第1章 ②『佐倉 聖』
今日日、家に両親がいないなんてシチュエーションは創作物の中では使い古された設定でしかなく、実際にそんな状況があるのかどうかと言われれば、俺は声を大にして言うことが出来る。
イエス、と。
「ほら、こーすけ。もうすぐ出来るから準備して」
コタツの中で丸くなって特に見たいわけでもないニュース番組を観る俺に、キッチンに立つ妹の聖が俺の名を呼ぶ。
佐倉聖。俺こと、佐倉幸介の出来た妹である。
純正の黒髪ミドル、前髪は髪留めで纏められており、小さなおでこが顔を出している。俺は父親似であるが、聖は母親に似て美人だと、兄から見てもそう言える。ぱっちり開いた目に整った鼻、小さな唇。身長もそこまで高くないのは当たり前だ、聖はまだ中学の一年生なのだから。
部屋着である羊のようなモコモコした上の服に下はショートパンツを穿いている。上の服の丈が長いため下に何も穿いていないようにも見える。我が妹ながらその歳からそんなこと覚えちゃダメよ。
現在晩御飯を調理中の聖はその上からピンク色のエプロンを装着している。俺が中学生の時に家庭科で作ったものだ。不細工で出来も悪いが、それでも聖は今でもそのエプロンを使ってくれている。そろそろ自分でも作るだろうから、役目もそれまでだろうが。
「もう、だらだらしてないで!」
キッチンから出てきて、聖は俺の元までやって来る。キッチンとリビングは繋がっており、ここまで来るのに何の労力も消費しない。
佐倉家はそこまで大きな家ではない。一軒家で、一階にはリビングやキッチン、バスルームにトイレといった日常生活を送るスペースに加えて両親の部屋。二階に上がると俺と聖の部屋が一つずつ。あとは物置がある。とはいえ、今現在両親は家にいないので、この家を俺と聖二人で使うことになっているのだが、そう考えると少し広いようにも思える。
「あいあい」
渋々起き上がって、俺は聖の後を追うようにキッチンへと向かう。調理を再開する聖の背中に冷蔵庫やらがあるのだが、その並びに食器棚がある。そこから二人分のコップやらお茶碗やらを取り出した。
両親は、仕事で家を空けている。正確に言えば、転勤する父親に、母もついていったというべきだろう。
俺の父親は、そこそこのダメ人間である。そう言うと屑な野郎と勘違いをされるのだけれど、それとはまた意味が違う。分かりやすく言うと仕事人間。仕事は出来る方だろう、だが仕事以外がどうにも出来ない。料理やら洗濯やら、生活必需スキルが少し欠けている。それを心配して母が転勤先に同行する形で収まったのだ。
こんなことを言うのも何だが、ラブラブなのであまり離れたくなかったのもあるだろう。子供の目の前では少しは自重してほしいものだけれど。
「あ」
お皿を並べている時、そんな声が聞こえた。ここには俺と聖しかいないので、もちろん聖の声なのだけれど、そのあまり聞きたくないタイプの声に、俺は確認を取るしかなかった。
「どうした?」
確実に、やらかした時に漏れるタイプの声だった。現に、聖はあちゃーといった様子で冷蔵庫の中を再度確認しているのだから間違いない。
「牛乳がない。今日はハンバーグの予定だったから必要なのに」
むむむと、唸りを見せる聖の姿は珍しい。たまにミスをすることはあるし、それも大したことないような失敗なのだが、聖はそれをあまりよくは思っていない。中学一年生ながら素晴らしい考え方である。お兄ちゃんも見習わないと。
「全くないの? 一滴も?」
まあ、一滴あったところで問題は解決しないんだけどね。
「全くない。一滴もない」
真剣なトーンで答える聖の表情は、仕方ない買いに行くかという考えが汲み取れた。外は既に暗い。さすがに女の子一人が出歩くとなると危ないだろう。コンビニまでは徒歩でも五分かからないがそれでも危ない。
仕方ない買いに行くか、は俺のセリフだったようだ。
「じゃあ、ちょっと行ってくるわ」
言って、俺は立ち上がる。そんな俺の行動を見て、聖はぱあっと表情を明るくした。さっきまでの暗い顔など微塵も感じさせない眩しさである。
「ほんと? やったありがとー」
まるで、こうなることが分かっていたような。
「……やっぱお前行くか?」
聖はたぶん空気の読める奴だ。俺は家での様子しか知らないが、恐らく学校でも上手くやっているのだろう。それは単純に、周りの視線や感情に敏感だとも言える。聖は俺の妹に対する気持ちをきちんと理解しているのだろう。
夜に出かけるのは危ないから俺が行く、と言い出すことさえ予測していたのかもしれない。今までにだってこういうことは多々あった。もし仮にそうなのだとしたら、ある意味将来が心配だ。男を手玉に取る悪女になったりしないだろうか?
「いやいや、中一の女の子がこんな夜遅くに出かけるのは危ないよ」
「夜遅くって言ってもまだ七時にもなってねえぞ」
そういうのは自分で言っちゃあダメなんですよ覚えておきなさい。
「外は暗いし、十分夜遅いよ」
聖のほうが一枚上手だったようで、結局俺が買い出しに向かうこととなる。さすがに部屋着のままでは寒いので、自分の部屋に上着を取りに行く。いくらコンビニまでといっても薄着で行ったら凍える。
お金を持って玄関まで向かう。座って靴を履いていると、リビングの方からとてとてと廊下を走る音がする。振り向くと、何かを手にした聖がこちらに駆け寄ってきていた。
何やら嫌な予感。
「なに?」
「これ、ポイントカード」
はい、と俺に紙切れを渡してくる。ポイントカードというよりは、どうやらスタンプカードのようだ。どこのものかは見覚えがないので分からないが、少なくともコンビニのものではないことは確かだろう。
そしてカードを渡してきたということは、暗に店を指定されたようなものだ。問題
は、これがどこのものかなのだが。
「なにこれ」
「スーパーたまこのスタンプカードだよ」
スーパーたまこは聞き覚えがある。佐倉家行きつけのスーパーだ。安い安いと地元の主婦から愛されているらしい。だけど、スーパーたまこは商店街の方にある。徒歩五分圏内ではない。自転車を出さなければならないレベルの距離だ。
「いや、俺はコンビニに……」
「ダメだよ、たまこの方が安いんだから」
「いや、でもさすがに閉まってるんじゃないのか? ほら、スーパーって閉まるの早いイメージだし」
さすがに七時前に閉まるようなスーパーなどありはしないだろうが。言うだけ言ってみたものの、しかし聖にはそんなもの通用せずに笑って即答される。
「たまこは八時までやってるからだいじょーぶ」
「……さいですか」
仕方ない。主婦モードの聖には逆らえまいよ。これはお兄ちゃんが寒い思いをすれば済むだけの問題である。不毛な言い合いなど無駄でしかない。
「寒いから暖かくしてくんだよ?」
「それを気遣えるんならコンビニで済まさせてくれ」
マフラーを巻いて、ドアノブに手をかける。聖に言われて俺は無駄だろうが最後の抵抗を見せてみる。まあ、無駄なんだけどさ。
「いってらっしゃい」
聖に見送られて、俺は家を出る。予想通り、否、予想以上の寒さにもう家に帰りたい。数歩下がればそこは温かい家である。わざわざこんな寒い中出かける必要が本当にあるのだろうか、ちょっとでも油断すれば欲に負けて家に帰ってしまいそうだ。
そんなことをしても聖が困るだけなので、冗談はさておいて自転車に跨ってペダルを回す。少し漕いでいるとだんだんと体も暖かくなってくる。しかし、風に吹かれる顔はどうしても寒い。さっさと行ってしまう。俺はいっそうペダルを漕ぐ足に力を入れた。
前に進むこと五分弱。商店街にたどり着いた俺は自転車を止めてスーパーたまこの中に入る。店内は暖かく、冷え切った体に温度を取り戻してくれる。あまり来ることもないので、何がどこにあるのか分からない。うろうろと店内を徘徊して牛乳を発見する。
「ここまで来て牛乳だけ買って帰るのもなー、なんか適当に買おう」
お菓子コーナーまで行って適当にポテトチップスやらチョコレートやらをカゴに入れる。小腹が空いたときに役に立つのがお菓子だからな。といっても、気を抜いていると聖が知らないうちに食べてしまうんだけど。
あれよこれよと買っていると、荷物が少し多くなってしまった。自転車のカゴに荷物を入れて、さっさと家に帰ることとしよう。
この時間の商店街は夕方に比べて人の通りも減っている。ちらほらとは見えるもののスラスラと自転車で進むことが出来た。
まもなく商店街も抜ける、そんな時だ。
「きゃああああああ!」
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