第3章 楽しい時間
第3章 ①『喫茶KIRIKO』
サンタクロースの定義について考えよう。
その問題に、きっと正しい正解は存在しない。それぞれの中で確立した答えこそが正しいのであって、誰かの意見を押し付けられるのも間違っている。そんな大前提を置いて、考えるとしよう。
皆は何をしてサンタをサンタと認識するのだろうか。白ひげの小太りな赤い服を着たおじさんというのがおおかたの共通のイメージだろう、それらがあればサンタクロースといえるのか。おじさんだけでも、白ひげだけでも、赤い服だけでも、それをサンタクロースとは呼べない。トナカイを連れていればサンタクロースか、空を飛べればサンタクロースか。
きっと、皆の幸せを願える者が、サンタクロースだ。
「……ん?」
こたつの上にあるみかんを剥いて頬張りながら、リビングにやってきた俺を見てシャーロット・クロースがクエスチョンマークを浮かべた。その横には聖もいて、同じようにみかんを食べている。
「どこ行くの、幸介くん」
シャロが宿を失い佐倉家にやって来たのは三日前の出来事だった。翌日にはしっかり朝食を食べてから家に帰ったシャロだったが、あれ以来頻繁にうちに出入りするようになった。一人暮らしで心細いなんて言うが、聖の料理を食いに来ているだけのように見える。それでも聖が嬉しそうにしているから、何も言いはしないけれど。
「どこって、バイトだよ」
「え、幸介くんアルバイトしてるの!?」
驚いたシャロは机を叩き、勢い良く腰を浮かせた。振動した机の上にあるお茶が震えて溢れそうになったところを、聖は黙って支えるのだった。
三日前、アルバイトを辞めてきたというシャロは、新しい働き口を探していた。クリスマスシーズンということもあって、アルバイト募集をかけているところは多いだろうという考えだったようだが、現実はそう甘くはなかった。人は欲しいだろうが、中途半端に取って忙しい時期に仕事ができないっていうんじゃ話にならない。新人に構っていられないという店も中にはあった。
「別におかしいことでもないだろ。たまに顔出してるくらいだけどな」
「そーなんだ」
ふえー、と関心しているのか間抜けな声を出して俺の方をじっと見つめるシャロは、何かいい案でも思いついたように顔を明るくする。そしてよっこいしょと言いながら重そうな腰を上げて立ち上がる。
「ねえ、わたしもついて行っていい?」
「何を企んでる?」
「なにも?」
そんなわけはない。ああいう顔をする奴はたいてい何かを企んでいる。そもそも自分に利益のあることでないと行動しようとはしないはずだ。ダラダラと温かい部屋の中でこたつにこもって幸せな時間を過ごしているというのに、それを中断してついて来るというからにはそれなりの理由があるはずだ。
「……まあ、好きにしろ」
しかし、これ以上問いただしても答えるつもりがないことはシャロの顔を見れば分かった。きゅっと唇を結んで眉を釣り上げている。俺の許可がおりたことでルンルン気分で準備を始めるシャロを一瞥してから聖の方を向き直る。
「じゃあ行ってくる」
「行ってらっしゃい。晩御飯は作っておけばいいんだよね?」
「ああ、いつもの時間には帰ってくる」
俺がそう言うと、聖はにんまりと笑うので、なんだよという視線を向ける。それを察した聖は面白そうに表情を歪ませて視線を逸らした。
「たまには菜々子さんとご飯でも食べてくればいいのになぁと思って」
「なんでわざわざあいつを駆り出さないといけないんだよ」
あいつも面倒くさがるだろうに。聖はそれ以上は言ってこなかったので、軽く手を上げてリビングを出る。数秒遅れてシャロがてててと後を追ってくるので、玄関で靴を履きながら持ってやる。さすがに放っていくと可哀想だし、後でうるさいのが目に見える。
バイト先までは自転車で数十分。学校に行くより少し遠いくらいだろうか。寒くなってきたこの時期は行くのが辛く感じる。夏は暑くてしんどかったが、そこでバイトを始めたのも夏の終わり頃だったのでその時期はすぐに終わった。今から寒いのは続くのでほんとうに行きたくなくなる。
商店街を抜けて、俺が通う大幕高校の前を通ってさらに自転車を進める。大きなデパートが見えてきたところで目的地はもうすぐだ。道行く人は寒さにやられてずいぶんと厚着をしている。かくいう俺もダウンジャケットにマフラーと、寒さ対策はばっちりなのだが、俺の後ろのやつが問題だった。
「なにこっち見て? いいから前向いて安全運転して。わたしまだこの乗り物に慣れ
ていないんだから」
ちらと見ただけでも、シャロは俺の背中に抱きつく腕に力を入れながらそんな可愛くないことを言う。よほど自転車が怖いのもあるのだろうが二人乗りというものがさらに恐怖心を煽っているのだと思う。
「へーへー」
シャロはと言うと、いつものようにサンタクロースを思わせる赤メインに白のラインをもこもこで縁取ったいわゆるサンタ服。長袖なので腕は守られているが、下がミニスカートな為見た目が寒そうだ。タイツか何かは履いているらしく見た目ほど寒くはないらしい。だとしても周りに比べてずいぶんと薄着であることは確かだ。手袋にマフラーは装備しているが、それでも心許ない。
そんな調子で自転車を走らせて、ようやく目的地に到着した。
「ここが幸介くんのバイト先かー」
喫茶KIRIKO。スタバみたいに人気でチェーン店でもない個人経営の喫茶店であるが、飲食店にしては珍しく土日に比べて平日の方が客入りが多いのだ。おじいさんおばあさんやまれに若者と、常連客に救われているところはある。
「おはようございます」
土曜日の昼、じゅうぶんお昼時と言える時間であるが、店に入ると視界に入ってきた客数はおおよそ三グループ。老夫婦とサラリーマン一人、あとは恐らく女子高生の二人組。テーブルは十分に用意されているが、悲しいことに満席である光景を俺はまだ見たことがない。
「いらっしゃ……なんだ幸介か。お客かと思ったじゃない」
「……一応客も連れてきましたけど」
カランカランと、扉についている鐘を鳴らして入店すると、待ちわびたと言わんばかりの営業スマイルでこの店のオーナーである桐島奈々絵が出迎えてくれた。かと思ったが、俺だと分かった瞬間に今にも舌打ちでもしそうな表情を見せる。
桐島奈々絵年齢不明。旦那さんの姿は見たことはない。茶色い髪の毛先をぐるぐる巻いて括りあげている。化粧はしているものの決してケバくはなく、自然な若さも伺えるが娘の年齢からして普通に三〇は超えているだろうから女って怖い。不良のような怖さを滲み出すが、口ほど性格は悪くなく、優しい一面もあり常連客からは愛されている。
「あらいらっしゃい」
しかし俺の後ろからひょこっと顔を出したシャロを見て、奈々絵さんはピカピカ笑顔を浮かべた。シャロを適当に席に案内して、俺は奥のスタッフルームへと入っていく。スタッフ数も少ないので男女別の更衣室などはない。なので扉を開けた瞬間に
「きゃーこうすけさんのえっち!」みたいな展開も十分にありえる環境ではあるのだが、スタッフが俺以外に二人しかいない。一人はおじさんでもう一人は主婦の方で二人共平日担当なのであまり被らない。夢のラッキースケベ生活はまだまだ遠い。
奥の部屋で着替えを済ませた俺は店の方に出る。着替えるといっても、上の服を着替えるだけで下は普通に私服のままなのだ。この適当さも、自営業故と言える。
「今日は一人なんすね」
「最近菜々子が反抗期でねー。手伝ってくれないのよ……。だから、幸介がいるうちは思いっきりこき使ってやるから感謝なさい」
「こき使うほど仕事あればいいですけどね」
料理は奈々絵さんが作っているので、俺の仕事は基本的にそれ以外の全てと言っていい。そういうと仕事量半端ないと思われるが、客数がそもそもたかが知れているので仕事量も大したことはないのだ。
「これでも客足は伸びてるのよ? 菜々子といい、最近の子供は反抗的で困るわねほんと」
ふんっと鼻を鳴らして呆れた様子で奈々絵さんは吐き捨てる。それにしても、と言葉を続けた奈々絵さんはシャロの方にそっと視線を移した。
「あの子はなに? まさか彼女だなんて言わないわよね?」
「まさかってのがどういう意味なのか気になるところだけど、彼女ではないですよ。友達……なのか? 説明は難しいですけど、知り合いです」
俺とシャロの関係を言い表すのに一番適しているのは何だろうか。友達、というにはまだ知り合っていなさすぎる。しかし友達でもない奴を家に泊めるのも違うだろうから、何ともしっくりこないものだ。
「ずいぶん綺麗な子だけれど、外国の方?」
「どこの国かは知りませんけどね」
適当に答えて、注文取ってきますと一言断って俺はシャロのところへと向かった。本人はと言うと、メニュー表を睨みつけながらむむむと唸っている。
「ねえ幸介くん」
近づいてきた俺の気配を察知したシャロは、いつにも増して真剣な声色で俺の名前を呼ぶ。何に悩んでいるのかは分からないし、どうしてそんなにシリアス顔なのかも知らんが、あまり似合っていない。
「なんだ?」
「もしかしてだけど、これって幸介くんの奢りだったりするのかな?」
「しねえよ」
ふざけたことを言うシャロに冷たくツッコミを入れた俺は、さっさと決めろと注文を催促する。悩みに悩んだ末に、シャロはどら焼きを注文した。デザートはケーキ数種類やアイスを揃えていたり話題のパンケーキも置いているが、その中でどら焼きチョイスとは珍しい。月に一回二回注文があるかどうかのメニューなのに。
「どうしたの?」
「いや、どら焼きってなんか意外だなって思って」
「好きなんだ、和菓子。ケーキとかもおいしいはおいしいけれど、和菓子には日本の良さが詰まっているよね」
理由の方は意味がよく分からなかったが、和菓子がほんとうに好きなのは話しているシャロの笑顔を見れば伝わってきた。外国の人にとっては珍しいものなのか? そんなことを考えながら奈々絵さんのところまで戻る。
今更だが、厨房から店内は見渡すことが出来る。厨房の前にはカウンター席もあり、店の配置の感じを言えば寿司屋などが近いかもしれない。
「どら焼きをセットで。ドリンクはコーヒー牛乳」
「どら焼き?」
シェフからまさかの疑問が返ってくるという衝撃の反応に、さすがの俺もその反応に驚いた。いくら人気がないからといっても店のメニューくらいは覚えておけよ。和菓子でもメニューに入れれば新しいか、という意見を出したのもどら焼きを提案したのも奈々絵さんだというのに。
「レシピ……どっかに置いてなかったかな」
覚えとけ、それくらい……。
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