第2章 ⑦『魔法使いとカレーライス』


 結局家についたのは七時を大幅に超えた時間となっていた。連絡をしていたとはいえ、聖をずいぶんと待たせてしまった。聖は出来る子だし、俺がいなくても家事だなんだをテキパキとこなしていることだろう。何なら俺がいない方が捗っているかもしれない。なにそれお兄ちゃん悲しい。


「ここが幸介くんの家かー、妹ちゃんと二人で暮らしているってわりには、大きい家だね。あれなの? 幸介くんはお金持ちなのかな?」


 ほーへーと関心の声を漏らしながら、シャロはもの珍しそうに右へ左へ移動して家を眺めていた。別にそんな珍しいものでもないだろうに。


「おい、早く中に入れ!」


 扉を開けて、俺は先に中に入る。顔だけを出して、まだキョロキョロしているシャロに呼びかける。こちらに気づいたシャロはハッとして、トテトテと小走りでこちらにやって来た。


「ほんとにだいじょうぶ? 入っちゃっても」


「まあ、聖には事情を説明せねばならんからとりあえず玄関で待って……」


 ここで待たせて先にリビングに行き、聖に事情を説明して許可を貰った後、改めて部屋に招き入れる算段だったのだけれど、現実はそう思い通りにはいってくれない。


「こーすけ? 帰ってきたんなら、ただいまくらい……」


 リビングの扉を開けて廊下に顔を出した聖は、俺達の姿を見て体をピタッと止めた。口も止まったので話している最中で言葉も切れた。信じられない光景を見たような顔、シャロの魔法を見た時の俺も似たような顔をしていたかもしれない。


 長袖のシャツにホットパンツの上からいつものようにエプロンを装着している聖は、数秒間停止してから、ハッと我に返って扉を締めてリビングに戻った。


 俺とシャロは玄関に取り残される。


「やっぱり、迷惑だったのかな?」


「確実にそんな顔してなかったろ。説明してから中に入れる予定だったが仕方ない、行くぞ」


 バレてしまってはもうどうすることも出来ないし誤魔化しもきかない。おずおずと後ろをついてくるシャロを連れて、俺は聖のいるリビングの扉を開ける。まず見える光景は、いつもご飯を食べるこたつが置かれているリビングだが、そこに聖の姿はない。そこになければだいたいの確率でキッチンにいる。


「説明、していいか?」


 案の定キッチンで晩御飯の調理を進めている聖に、俺は恐る恐る声をかける。黙々と調理を続けている聖は、ちらとこちらを、というよりはシャロの方を見てから小さく口を開く。


「どうぞ」


 許可をいただけたので、俺は一から説明することにする。と言っても、どこから説明すればいいのか悩んだのだけれど、別に彼女を紹介するわけでもないのだから馴れ初めとかはいいだろう。


 数日前に訳あって出会ったこと、困っているところを助けて仲良くなったこと。もちろん魔法使いであるとかそういうことは黙っておいて、鍵をなくして家に帰れずお金もないので野宿をするとか言い出したので連れてきたと、大雑把な説明を終える。


「……と、言うわけなんだけど」


 聖はカタカタと晩御飯の準備を進めながら俺の話に耳を傾けていた。話し終えた後は少しの間黙って作業をしていた。数十秒考えた後、持っていたおたまを置いて、こちらを振り向く。


「まあ、そういうことなら別にいいんだよ」


 俺にそう言って、聖はパンパンとエプロンをはたいてから、俺の横に立つシャロの前まで歩いて近寄る。それに一瞬ビクッと反応したシャロだったが、どんとこいと言わんばかりに真剣な顔を向けた。どういう感情だよそれ。


「初めまして、こーすけの妹の聖です。一日だけですけど、ゆっくりしていってくださいね」


「あ、いえこちらこそ……わたしはシャーロット・クロースです。みんなシャロって呼んでくれるので、聖ちゃんもぜひそう呼んでください」


 ずいぶんと丁寧な口調で、シャロはペコリとお辞儀をしながら挨拶を済ます。他人行儀というと聞こえは悪いが、初対面だとこんなもんか。俺の時も最初はこんな感じで優しいお姉さんみたいな感じだったもんな。


「はい。じゃあ、シャロさんはあっちで座っててください。晩ごはんはまだですよね?」


「あ、うん。そうなの、おなかぺこぺこで」


 聖に言われて、シャロはこたつの方に移動する。泊めてやるから家事手伝えとか言ってやろうと思ったけど、許されませんよねお客さんですもんね。聖がそんなことをするはずもなく、俺はもう仲良く会話をする二人を見ながら、自分の部屋に荷物を置きに行く。


「さ、こーすけ準備してよ」


 リビングに戻ってきて早々に、聖に指示されて俺は準備を手伝う。本来ならば面倒くさいだ何だと適当言って免れたいところだが、シャロもいるしここは恥ずかしい姿を見せるわけにもいかないか。


「お前先に飯食っててもよかったんだぞ?」


 ここまで遅くなるつもりもなかったけれど、ここまで遅くなってしまったわけなので別に先に食事を済ませていても良かったんだけど。さすがにお腹も空いただろうし、わざわざ待っていなくても。


「帰ってくるんなら、ちょっとくらい待つよ。一人で食べるのも、なんだし」


 俺は皿を並べながら聖にそう言うと、聖も澄ました表情を浮かべながら返事をしてくる。落ち着いてる感じをしているが、案外寂しがりやなところもあるんだな。


「聖ちゃん、良い子だね」


 ぽしょぽしょと、俺の耳に顔を近づけてそんなことを言ってくるシャロに、俺はふふんと鼻を高くする。自分の妹を褒められるのは、何というか自分が褒められるよりも嬉しいことだ。


「そうだろ、どこに出しても恥ずかしくない自慢の妹だ」


 聖には聞かれないように、シャロに習って俺もこそこそと小さな声で返した。


「幸介くんってあれ? シスコンちゃんとかいうやつ?」


「そんなんじゃねえ」


 シスコンではない。妹のことをちょっと誇らしく思っているだけで、大好きとかそんなんじゃない。嫌いじゃないから好きではあるのだろうが、それはもちろん家族的な意味でだし、世間一般的に見ても普通のレベルだろうし。


 え、俺シスコンじゃないよな?


「お待たせ」


 俺達が聖についての会話をしているうちに、準備を済ませた聖が最後に自分の分のお皿を持ってリビングにやって来た。既に俺達の分は運んでおり、ようやく落ち着いて腰を下ろす聖を見て、俺もその横に座る。


 本日のメニューはカレーライス。一日作るだけで数日は保ち、寝かせることでさらに美味しさを増すという主婦の味方。それに野菜をカットして盛り付けたあり合わせのサラダ。


「お口に合うかどうかわかりませんけど」


 シャロはカレーライスをもの珍しそうに眺めてから、スプーンで一口の大きさを掬う。あまり食べる機会がなかったのか、シャロは口に入れる瞬間に一度手を止めて躊躇うような行動が見て取れた。


 控えめに言って聖の料理の腕はピカイチだ。謙虚な風に言った聖だが、自分の料理の腕にはそれなりの自信を持っているので、口に合わないなんて言われた暁には恐らくショックでさらに腕を磨こうとするだろう。


 自信はある。しかし、ドキドキしながらシャロの様子を伺う聖。俺はそんな二人をカレーを頬張りながら眺めるのだった。シャロは掬ったカレーを口に運んで、一回二回と咀嚼する。


「う……」


 佐倉聖は、決して慢心しない。驕ることをしない。


 だが、その実力は確かなものである。さっきも言ったが、両親が――というより、主に家事をこなしていた母がいなくなり、家事を担当することになった聖は、最初は手こずっていたものの、あまり日の経たないうちにほとんどの家事をこなすようになった。料理もまた然りだ。もともと手先も器用だったし、飲み込みも早かったこともあり、今では母にも引けを取らない腕である。


 そんな聖も、普通の中学生である。主婦スキルを着々を上げていく中、学業を疎かにもしない。テストの点数は申し分なく、運動も完璧とはいえないものの十分な結果は残している。


 普通ならば、自慢したり、慢心を見せるところ、聖はそれをしない。


 今回だってそうだ。口では言わないが、料理の腕には自信は持っているだろうし、プライドだってあるだろう。しかし、それを表に出さずに抑え、相手の感想を伺う。普通ならば「どう? 私の作ったカレー美味しいでしょ?」とか言っちゃうところなのに。


 ごくりと飲み込んで、そしてカッと目を見開いたシャロは思わず声を漏らす。その反応に、俺も聖も動きを止めてしまう。


「……からい」


 目をつむって下を出し、コップの水をごくごくと勢い良く飲み込むシャロの姿に、聖は少し落ち込んだように肩を落とした。外国と言ってもいろいろだし、シャロの口にはカレーは合わなかったのだろうか。


「でも、おいしい! なにこれ、あんまり食べたことなかったけど、カレーライスっていうの? からいけど、不思議と手が進む!」


 次の瞬間には、パクパクとカレーライスを口に運んでは、からいからいと水を飲んではまたカレーを食べる。その様子を見て、聖はシャロには見えないように安堵の溜め息を見せた。


「そうですか、それはよかった。おかわりもあるんで、どんどん食べてくださいね!」


 嬉しそうに声を弾ませてそんなことを言う聖の顔は、最近ではあまり見ないレベルの笑顔であった。自分の料理が認められたことがそこまで嬉しかったのだろうか。


 暫しの間、うまいうまいとカレーライスを食べるシャロを眺めながらの時間が続いた。結局三杯のおかわりを済ませたシャロは、お腹を目一杯膨らませてうへーっと倒れ込む。


「食ってすぐに寝転がったら牛になるぞ」


「またまたご冗談を。そんなくらいで牛になったら魔法使いも顔負けだよ」


 満足げな表情を浮かべるシャロを見て、えらくご機嫌な聖はテキパキとお皿を運んで鳩片付けを始める。俺はと言うと、シャロと同じようにお腹いっぱいで動く気が起きないので聖に全てを任せる。


「今日は朝から何も食べてなかったから助かったよ」


「お前まじで今日どうするつもりだったんだよ……」


 呆れて溜め息を見せ、シャロの方を見る。すると何かを探すようにリビングの中を見渡していた。どれだけ探してもここにアパートの鍵はないぞ。


「なんか気になるのか?」


 さすがにそんなにバカではないだろう。で、あるならば一体なにを探していたのか。いやそもそも探していたのではないのかもしれないけれど、シャロの行動が気になった。シャロはんーっと俺の方は向かずに部屋の中を眺めながら唸る。


「幸介くんの家は、クリスマスツリー飾ってないのかなって」


 言われて、俺も思う。確かにクリスマスツリーは飾られていない。組み立てた覚えはないし、いつもなら聖が飾るので俺は基本的に触れないのだ。毎年一二月に入った頃辺りに聖がルンルン気分で鼻歌交じりに飾っているので、てっきり楽しみにしてるものだと思っていた。


「もうすぐクリスマスなのに、飾らない派の家なのかな?」


「どうなんだ?」


 俺はキッチンでカチャカチャと洗い物を進める聖に問いかける。返事がないので聞こえていないのかと思い、もう一度聞こうとしたとき、聖の声が返ってきた。


「んん、まあ、今年は別にいいかなって」


 そういった聖の声は何だか暗かった。遠かったからそう聞こえただけかもしれないが、シャロも険しい表情をしていたので、同じことを思ったのだろう。何というか、嫌な気分の時にでも出る暗めの声というか。


「なんだ、学校でなんか言われたのか?」


 中学生というのは多感な時期だ。周りの言葉一つに影響されてしまうこともあるし、言われた一言でひどく傷つくこともある。学校でクリスマスを楽しみにしているのがダサいなんて言われれば、気にして楽しめないだろう。


「なになに、クリスマス楽しみにしてるとかだっさ! とか言われちゃったの? それならその子達に直接文句でも言ってやりたいレベルなんですけど」


 プンプンと怒りを露わにするシャロを見て、こいつがクリスマスに対して特別な感情を抱いていることは十分分かった。何歳になってもクリスマスというのは楽しみなもののはずだが、そういうのを認めたくない時期でもあるのだろう。もう少し大人になれば今度は恋人と過ごす日が来るかもしれないのに。まあ俺は来てないんだけどな。


「や、別にそんなんじゃないよ……」


 しかし、歯切れの悪い返事をしてくる聖だった。俺とシャロは顔を見合わせて首を傾げる。


 別に好きなわけでもないが、今までずっとあったものがないと気づくと、それはそれで物足りないというか、寂しいものである。佐倉家にとって、クリスマスシーズンにクリスマスツリーが置かれているのは当然のことだったから。


「お母さん達、今年は帰ってこれないって言ってたから。じゃあ別にいいかなって」


 ぶつくさと呟くように、ふてくされた様子で聖はそう言った。


 なんて、冷静に聞いていたけど、え、今なんて?


「母さんら帰ってこないの!?」


 佐倉家の家庭事情はご覧の通り少し面倒くさい。両親は家におらず、父親の転勤に母親がついて行っているので家には俺と聖の二人だけだ。仕事も忙しく中々家に帰ってくることもないのだけれど、記憶にある限りではゴールデンウィークとお盆、クリスマスに年末年始と聖の誕生日には絶対帰ってきていたのだが、今年はダメだったのか?


「この前電話あったよ。今年は仕事が入って帰れないって」


「……俺何も聞いてないんだけど」


 あのクソ親父また聖にだけ連絡よこしやがったな。社会で大事なのはホウレンソウではないのか? そこそこ重要な情報なんだから俺にも電話よこせよ。どっちかっていうと聖より俺にするべき連絡だろ。


「母さんだけでも帰ってこれればいいんだけどな」


「まあ、お父さん寂しがるし今年はね、仕事だって言うんなら仕方ないよ」


 だからさ、と聖は言葉を続ける。声は相変わらず暗いが、さっきまでのような重苦しさも不機嫌さもない。単純に平常のテンションというだけだろう。


「今年は無理に家にいることないよ? 友達と遊びに行ってもいいからね。なんなら女の子とデートでもしてきたらどう?」


 淡々とそんなことを言う聖。中学生にもなれば、そういう話にも興味を持つようになるのかね。お兄ちゃんは少し悲しい気持ちだよ、いつか彼氏とか連れてくんのかなあ。親父じゃないけど複雑な気持ちだぜ。


「……そうだな」


 洗い物を終えた聖が三人分のお茶を入れてリビングに戻ってくる。シャロにはお客様用の薄茶のコップ、俺は誕生日に桐島に貰った白のカップ、聖は俺が昔あげた猫のカップだ。尻尾が取っ手になっていて女子人気高そうだった。


「なにさなにさその煮え切らない返事。あれかな、さてはお相手がいないのかな? 仕方ないからシャロさんが相手してあげよっか。高級ディナー楽しみにしてるね」


「お前に貢ぐくらいなら募金箱に突っ込むわ」


「うわー幸介くんってばやさしいー」


 思ってるのならもうちょっと感情を込めて欲しいものだ。ぷくーと膨れるシャロだったが、ずずずとお茶を飲む聖を見て、表情を真剣なものに戻す。


「でもさ、ツリーはやっぱり飾った方がいいんじゃないかな? せっかくのクリスマスだし、ほら、もしかしたらお母さんも仕事が早く終わって帰ってこれるかもしれないじゃない? その時にさ、ツリー飾ってなかったらお母さんがっがりするんじゃないかな?」


 やけにクリスマスツリーにこだわるシャロだったが、クリスマスが好きであるならば別におかしい話でもないか。キラキラ光るイルミネーションにクリスマスツリーは冬の風物詩とも言えるし、俺もどちらかと言うと好きな方だし。


「……そうかもですね。確かに、急に帰って来られたら困るかも」


 シャロに言われて何を思ったのかは分からないが、心変わりした様子の聖が小さくそう言った。


 きっと、母さんが帰ってこないって聞いて拗ねていたところもあったのだろう。ならばシャロの言葉で少しでも元気を取り戻してくれたのならば、シャロにも感謝しなければ。

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