第8話
何となく応対する気になれないままベッドに横たわっていると、鏡の方から「おおい、いないのか?」と弱り果てた男性の声がした。
「なあ、頼むよ、出て来てくれよ」
あまりに情けない声を放っておけず、ユリアが鏡の前まで行くと、男性が息せき切って話しかけてきた。
「ああ良かった。繋がった。今日はどうしても君に相談したいことがあるんだよ。実は――」
「ごめんなさい、今はちょっと相談に乗る気にはなれないわ。ううん、本当は、元からそんな資格はなかったのよ」
「資格? 一体なんのことだ?」
「実はね、私、婚約者と上手くいってないのよ」
ユリアの言葉に、鏡の向こうから息をのむ気配が伝わってきた。
「そうだったのか……ごめん、今まで俺の方が相談するばかりで悪かったな」
「ううん、そんなの。私が話さなかったんだもの」
「それで、どんな事情なんだ。俺も一応男性側の立場でアドバイスできるかも知れないぞ」
「残念ながら、相談してどうにかなる問題じゃないのよね。だけどそうね……誰かに全部聞いてもらいたい気分だわ」
ユリアは鏡の中の男性に、これまでの経緯を洗いざらい打ち明けた。
男性はちょいちょい質問を挟みつつ、熱心に耳を傾けていたが、話が終わると妙な疑問を口にした。
「ひとつ確認したいんだが、そいつは本当にそのピンクの女性が好きなのか?」
「それは絶対間違いないわ。本当に態度がぜんぜん違うんだから。貴方だってその場にいれば分かるわよ」
「そいつは君が好きだからこそ、君の前ではあえて仏頂面をしていたということはないか? ……その、君に好意を持たれるために」
「馬鹿馬鹿しい、仏頂面をされて好意を持つ女がどこにいるのよ」
「それは……いるんじゃないのか? その、無口でクールな男が好みの女性とか」
「そうね、そんな特殊性癖の女性もいるかもね。だけど私はそういうタイプじゃないの。話すのが苦手な人だと思っていたから許容してたけど、話せるのなら気さくにしゃべってくれた方が百倍良いわ」
「だとしても、そいつは君がそういう男が好きだと勘違いしていたのかもしれない」
「そんな奇天烈な勘違いをする理由がどこにあるのよ」
「そのことについてなんだが……君はもしかして……」
「え、なに?」
「その……前から思ってたんだが……君は……いや、やっぱりこんな形じゃ駄目だ!」
男性はそう言うなり、鏡の前から掻き消えた。
ユリアはしばらくそのまま待っていたが、帰ってくる気配がないので、ベッドに戻って倒れ込んだ。
(なにか用事でも思い出したのかしら)
こんな状況で人を放り出していくなんて、と腹立たしくはあるものの、考えてみれば仕方のないことだともいえる。なんといっても彼とは互いに名前すら知らない赤の他人同士なのである。
彼には彼の生活があるし、ユリアの優先順位が低いのは当然のことと言えるだろう。
(あの人には大切な婚約者もいることだし、私なんかどうでもいいわよね)
そう考えると、なにか言いようのない寂しさがユリアの内からこみあげてきた。
楽し気に話すアンドリューを見た時とはまた別の、なんともいえない寂寥感。
もしかして、自分は鏡の中の男性に惹かれ始めていたのだろうか。
顔も名前も知らない、婚約者のいる男性に。
パートナーのいる相手を好きになるなんて、これではアンドリューを笑えない。
ああそれにしてもアンドリューを一体どうしよう。
婚約を破棄するべきか、せざるべきか。
いつしかユリアは悩み疲れてそのまま眠り込んでいた。
そして二時間ばかりうとうとしたのち、早朝になって侍女にたたき起こされた。
「起きて下さいお嬢さま、お客さまがお見えです」
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