魔女は砂糖の味がする。

 レクシーさまとの同居は、慣れてしまうと案外楽しいものだった。

 朝昼晩、レクシーさまは美味しい食事を作ってくれるし、休憩時間には甘いお菓子を出してくれる。

 貸してくれた部屋も、広くて綺麗で、ベッドもふわふわで安眠できた。


 私の仕事である掃除は、大変ではあったけど、休憩を長くとっていてもレクシーさまは何も言わないし、それどころか魔法で手伝ってくれるときもあった。

 それに、魔女の屋敷ということで、私みたいな田舎娘では一生見ることがなかったであろう、珍しいものや高級なものがたくさんあり、冒険みたいだった。


 なにより、レクシーさまとのお喋りが楽しかった。

 相性が良いというのは、本当なようだった。

 どうでもいい話で、長い間会話が続く。まあ、レクシーさまの会話のセンスがいいんだろうけど。


 そんな感じで、私は楽しく過ごしていた。



 でも、ひとつだけ、気になることがあった。

 レクシーさまの体調が日に日に悪くなっているということだ。



 *



 そんなある日のことだ。

 体調が悪いのか、レクシーさまが起きていなかったので、私が朝食を作っているときだった。


 寝間着のままレクシーさまは、キッチンへやってきた。

 いかにも体調が悪いです、という顔の色をしていた。


「レクシーさま?! 具合が悪いなら、横になっていてください!」


 慌てて私はレクシーさまに近づく。

 そんな私を見て、レクシーさまは、何故か笑った。


 そして。


「代替わりよ、ジェシカ」

「え……?」


 顔色の悪いレクシーさまは観念したように、意味不明なことを言った。


「私はもうすぐ死ぬの」

「何を言ってるんですか……? 冗談ですよね……?」

「冗談じゃないわ、本当よ」


 いつもみたいに、冗談を言う口調で言うものだから、信じることができなかった。


「私の命はもう終わり。命がつきる前に、魔女の役目を誰かに引き継がないといけないわ」

「そんな……」


 偉大な魔女さまが、もうすぐ死ぬ。

 その魔女さまの代わりを、誰かがしないといけない。


 無理だ。

 英雄の役目を引き継げる人なんて、いるわけがない。


「ジェシカ」


 深海のような声で、レクシーさまが私の名を呼ぶ。

 ぴくり、と肩がはねる。


「次の魔女は、貴女よ。ジェシカ」


 全てを見通すような浅黄色の瞳を、私に向ける。


「そんなわけ、ないです」


 魔女の役目を負うことなんて、できるわけがない。

 だって私は、ただの田舎娘だ。魔法も高い意識もない、普通の女にすぎない。


「そんなわけあるのよ。貴女は、魔女の素質が認められたの。

 魔女はね、終わりを悟るのと同時に、跡継ぎの少女のことも直感的に理解するの。私の場合、それがジェシカだったわけ」

「なんで私が」

「知らないわ。神さまにでも聞いたらいいんじゃないかしら?」


 レクシーさまは、無茶なことを言ってはぐらかす。


「それに、証拠だってあるのよ。ほら、初めて貴女と会ったとき、聞いたじゃない。

 ――――貴女はどんな味の魔女が好みかしら?って」

「……っ!」

「魔女は跡継ぎの少女の望んだ味に、身体が勝手に変わっていくの。貴女が砂糖なんて言うから、今の私は砂糖菓子よ」


 だから、『魔女の身体はだ』って、レクシーさまは言ったんだ。

 跡継ぎの少女の望みによって、身体の味が変わる、特別製。


「でも、どうして、そんな変化が起きるんですか……?」

「簡単なことよ。魔女は、先代の魔女を喰らって、魔女の力を手に入れるの。食べやすいようにって気遣いなんじゃないかしら?」

「……っ!」


 先代の魔女を喰らって、魔女の力を手に入れる。

 ということは、つまり――――。


「……私は、レクシーさまを食べないといけないってことですか?」

「そういうことよ」


 レクシーさまは、淡々と言う。

 現実を受け入れられない私と、現実を受け入れているレクシーさまの温度差は、ひどく痛かった。


「食べないと、駄目ですか? 食べる以外に方法はないんですか?」

「私の知っている限りないわ」


 そんなことはわかっている。

 他の方法があるなら、レクシーさまだって、そっちを選んでいただろう。


 でも、そんな方法がないから、レクシーさまは、跡継ぎである私に魔法を教えなかった。

 どこに何があるか教えるために、私に家中の掃除をさせた。


「どうしても、どうしても、私は魔女にならないと駄目ですか?」


 それでも、私は悪あがきをする。

 レクシーさまを、食べたくない。


 私の問いに、レクシーさまは、「それは貴女が決めることよ」と静かに告げた。


「こんな役目、くそ食らえだわ。こんな魔女なんて役目、人柱にすぎない。国を保つために、ひとりの少女を生け贄にして、その子の命が尽きたら、代わりをささげる。

 必要な、最小限の犠牲ってことよ。やってられないわ」


 レクシーさまは、いつもの調子で毒を吐いた。


「じゃあ、どうして、レクシーさまは、魔女をやっているんですか……?」

「当然だけど、私の前にも犠牲になった少女たちが何人もいる。命を費やして、国を守ってきた。その軌跡を私の恨みなんかであっさり壊してしまっては、それこそ傲慢な行為だと思わない?」

「レクシーさまらしくない、考え方ですね」


 レクシーさまなら、あっさりとその軌跡を壊してしまいそうなのに。

 何万の命が助かるなら、ひとつの命を犠牲としても良いなんて考え方に、真っ先に反対しそうなのに。


「酷くないかしら」

「ふふ、冗談です」

「……冗談に聞こえなかったのだけれど、まあいいわ。私だって、こんなに長く魔女の役目を律儀にこなすなんて、思わなかったもの」


 レクシーさまは、灰色の髪を指に絡めつけて、くるくるしながら、そう言った。


「魔女を続けると、悪くないかなって思っちゃうのよね。こんなに豪華な屋敷に住めるし、ふわふわのベッドで眠れるし、美味しいものが食べ放題だし。この国に住む人たちが私を尊敬の眼差しで見つめてくれるし」

「……レクシーさまらしいです」

「この国で生きる人たちが、幸せそうにしているのを見ると、こっちも幸せになるのよね。きっと、魔女になる前の私にそんなことを言ったら、笑うでしょうね。今だって、こんなことを言ってても、笑えるもの」


 レクシーさまは乾いた笑いを漏らす。

 けれど、目に涙がにじんでいるのを私は見逃さなかった。


「私は笑えないです。すごく立派で、すごく当たり前なことだと思います」

「あらあら。どうして貴女が泣きそうなのかしら?」

「……っ! レクシーさまだって!」


 レクシーさまは目元を指でこすって、初めて自分が涙を浮べていることに気がついたようだ。

 きょとんとした顔で、「本当ね」と呟いた。


「私の魔女をやっている理由はそういうわけ。でも、貴女はそれに振り回される必要はないのよ。やりたくなかったら、やらなければいい。案外、魔女がいなくたって、どうにかなるかもしれないしね」


 レクシーさまは、私が何を選択するのかに、興味はないようだった。

 きっと、どっちを選んでも、レクシーさまの望む通りになるからだと思う。


 魔女になれば、レクシーさまが魔女になった理由が引き継がれる。

 魔女にならなければ、魔女という不幸な役目に終止符を打てる。


「私は魔女になりたいです」

「不老で、人間の何倍も長生きするけれど、それでも?」

「そうなんですか?!」


 ここに来て明かされる驚愕の真実っ!


「知らなかった?」

「不老なのはそうなのかなとは思ってましたけど、長命なのは知らなかったです」

「間抜けね」

「……確かに間抜けかもしれません」


 魔女であるレクシーさまと一緒に暮らしているんだから、それくらいのことは知ろうとしないとダメだったのかもしれない。


「冗談よ?」

「冗談なんですか?!」

「だって、子供には魔女の詳しい話をするのは、禁止されてるもの。十六で成人して、初めてこの国の人たちは魔女について知ることになるのよ?」

「どうして、そんなこと……?」

「詳しい理由なんて知らないけど、魔女になることに先入観を与えないためじゃない?」


 魔女さまは、その禁止されている理由を知っていてもいいと思うんだけど。

 私の無知は、半分はレクシーさまのせいだと思う。ちなみにもう半分は、私の無関心。


「じゃあ、父や母は、私が魔女に呼ばれた理由を知っていたってことですか?」

「そういうことになるわね。役目を継ぐ少女の親には、事情説明と共に、莫大なお金が渡されるもの。それこそ、一生遊んで暮らせるほどにはね」

「……そうなんですか」


 だから、別れのとき、お父さんとお母さんは泣いてたんだ。

 魔女になる娘を誇りに思ってたのか、もう会えなくなることを悲しく思ってたのか、あるいは国のために犠牲になる我が子を思って泣いていたのか。

 どれかはわからないけど、どの理由でも私は嬉しかった。


「まあ、貴女くらい間抜けな方が、魔女という役目にはぴったりなんじゃないかしらね?」

「さっき冗談って言ったじゃないですか?!」

「そうだったかしら?」

「とぼけないでください!」


 良い感じなムードになったかと思うと、すぐにレクシーさまは空気をぶち壊してくる。

 おかげで、私もあまりしんみりできていない。


 レクシーさまとお別れだって言うのに。

 これから、私はレクシーさまを食べるって言うのに。


「ジェシカ」


 今までと打って変わった、そう、言ってしまえば、魔女らしい声音で、レクシーさまは私の名を呼ぶ。


「そろそろ、お別れよ。ちゃんと、私を食べて頂戴ね? 残したら、許さないわ」

「……わかり、ました」


 私はまだ、レクシーさまを食べる決意はついていない。

 魔女になる決意はしたけど、今喋っている人を食べるなんて、想像すらできない。


 でも、食べるんだ。食べないといけないんだ。

 そういう実感だけはあった。


「あのね、ジェシカ。私は魔女を食べて魔女になるってこと、素敵なことだと思うの」

「どうして、ですか?」

「私は先代の魔女を喰らって、魔女になった。その魔女だって、その前の魔女を喰らって魔女になった。つまり、私の中には今までの魔女、皆がいるってことよ。それって、いつまでも一緒に魔女として、国を守っていけるってことだわ」

「…………」

「誰が思いついたんだか知らないけど、この方法はとても粋で、とても残酷よね。普通の人間に思いつくものじゃないわ」


 レクシーさまの声が段々と弱くなる。

 かくん、と身体から力が抜けて、レクシーさまが倒れるのを、寸前で私は受け止めた。


「……最後にひとつ、いいですか」

「何かしら?」


 力ない声で、でもいつも通りの声音で、レクシーさまは言う。


「レクシーさまの食べた魔女は、どんな味でしたか?」


 ひどい涙声だった。ちゃんと声になったかどうか、不安だった。

 でも、レクシーさまが口を動かしたのを見て、ちゃんと伝わったんだなと安心した。


「それは――――」


 その質問の答えを告げると、魔女は息を引き取った。

 しばらく私は彼女の亡骸を抱きしめて、泣き続けた。これでもかってくらいに、泣き続けた。



 ――――そして、魔女を食べた。



「あまい、なぁ……」


 涙の味が混じった、魔女を食べた。




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