第1章 ③『サンタクロースとの再会』


 女の人の悲鳴が聞こえた。しかし周りに悲鳴を上げるような状況にいる女の人はいない。どこからか助けを求めて声を上げたのだ。別にここで助けに行く義理なんてないし、寒いからさっさと家に帰りたいのはやまやまだが、そういうわけにもいかない。


 聞いてしまったのも事実。助けを求めている誰かを見捨ててしまった兄を、妹である聖は誇ることが出来ないだろうから。聖にとって、自慢できるような兄でだけはいたい。


 誰も見ていないから見逃しても分からない。言い訳はできる。でもダメなんだ、何よりも自分自身が見ているから。自分に嘘をついてはいけない。


 俺は自転車の方向を変えて、悲鳴の聞こえた方に向かう。とはいえ、場所が分かっているわけでもないので、あくまで憶測という形になるのだが、それでもおおよその場所を予測することは出来る。


 商店街の途中にある道を進むと人気のない裏路地へと入る。不良の溜まり場にもならないような地味な場所であるため、ゴミなどが不法投棄されている。こんなところに人がいるとするならば、どうしてこんなところに来てしまったのか問いただしたいところだが。


「……あいつは」


 自転車を置いて裏路地の方へと入る。すると、そこに一人の少女がいた。見たことのある銀髪の少女。赤い服を着たその少女は、昼間に見たバイトに励むサンタクロースのお姉さんだった。


 なんでここにいるんだ。


 そんな疑問も浮かんだのだが、状況がさらに分からない。サンタクロースは三匹の大きめの野良犬に囲まれている。まるで不良に集られているようだ。


「あ、きみは!」


 俺の存在に気づいたサンタクロースは嬉しそうにぱあっと表情を明るくした。俺が来ても状況は何も変わらないかもしれないというのに、なにその信頼。


「た、たすけてえええ……」


 涙混じりの声に、俺はどうしたものかと唸る。そうこう言っているうちに野良犬はじりじりとサンタクロースに詰め寄っている。「ひ……」と小さく悲鳴を上げながら、うるうるした瞳を俺に向けてくるものだから、さすがに何かしないわけにはいかない。


 手に持っていた買い物袋の中から、俺はおやつにと買っておいたソーセージを取り出し、そのまま野良犬に見えるところに放り投げる。においに反応してか、野良犬はそのソーセージに気づいて、そっちの方に飛びつく。


「……」


「なにやってんだ! 今のうちにこっちに来い!」


 呆気にとられながらぼーっとしていたサンタクロースに、俺は声をかける。大きな声は野良犬を威嚇する可能性もあったが、サンタクロースが動かなかった以上こうするしかない。何とか野良犬には気づかれなかったようで、サンタクロースは忍び足で

こちらに来る。


「ほら、いくぞ」


 サンタクロースの手を引いて、そそくさと裏路地を後にする。


 野良犬はソーセージに夢中でもはやこちらに興味一つ示さない。さっきまではグルルグルルと唸りの的となっていたサンタクロースがいなくなっても気づいていない。数少ないソーセージを奪い合うように喧嘩している。逃げるにはもってこいの状況だ。


「……あ、ありがと」


 しおらしく言うサンタクロースの様子が、昼間の姿とはあまりにも重ならなくて困惑してしまう。さっきの感じからして、俺のことは覚えているのだろうか? ただ単純に人が来た的なリアクションだったのか。まあ、バイト中にティッシュを配った相手を一人ひとり覚えてるわけもないか。


 どうでもいいが、ソーセージはあとで弁償してもらおう。


 裏路地を抜けて少し離れた場所に置いていた自転車を拾う。万が一にも野良犬がサンタクロースの存在に気づいてしまったら追いかけてくる可能性も否めない。ここは一刻も早くこの場を離れるべきだろう。


「とりあえず話は後だ。ここを離れるから自転車に跨がれ」


 俺が先に跨がり、後ろをポンポンと叩く。ここに乗れという意思表示だったのだが、それが伝わらなかったのか、サンタクロースは首をこてんと傾げる。


「なにやってんだ?」


「わたし、その乗り物乗ったことないんだけど、安全性とかそういうのって大丈夫なの?」


 訝しむ視線を自転車に向けながら、サンタクロースはそんなことを言う。いや今そういうこと言ってる場合じゃないから。気持ちは分かるからなんとも言えないけど。自転車って初見は結構危なそうな乗り物だよな。二つの細いタイヤだけで立ってるんだもん、信用は出来ないのも頷ける。


「大丈夫だから」


「……そう?」


 表情から伺える不安は拭い切れておらず、あくまで自転車に対して不信感を抱きながらサンタクロースはおずおずとこちらに近寄ってくる。どう乗っていいのか分からないようで、俺の方をちらと見てくる。


「まあ、好きに乗ったらいいよ。いいから急いで」


 俺が急かすと、サンタクロースは恨めしそうに俺を睨みながら渋々といった調子で後ろに乗る。跨がりはせずに両足は片方にぶら下げている。俺がいつかやりたかったシチュエーションランキング第四位が、こんな形で叶うとは。


「しっかり掴んでろよ」


「わたしほんとにこの乗り物初めてだから! そこのところきちんと理解した上でおねがいねっ!」


 今のところ野良犬が追ってくる気配もないので、サンタクロースの要望通り安全運転でその場を離れる。二人乗りって怖いもんね、自分ではどうしようも出来ない後ろの席は尚の事だよね、うん痛いほど分かる。


 だからあくまで安全運転を心がけて俺はペダルを回すのだった。

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