もつれた糸
みよしじゅんいち
もつれた糸
「この子に釣竿を買ってやりたいんだが」と、お父さんがお店の人に声をかけた。それでこれから釣りに行くんだと分かった。
その日の授業中、窓の外を見ているとお父さんが小学校にやって来た。「先生には言っておいたから大丈夫だ。帰るぞ」と僕を車に乗せた。もしかして家族の誰かに何かあったのかな。心配したけど、ちょっと釣りに行きたくなっただけだったんだ。お父さんは釣りが好きだった。僕は釣りに行くのがはじめてだった。
「ご希望はありますか?」と、お店の人がお父さんにきく。
「磯竿を見せてくれ。そこの堤防からウキ釣りをするんだ」
竿とエサを買って、堤防でお父さんと並んで釣りをした。風が冷たいと言うと、大きすぎるウインドブレーカーを僕に着せた。言われるままシカケを投げてリールを巻く。そうしたら手ごたえがあった。
「お父さん、魚がかかった!」
「――残念。これはネガカリだな。海藻とかに引っかかって取れなくなっちゃうこと」竿を確かめてお父さんが言った。
糸を切ってもう一度シカケを投げる。リールを巻いていると手ごたえがあった。
「お父さーん、またネガカリ」
「うん。たしかに――。いや、動いてる。これは大物だぞ」
結局その日釣れた魚の中でそいつがいちばんの大物だった。
「すごいな。はじめてなのに」みんなが僕をほめる。魚は好きじゃなかったけど、その日の晩に食べた大物の煮つけはおいしかった。
次の土曜日、また釣りに行った。お父さんの友達のハマサキさんも一緒だった。僕が投げようとすると、ハマサキさんの竿にシカケが引っかかった。
「オマツリだな」お父さんが言う。「オマツリっていうのは、自分の糸がほかの人の糸と絡んじゃうことだ」
「ごめんなさい」
「次は気をつけようね」糸をほどきながらハマサキさんが言う。
何度か魚を釣っているうちにコツが分かってきた。ウキがピクンと動いたら魚がエサを食べようとしている証拠だから、そこで釣竿をくっと引く。そうすると針が魚にかかる。あわてちゃいけない。上手に竿の先を持ち上げる。のんびりしててもいけない。竿を戻しながらリールを巻く。
「どうだ。魚とお話をしてるみたいで面白いだろう。かけひきが大事なんだ」とお父さんが言う。「母さんと知り合ったのも、こうして釣りをしているときだった。釣りはお前の大好きだった母さんが教えてくれたんだ」
炭をおこして網で魚を焼いて食べる。「海の中には別の世界がある」とお父さんが言う。「釣り糸がふたつの世界を繋いでくれるんだ」お父さんはビールを飲む。
「ちぇっ。ウキの下、長くしすぎちゃったかな。またネガカリだ」お父さんを見るとクーラーボックスの中身を肴から魚に入れ替えるのに忙しそうだった。ハマサキさんに見て貰うと、僕の竿が糸に引かれて動いた。もしかしてまた大物? でも、そのあと変なことになってしまった。
「スズキさん、これ変なんです。見ててください」ハマサキさんが竿を一回引くと、一回引き返す。二回引くと、二回引き返される。まるで糸の向こうに誰かいるみたいだった。
「何だろう。ダイバーか何かのイタズラかな」
「えっと。じつはおれYouTuberやってるんですけど、これ動画にしていいですか」
ハマサキさんが糸を引いたりゆるめたりして、水産高校で習ったというモールス信号を試す。信号が返ってくる。「うわ、伝わってる」とハマサキさんが驚く。酔いのまだ残っているお父さんが空のプラコップの底に穴を開ける。
「モールス信号じゃ時間が掛かるだろう。ちょっと糸電話で話せるかどうか聞いてみてくれ」お父さんが割り箸とプラコップと釣り糸で即席の糸電話を作る。
「イトデンワ、タメセルカ?」ハマサキさんが釣り糸にモールス信号を送る。
「イイヨ」と返事がくる。
糸電話に「こんにちは」と言ってみる。耳をすましていると、プラコップの中から「こんにちは」と声が返ってくる。ちょっと怖くなってきた。何だろうこれは。水中で誰かが話しているとは考えられない。それだと声がボコボコの泡になって上手く聞こえないはずだ。みんなモヤモヤしていたけど、日が暮れてきたので、その日は細工した糸をボラード(船のロープを繋いでおく奴)に引っかけて帰ることにした。また明日話そうと相手の人に約束をした。
次の日、堤防にテレビ局のワゴンが停まっていた。ハマサキさんの動画を見て取材に来たらしい。ディレクターの人がお父さんに名刺を出して挨拶する。お笑い芸人の人が海にもぐって糸の先を確かめたら、何か海底に生えた細いパイプ? の中に糸が入って行ってる映像が撮れた。これどうなってるんだ。みんな首をかしげていた。
番組スタッフの人が糸電話の向こうの人(ササキさんという名前の人みたいだ)に取材する。ササキさんは池で釣りをしていて糸が引っ掛かってしまったらしい。あっちでも話題になって、ニュースとかで取り上げられているのだそうだ。でも、こっちの人はみんなそんなニュース聞いたことがなかった。そもそも、この辺りにそんな池はないはずだった。
お父さんが自己紹介とかをしていたとき、ササキさんがとんでもないことを言い始めた。僕のお母さんがあっちの世界、それも池の近所にいるのだと言う。お母さんは何年も前に病気で死んでしまっていた。それがもし本当だとするとあっちは、あの世なのかもしれなかった。
「あの世とこの世のオマツリか。それはすごい」とディレクターの人が言って、僕がお母さんと糸電話で話すことになった。声は僕より年下みたいだった。僕とお父さんしか知らなそうなことを色々知っていた。本当のお母さんみたいだった。何を話したらいいか分からなかった。「そっちの世界で亡くなった人は、こっちの世界に生まれ変わるみたい」とお母さんが言った。みんなが前世の記憶を持っている訳ではないらしかった。
番組はSNSで拡散されて日本中の話題になった。気味が悪い、穴をふさいでくれ。亡くなった身内を探してほしい。たくさんの声がテレビ局に寄せられた。
お母さんと話せて嬉しかったけど、声をきくと顔を見たくなる。どうにかしてお母さんに会えないだろうか。考えながら釣具屋に行く。電飾のキラキラが気になってハロウィングッズのコーナーで立ち止まった。光る糸たばの先を見ているとお店の人が「これかい? ふつう光ファイバーで作るけど、釣り糸でも代用できるんだよ」と僕に声を掛けた。
「ねえ、お父さん。光ファイバーって通信で使うやつでしょ。もしかしたらあっちの世界と釣り糸で光通信できないかな?」
お父さんに言ってディレクターの人に提案してみる。「面白い。ただ、途中から別の糸なんだよな。――光ケーブルを引き直してみるか」さっそく準備が始まる。が、何かのはずみで糸が幻のように切れてしまった。スタッフが潜ってパイプを掘り起こす。何でもない、ただのさびた金属パイプだった。どこにも繋がっていない。
誰かのイタズラ、インチキだったんじゃないかと学校のみんなが言う。お父さんも釣りに行かなくなってしまった。みんな興味が薄れていく。またいつかあっちの世界と繋がったりしないかな。そう思いながら僕は一人で釣りに行くようになった。
三十年後。大好きだったおじいちゃん(僕のお父さん)が死んでしまったので、息子が寂しそうにしている。ある日、僕は息子を連れて釣具屋に行く。そしてお店の人に声を掛ける。「この子に釣竿を買ってやりたいんだけど」
もつれた糸 みよしじゅんいち @nosiika
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
いつかの日記/みよしじゅんいち
★0 エッセイ・ノンフィクション 連載中 1話
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます