうところだけ勘が鋭いというか記憶力がいいというか、関心するべきところではないんだろうけど、女子に対する白木屋の記憶力は大したものだ。


「ここでの知り合いだったのか? なんで言わん?」


「違うよ、あいつとはあの商店街が初めてだ。ちなみに今日から働き始めた研修にもなっていないテスト店員だぞ。レアだと思え」


 俺が適当に返すと、白木屋はほーんと興味なさげな返事をしてくる。さっきまでのテンションはどうしたんだと心配になってくる。シャロの方をまじまじと見ながら、少し考えるように黙る白木屋。興味がなさげというわけではなく、別のものに移ったというのが正しいのかもしれない。


「お待たせしました、こちらがカツサンドセットになります」


 言っていると、シャロがお皿を運んできた。上にはボリューミーなカツサンドが乗っている。白木屋のように部活帰りなどにお腹が空いた人が食べるようにと追加したメニューである。


「仲良くお話してるね。幸介くんのお友達?」


 くそ、シャロめ……余計なこと言いやがって。黙って適当にやり過ごしていれば何も起こらなかったものの、そんなことを言うとこのバカは。


「そうです、幸介くんのお友達なんです! 白木屋辰巳って言いますけど、お姉さんお名前は何て言うんですか?」


 キラキラした表情の白木屋は作り上げた低めの声でシャロに言う。お前は普段もっとバカっぽい声を出しているじゃないか。女子の前だとすぐに調子に乗る癖を何とかすれば念願の彼女だって難しくないかもしれないのに。


「わたしはシャーロット・クロース。幸介くんの友達なら、特別にシャロって呼ぶことを許してあげてもいいんだよ?」


「ありがたき幸せ」


 ははあ、とシャロに頭を下げる白木屋。女の子に対してはほんとうに残念な性格をしているというか。よく言えば自分の欲に素直と言えなくもないのだが、そのせいで本人もいろいろと苦労しているだろうに。


「幸介くんいつも一人だからお友達とかあんまりいないのかと思ってたけど、しっかりいるんだね。お姉さん安心したよ」


「あんまりはいねえよ、いちいち心を抉るようにツッコんでくるんじゃねえっつーの」


 余計なお世話だ。これでも友達は増えたほうだし、数が多いからと言ってそれが必ずしも素晴らしいことかはわからないじゃないか。量よりも質の方が大事だと、俺は思うね。


「しかし何だ幸介よ。お前こんなところでそんな美人さんといちゃいちゃしていたら……」


「いちゃいちゃなんかしてねえけど」


「美人なお姉さんだなんて」


 白木屋の言葉に俺とシャロは各々の反応を見せた。速攻の否定を見せた俺に対してシャロは照れながらくねくねと体を揺らす。頬を両手で覆い赤くなった頬を隠す素振

りをしている。


「……桐島が、なんて……思う、か」


 白木屋の話を遮ってのツッコミだったのだが、そのまま言葉を続ける白木屋のセリフはだんだんと途切れ途切れとなっていき、ついには言葉を失ってしまう。俺やシャロの方は見ておらず、もっと遠くの、例えば出入り口辺りを見ているような。


「なにしてんの、あんたら」


 カランカランと音を鳴らして、店の中に入ってきたのは桐島菜々子だった。寒い冬だというのに太ももを露出させる短パンに上は分厚いコートにマフラーと冬対策ばっちりの服装でどこかに行ってきた帰りなのか、両手に荷物を持ってご帰宅だった。


「見てわかんないのか? バイトだよ」


「そんなこと聞いてない! その後ろの人って……」


 わなわなとシャロを指差しながら、桐島は恐る恐ると言った様子で口を開く。そんなこと聞いてないと言ったが、そんなこと聞いたんだけどなあ。その光景を見ながら白木屋はくすくすと笑っている。


 そして、当のシャロはというとじいっと桐島の方を見て、そして何かに気づいたようにハッとした顔をする。ずいずいと桐島に近づいていくシャロに、桐島は覚えるように体を震わせ一歩後ずさる。


「な、なに……なんですか?」


「さてはあなたが奈々子さんだね」


 シャロに自分の名前を当てられて困惑する桐島。そんな桐島に何を言うのかと思えば、シャロはんふふと面白そうに笑い、そして一言。


「わたしと幸介くんはただのお友達だよ」


「なんっの報告なのよ!」


「帰ってきてそうそううるさいわよ奈々子!」


 奈々絵さんの怒号が店内に響き渡る。常連さん曰く、これもまたこの店の日常風景であるらしいのだが、それはそれでどうなんだ。

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