第1章 ⑤『魔法』


「やっほ、また会ったね」


 翌日、学校からの帰り道、いつものように自転車を走らせて商店街を通ると、見知った顔を見かけたので思わず止まってしまう。すると、あちらもこっちに気づいたようで、てててっと駆け足で寄ってきてそんなことを言う。


 シャーロット・クロース。


 銀色の髪はさらさらと揺れ、昨日同様にサンタクロースのコスプレをしている。それはバイトの制服なのか、あるいはまさかとは思うけど普段着の一種なのか。いずれにしても、彼女は昨日と同じように俺の前に現れた。


「ここまで偶然が続くと、そうは思えなくなるな」


「きみがわたしをストーキングしているという線が濃厚なんだけど」


「自意識過剰もそこまで行くと大したもんだぜ」


 からかうように言った後、シャロはあっと何かを思い出したように声を漏らした。何事かと彼女の方を見ると、唇を尖らせて俺の方を睨んでいた。


「な、なんだよ?」


「昨日、きみの名前を聞くのをすっかり忘れていたよ。自己紹介をするときはまず自分からっていうのは、やっぱり正しいことだね」


 何で怒っているのかと思えば、確かに言われてみれば話の流れで俺の名前は教えていないような気がする。それを言われると、確かに申し訳ないとは思うな。相手にだけ名乗らせてしまったことは素直に不覚である。


「そういやそうだっけ……遅くなったけど、俺は佐倉幸介。愛称は特にないから好きに呼んでくれて構わないぞ」


「佐倉、幸介くんか……」


 手に文字を書きながら、何度か俺の名前を小さく呟いては口の中で何か言葉を転がしていた。人の名前を覚えるのが苦手なのだろうか。だからといって、そういう人によく見られる行為かと言われれば、別にそんなこともないんだけど。シャロの不思議な行動に、俺は眉をへの字に曲げるのだった。


「ところで、今日は何してんだ? バイトか?」


 昨日と同様にティッシュ配りのバイトでもしているのだろうか、そんなことを思って俺は尋ねた。服が昨日と一緒なのでそうなんだろうけれど、にしては今回は場所が違う。昨日はパチンコ屋の前だったが、今日はそこから少し離れたところだ。周りには百均ショップやパン屋があるくらいで、サンタコスの女の子を雇うような店ではなさそうだけど。


「まあ、バイトといえばそうだけど、休憩中なんだ。お腹が空いたからパンでも食べようかと思ってここまで来たらね……」


 言って、シャロは視線を俺の方から別の場所へと移した。今まで俺と話していたから気づかなかったけど、シャロの後ろに二つ括りの小さな女の子がいた。年齢は詳しくは分からないけど幼稚園児くらいだろうか。


 シャロの服の裾を摘みながら、今なお周りをキョロキョロと見渡している。表情はえらく不安げで、そこから迷子の子なのだろうという答えに辿り着くのに、そう時間はかからなかった。


「近くにいないのか?」


「うん、幸介くんが来る前にちょっと呼びかけたんだけどね。いないみたい。その子に聞いても全然話してくれなくて……でも放っておくわけにもいかないでしょ?」


 お手上げだと言わんばかりに困り顔を見せるシャロ。俺は自転車のスタンドを立てて、女の子の傍まで歩く。シャロの服の裾を掴んでいるのだ、少なくとも怖がられてはいないはずだ。ただ、親とはぐれてしまった不安の方が勝っているだけ。


「こんにちは」


 俺はしゃがんで目線を女の子に合わせる。一瞬びくりと体を震わせた女の子だったけれど、こちらに敵意がないことを察してか目を合わせてはくれた。依然として、体は強張ったままだけど。


 俺の挨拶に対して、女の子はぺこりとお辞儀を返してきた。


「お名前は何ていうのかな?」


 出来るだけ声色を上げて、怯えさせないように神経を使いながら言葉を紡ぐ。子供というのはいろいろと敏感なので、ちょっとでも怖がるようなことをしてしまうと、心を閉ざされてしまう。あくまで、慎重に。


「……まり」


 言おうか言うまいか悩んだ結果、ぼそりと小さな声ではあったが答えてくれた。ここまでくればあと少しだ。話してくれるということは、警戒心が薄れている証拠だから。


「まりちゃんか、お母さんとはぐれたのかな?」


 まりちゃんはこくりと無言で頷いた。買い物か何かに一緒に来て、はぐれてしまったのだろうか。ならば、少し離れたスーパーたまこか?


「お母さんとは、どこに行ったの?」


「……ばんごはんの、おかいもの」


 やはり。であるならば、恐らくたまこだ。ここまで歩いてきたのか? こんなに小さな子が歩くには結構な距離だけど。お母さんの方もここまで離れている場所に子供が歩いてきているてゃ思わないだろうな。


「多分、あっちの方だ。スーパーがあるから、行ってみよう」


「う、うん」


 まりちゃんはシャロに任せて、俺は自転車を押す。大人ならば歩いて数分の距離であるが、子供の歩幅ではちょっとしんどいだろう。まあ、お母さんを探すのに必死で、気づいたらあんなところにいたんだろうな。自分でも、こんなに歩いたとは思っていないかもしれない。


 聖も御用達のスーパーたまこ。店の前まで行くと、焦った表情で何かを探している大人の女性が一人いた。きっとお母さんだろう。


「まりちゃん、あれ」


 俺がその人を指差すと、まりちゃんの表情はぱあと明るくなってそのまま駆け出してしまう。お母さんと再会したまりちゃんはそのまま抱きついて泣き出してしまった。お母さんは事情を何となく察したのか、こちらを一瞥してペコリとお辞儀をしてくれた。俺もシャロも同じように返す。


 歩いて行ってしまう親子を見ながら、何となく懐かしい気持ちになった。俺はあまり親に甘えるとかはしてこなかったけれど、聖が母さんにべったり甘えている光景をよく見ていたから。聖にもあったなあ、あんな時代が。


「やるねえ、幸介くん。見直したよ」


 肘でうりうりとつついてきながら、シャロは弾んだ声でそんなことを言ってくる。別に大したことはしていないのだけれど、人助けをしたと考えると気持ちもいいものだ。


「妹がいるからな、小さい子の相手は慣れてるんだ」


 つっても、そんなに歳も離れてないんだけど。親のいない時によく一人で世話したもんだよ。泣きわめく聖をあやすのにどれだけ苦労したことか。当時のことを思い出して、俺は改めて自分を褒めてやりたいと思った。


「ところで幸介くんは今学校の帰り?」


「見ての通りだけど」


 学校指定の学ランに紺色のズボン、その上からマフラーを巻いてはいるものの、完全に制服なのでそこから察してはいただけるだろう。今日も面倒な授業を乗り切ってこうして自宅に帰還しようとしているのだ。


「じゃあちょっと付き合ってよ。一人でご飯食べるの味気ないと思ってたんだ」


俺の答えは聞かずに、ルンルンと鼻歌を歌いながら前へとスキップで進み始める。何の歌かは分からないけど、クリスマスソングなのは確かだ。この時期になるとふと耳にするメロディだった。


「……まあ、別にいいけどさー」


 なんて言いながら、俺も後から数歩遅れてついていく。そんな俺を横目で見て、乗り気でないことが気に食わなかったのか、俺のところまで戻ってくる。


「なにさなにさ、こんなに可愛い女の子と一緒にランチができるんだよ? こんなに嬉しいことってないと思うけどなあ」


「あーはいはい、そうですね恐悦至極」


「……難しい言葉使わないでよう」


 光栄の至りは別に難しい言葉ではないけどな。不服げな呟きを漏らしながら、気を取り直して商店街を進む。何を買おうか悩みながらキョロキョロしていたシャロが何かを見つけて足を止めた。


「どうした?」


「あれ、何か困ってるみたい」


 シャロが指を差す方を見てみると、子供が木の上を見上げていた。何を見ているのかと思えば、木に風船が引っかかっている。何かの拍子に手を離してしまったのだろう。大人が手を伸ばしても届くような高さではないので、俺達が行っても解決は出来なさそうだけど。


「ねえ幸介くん」


 名前を呼ばれてシャロの方を見る。シャロはこっちに視線はくれずに、まっすぐ子供を見つめたままだった。


「あの風船、わたし達じゃ取れないね」


「ああ。どうにかするっつったら新しいのをあげるくらいしか思いつかないな」


 仮に許されてシャロを肩車でもしたとしてもあれは届かない。俺達に出来ることは何もないだろう。それこそ、空飛ぶひみつ道具でもあれば話は別だろうが、ここは夢の世界ではない。


「もしも……そう、もしも。例えばの話だけどさ、あの風船をわたしが見事取ってあの子に笑顔を取り戻せたとしたら、それは奇跡と言えるかな?」


 まただ。


 あの時と一緒。真剣な眼差し、声色、そして意思がしっかりと伝わってくる。シャロが自分が魔法使いだとか言い出したときと同じ、彼女の覚悟の表情。


 彼女から発される異様な空気に、俺もいつもの調子では返せない。


 もし仮に、あの風船を取ることが出来たとするのならば、それはどんな手を使おうが奇跡と言えるのではないだろうか。それが科学の技術であったとしても誰かの手を借りたとしても、それが魔法であったとしても。


「まあ、言えるんじゃないか。出来ないことを成し遂げたのなら、それは奇跡だろ」


 シャロの言葉の真意を、俺はまだ分からないでいた。そんな俺の心中など知らないシャロは、こちらを一瞥してから子供のもとへ向かった。俺も少ししてから後を追う。


 距離があるので、シャロと子供が何を話しているのかは聞こえない。自己紹介でもして何があったのかを尋ねている程度だろうが。シャロは雰囲気が何となく柔らかく、優しいオーラがある。それは俺が接していて感じたことだ。だからだろうか、子供にも好かれるようだ。さっきのまりちゃんも、シャロには気を許しているようだったしな。


 何かしらの事情で風船が木に引っかかってしまったことを聞き終えたシャロは、風船を指差す。あれを取ってあげるとでも言っているのだろうか。言うだけなら簡単である、だけどあの高さにある風船を取るのは至難の業だろう。しかしシャロのあの口ぶりからして、何か考えがあるのは確かだ。


 あいつは、どうやってあの風船を取るというんだ? まさか本当に――。


「……え」


 その時、俺は信じられない光景を目撃した。


 それはまさしく奇跡と言えた。いや、より正確にその光景を言い表すのならば、魔法と呼ぶに相応しいものだった。


 何をしたのかは分からない。何が起こったのかも分からない。ただ一つだけ分かること、それは風船がひとりでにシャロの手元に移動してきたということ。自然の摂理などをすべて無視して、有り得ない現象が目の前で起こったのだ。


 周りを見る。人は通っておらず、その光景を見た人は俺以外にいない。あの子供でさえ目を瞑って何かを祈っていたため見ていない。夢ではない、頬をつねって痛みを感じることで俺はそれを再確認した。分かっているけれど、信じられない光景を目の当たりにした時はどうしてもそんなくだらないことをしてしまう。


 驚きのあまり、その場で立ち尽くして声も出せずにいた俺に、いつの間にか子供と別れたシャロが駆け寄ってきた。


「幸介くん?」


 ぼーっとしていた俺は、シャロが至近距離まで帰ってくるまで気づかなかった。何度か声をかけられてようやく我に返る。


「……なんだったんだ今の。何をした?」


 余計な話はなしにして、単刀直入にさっきのことを聞く。正直言って、説明されても理解できるとも思えないけれど、でも聞かずにはいられない。もちろん、それを聞かれることも分かっていたのだろう、シャロも笑って俺を見た。


「魔法だよ。言ったでしょ、わたしは魔法使いだって」


 周りに誰もいないことを確認してから、シャロは大きな声は出さずに俺にだけ聞こえるように話し始めた。


「だけど、信じてはいなかったよね。当然だよ、突然魔法だとか言われても、こいつ何言ってんだって感じだよね?」


「いや、まあ……」


 おおかたその通りのリアクションをしていたので、返答に困った俺を見てシャロは分かっているよとうんうん頷いている。


「だから、信じてもらえるように見せてあげたんだよ。わたしが魔法使いだってことを分かってもらうためにね。おかげで信じたでしょ?」


「信じられねえよ、今でも。自分の目の方を疑う」


 人間いざ実際に有り得ない光景を目の当たりにしたとき、そうそう信じられるものではないようだ。現実逃避ではないけれど、夢なのではないかとか、目がおかしいのではないかと本気で考えてしまう。


「幸介くんってば、ちょっと捻くれちゃんだね。少年の心を忘れちゃいけないんだよ? あれを見ても、まだ魔法の存在を信じられないっていうの?」


「……受け入れられないんだよ。起こったのが現実離れした光景なのは分かってるけど、脳がそれを処理しきれてないんだ」


 俺の言葉を聞いて、シャロは想定していなかった事態にオロオロと取り乱す。


「えと、えっと……」


 どうしようかどうしようか、と劇場版の猫型ロボットのような取り乱しを見せた後に、自分の考えをまとめ上げたシャロは、仕切り直すようにこほんと咳払いを見せる。


「まあ、たしかにいろいろと言い過ぎると脳のキャパシティを超えるもんね。うん、わかった。もしも受け入れることが出来て、気になることがあったら、その時はもう一度お話してあげるから」


 俺の混乱を察して、これ以上のことは話すことを諦めたようだ。これ以上のことがあるとは思えないが、俺も一旦考えを整理したいと思っていたのでありがたい。だけど、最後にどうしても聞いておきたいことがある。


「なんで、魔法使いだってことを俺に見せたんだ?」


 俺の知っている魔法使いというのは、あくまでフィクションの世界での存在でしかないけれど、自分の存在を隠しているパターンが多い。自分の力が世間に知れてしまえばパニックになる。その力を悪巧みに使おうと企む奴だって現れるかもしれない。だから魔法使いというのは、正体を隠す。


 なのに、シャロはどうしてそんあリスクを負いながらも俺に正体を明かした?


「なんでって、ただ知ってほしかっただけだよ。できれば信じてほしいけど、まあわたしの自己満足みたいなものかな。お願い事、叶えてあげられるんだよってことを知ってほしくてね」


 シャロは首をこてんと倒して、そんなことを言う。何言ってんだと言わんばかりの言い草だったが、そんなことを言われる方が心外である。俺はただ犬から助けただけだ、それだけ。魔法を使って願いを叶えてもらえるようなことはしていない。


「おっと、そろそろ休憩時間が終わっちゃう……なにも食べれなかったなあ」


 時計を見て、シャロは思い出したように声を出す。そういえば休憩の途中だとか言ってたな。俺もいろいろあってすっかり忘れていた。急ぐようにその場で足踏みを始めるシャロは俺の方を向き直る。


「それじゃ幸介くん、また話半ばで悪いけどわたしは行くね。きっとまた会えるだろうから、そのとき話の続きをしよう」


 じゃあね! と手を上げてシャロはタタタっと行ってしまう。一緒にご飯食べようと誘っておきながら一方的に行ってしまうとは、全く忙しい奴だ。


「……帰るか」


 とりあえず家に帰ってから考えよう。ここ数日でいろいろとありすぎて、さすがに俺の脳も許容容量を超えている。休んで、改めて考えることとする。今ごちゃごちゃと考えてもまとまる気がしないしな。


 魔法使い。


 改めてさっきのシャロの見せた光景を思い返す。だけど、やっぱり現実で起こっていたこととは思えなかった。でも、本当は分かっていたんだと思う。シャロが魔法使いだということは。


 それだけのことが、目の前で起こってしまったのだから。


 なによりの問題は、魔法という存在がこの世界に存在しているということではないだろうか。

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