第2章 ④『ペナルティ』
一時限目の科学の授業に遅刻したことは、すぐに担任の佐藤の耳にまで伝わった。ホウレンソウが大事とか言っといて、結局生徒の悪事だけを共有しているところに悪意を感じる。良いことは大して話したりしないくせに。何かする度に先生に言ってやろとはしゃいでいた小学生の頃の大原君と同レベル。
「なんでこんな目に……寒い」
昼休み、職員室に呼び出された俺は無言の圧力を受けて結局放課後の奉仕活動をペナルティとされて解放されることに。もちろん、その時横には同じく遅刻した桐島菜々子と白木屋辰巳もいた。
のだが。
「なんであのアホは免除されてるわけ? さすがに納得出来ないんですけど?」
「辰巳は部活があるからな、仕方ない」
辰巳はここにはいない。遅刻したはしたのだが、放課後は部活があるとかこんな時だけ部活動を全面的にプッシュしてこのペナルティを免れたのだ。それがどうやら納得していない様子の桐島は寒さのあまり震える声で、不満を訴えかける。ここには俺以外に誰もいないというのに。
「先生が来るって話だけど、まだなのか? さすがに寒さでサボってやろう欲が膨れ上がってるんだけど」
佐藤には、花壇の手入れがあるから校舎裏にある花壇エリアに来てくれということしか聞いていない。花の手入れといっても、その花壇の花はほぼほぼ枯れていて、恐らく春までは花を咲かせることはないんじゃないだろうか。そもそも、こんな寒い中でちまちま花壇の手入れとかまじで死ねる。
「ていうか、佐藤先生って花の担当とかしてるんだっけ? イメージなさすぎるんだけど」
「まああのハゲ散らかった頭は、この花が咲き散った花壇とよく似てるけどな。同情というか、同じ境遇の花に感情移入でもしたんじゃないか?」
こんなことを佐藤の目の前で言った暁には、たぶん上着脱がされてバケツ持って廊下にでも立たされてもおかしくはない。いや、それ以上のことをさせられる可能性すら十分に有り得る。まじさっさと交際相手探して丸くなってくれないかな。
「とりあえず、さっきのは聞かなかったことにしておくね、佐倉君。だったよね?」
そんなことを考えていると、後ろから声をかけられて慌てて振り返る。横にいた桐島も同じような反応だった。近づかれていることに全く気づかなかった。足音も気配も何も感じなかったけど、この人どんだけ存在感薄いんだよ。
ていうか、誰だっけこの先生。
「あ、はい佐倉は俺です」
「今日はお手伝いをしてくれるという話だけど、合ってるよね?」
どうやら、佐藤の方からこの先生に話を通して、俺達はコノ人の手伝いをさせられるらしい。佐藤に見張られながら作業をするよりは万倍マシなので文句なんて何もない。それにこの先生、可愛いじゃないですか!
くるみ色のふわふわの髪、吹いた風に乗っていいにおいがこちらにまで漂ってくる。女子ってばいいにおいを撒き散らす生き物だっていうのに、この人はその中でも上位レベルに撒き散らす。もはやこの人がアロマフレグランスなまである。顔は童顔で、見た目からして歳は恐らく二〇ちょっとくらいだろうか。引き締まったボディラインは健康的で、大きくはない胸も形が整っていて実に見ごたえがある。作業をすることを前提としていたので、服装はジャージ。何だろう、普段あんまり見ることないから女性のジャージってテンション上がる。
「なにじろじろ見てんのよ変態」
俺がその先生をゆっくりたっぷりねっぷりと観察していると、桐島が割りとガチで引いた感じの声を俺に浴びせてきた。相変わらずの半眼で、それには冷ややかな視線が込められているのが伝わってきた。
「別にそんなんじゃない。なんて先生だったかなと考えてただけだ」
それじゃあ行きましょうと言い、先生は歩き始めたので、俺達もその後を追った。ふんふんと鼻歌交じりに足を進める先生は何だか上機嫌で、その様子は教師というよりは同級生だと勘違いさせられる。
「あんたそれマジで言ってんの? もう二学期も終わるのよ?」
二学期も終わるからと言って、全ての人の名前と顔を把握していると思うなよ。そんなハイスペックじゃないんだよ俺は。何ならクラスメイトの名前もまだ完全に覚えてはいないんだから、先生にまで興味伸ばせるかよ。
「絵里ちゃんだよ、成瀬絵里。女子の体育の先生」
「そりゃ知らないわけだ」
女子とは体育も違うし、担当教科の先生でないならば関わることもないし、関わらなければ覚えれるわけもない。知ってて当たり前みたいな言い方をする桐島だったが、これは俺は悪くない問題だと思う。
「つーか、どこ向かってんの?」
校舎裏の花壇での花の手入れと聞いていたけど、校舎裏を離れて今は校舎の中に入って廊下を歩いている。先生がジャージを着ているので作業することは間違いないだろうけど。いやでも体育教師なら年中ジャージって可能性もあるのか。あるのか?
「さあ、お手伝いありがとう的なことは言ってたから何かはさせられるんだろうけど」
ついて行くこと五分、たどり着いた場所は温室ハウスだった。こんな施設が校内にあったことにまず驚きだ。中に入ると、植物が生えている。何のものかは分からないし、花なのかそれとも食べ物的なものなのかも見当がつかない。とにかく、何か緑が生えている。
「ここでちょっと作業を手伝ってもらいます。ここなら寒くもないでしょう?」
手をパンっと叩いて振り返った成瀬先生は、まるで自慢する子供のようにこの温室ハウスの説明を始める。あまり言っていることは理解出来なかったけど、要はところどころに生えている雑草を抜いてくれみたいな感じ。
「ここは元は園芸部が頑張ってくれてたんだけどね」
時間を無駄にするわけにもいかないので、軍手を貰ってさっさと作業に取り掛かった俺達に、成瀬先生は懐かしみを帯びた口調でそんなことを言った。
「今は違うんですか?」
それに反応したのは桐島だった。体育の授業で関わりがある桐島は俺に比べて先生との距離が近い。俺なんて、ちょっと美人なだけに接し方に戸惑っている最中なので即座に返事出来なかった。
「三年生が引退してからは部員がいなくてね、休部なのよ。その間は顧問だった私がお手入れとかしないとね。でもどうしても一人だと人手が足りないから、手伝ってくれて嬉しいわ」
ただのペナルティであって、善意など全くなかっただけに、ちょっと罪悪感ではないけど申し訳ない気持ちが浮かんでくる。多分善意に満ちていたのは佐藤だけだろう。あいつまさかこの先生狙ってるんじゃないだろうな? 高嶺の花過ぎるぜ。
その後は、暫し無言で各々が作業を進める時間が続いた。いつまでもダラダラ作業をしていられないので、さっさと終わらせるためには集中が必要だった。こういう地味めな作業をしている時、自分がこういうの苦手ではないことを再認識させられる。将来は職人の仕事とかが向いてるのかもな。職人芸って何だろう。
「ひゃあ!」
考え事をしながら無心で雑草と戦闘していると、横からグッと体重を掛けられて思わず尻もちをついてしまった。可愛らしい声を出してぶつかってきたので先生かと思ったら桐島だった。可愛らしい声を出していたのに。
「……なにその顔。あたしで悪かったわね」
なにこいつエスパーですか? 俺の思考ってどれだけ読まれやすいの? 自分の言葉を俺が否定しなかったことに不満を覚えた桐島はぷっくーと頬を膨らませる。何歳だよお前は。
「なにどうしたの? 新しいキャラでも模索してんの? 別に今のままで良いと思う
ぞ、変に女の子らしいとか、らしくないって」
「違うわよ! 勘違いしたまま話を進めないで。虫が、いたから……」
「虫とか片手で捻り潰そうなキャラして何言ってんだよ」
「あんたの中のあたしのキャラが分かんないわよ……」
呆れながら、しかししっかりと俺の腕をホールドしている桐島に思わず溜め息をついてしまう。俺だって虫とか別に好きじゃないんだけどなー、何なら苦手な部類なんだけど。女子の前でそんなこと言うのも男として何だしな……。
「仕方ないなー」
桐島の作業していた場所まで行き、それらしい虫を探す。何かの幼虫のような野郎がうねうねと必死に体を動かしていた。うっわ気持ち悪。害虫ではないだろうけど、この見た目と動きだけで精神的には十分害あるんだよなあ。
さすがに手で掴むのは気が引けたので、近くにあったスコップでその虫を掬って出来るだけ遠くへと放り投げた。自分の肩力には自信などなかったが、あれだけ飛ぶのなら野球人生に転向してもいいかもしれない。
「なんで投げるのよ! 責任持って始末しなさいよ!」
なんて冗談を考えていると、冗談でも怖いことを冗談ではなく平気でさらっと言い出す人がいたんですよ。もしかしたら、俺は掬ったのではなく救ったのかもしれない、あの小さな命を。
「いや、さすがに殺生はどうなのよ……」
「また出てくるじゃない!」
「また出てきたら多分別のやつだよ」
あれだけふっ飛ばされてまた桐島の前に現れたのならそれはもう運命だよ。虫の方はお前のことめっちゃ好きだから、虫の恩返しとか始まるって。なにその話聞きたくない。
「また出たら呼ぶからねっ!」
頼むから出てこないでくれ虫さん。殺生なんてしなくないし、俺はお前らのことなんて微塵も見たいと思っていない。気持ち悪い姿を晒さないで地面の中でおとなしくうねうねしておいてくれ。
「仲が良いですねぇ。佐倉君と桐島さんはお付き合いでもされてるんですか? 羨ましいです、先生はまだお相手すらいないというのに……」
「付き合ってないです!」
「話進めないでください!」
桐島と俺はいつものように否定する。そうなんですかあははうふふと、俺達の話に聞く耳持っていない成瀬先生はまるでお花畑の中にでもいるような幸せそうな顔をしている。かと思えば途端に憂鬱そうな表情へとシフトする。心配しないでも、あなたのことを思っているハゲが近くにいますよ。
「そんな仲の良いお二人に、先生からちょっと早いクリスマスプレゼントです」
わぁー、と一人で盛り上がる先生に、俺と桐島は顔を見合わせて首を傾げた。何だろうかプレゼントって。これが男子なら確実にさっきの虫を渡される。俺ああいうノリ大っ嫌いなんだよな。なんかこの先生抜けてるとこありそうだから、何くれるのか全く予想できないな。真面目な顔して雑草とか渡してきて花束ですとか言ってきそう。
「些細な事ではありますけど、ちょっと御伽噺をお話してもいいですか?」
「……それって先生が話したいだけなんじゃ?」
桐島が言うと、先生はばれちゃいましたか、とペロっと舌を出しながらおかしそうに笑った。なにこれあざとい可愛いやばい可愛いあざとい。
しかし、てっきり大人のクリスマスプレゼントでも貰えるのではないかと期待してしまったじゃないか。大人のクリスマスプレゼントが何かっていうのが何なのかはご想像にお任せするけど、少年誌では出来ないことであることだけは言っておく。
「それで、その御伽噺ってのは?」
「もうすぐクリスマスですから、サンタクロースについてのお話」
桐島がこそっと耳打ちで教えてくれたが、成瀬先生はどうやら外国の話が好きらしい。映画を見るなら洋画、漫画の好みはアメコミ、それだけではなく御伽噺というか伝承というか伝説というか、妖精にユニコーンやヴァンパイアなども大好き。その中に入ってるんだって、サンタクロースという皆の空想が創り出した架空の人物も。
「サンタクロースという人物を、想像上の人物だと思っている人は多いですね。佐倉君や桐島さんはどうですか? サンタクロース、信じてますか?」
まるで俺の心でも読んだように、成瀬先生はそう話し始めた。それでも手を止めていない先生を見習い、俺達も作業の手は止めない。そして、先生の質問に対して桐島は少しだけ考える素振りを見せた。
「さすがに、今でも信じてはいないですね。子供の頃は、それなりに」
「うちはいろいろあってそういうのは信じませんでしたね」
家庭の事情といえばそれまでだけど、そういうと金銭的な心配をされてしまいがちだがそうではない。聖に幻想を抱かせることに全てを尽くした親父は、俺のことなど気にしなかったせいで普通に知ってしまっただけ。
「みんなそうでしょうね。クリスマスの夜にプレゼントをくれる赤い服を着た白ひげの存在。でもそれはいつしか親であることを自ずと理解して、空想なんだと思い込んでしまう」
だいたいは小学生の高学年から中学にかけて、そのことに気づくのだろう。さすがに高校生にもなってサンタクロースがどうとか言っている奴は、少なくとも俺は見たことがない。先生の言っていることは間違いとも言えなかった。
「ですが」と先生は言葉を続けた。
「日本ではそう言われているだけで、外国ではまた別の解釈というかお話があるんです。それに、実際にサンタクロースはいるんですよ。さすがにクリスマスに全国の子供にプレゼントを渡したりはしませんけどね。そして、これから話すのは、その一人のサンタクロースについてのお話です」
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