隔たり

灰崎千尋

○-○

 眼鏡というのは、僕と世界の間に堂々と挟まる「隔たり」なのだ。


 勘違いしないでほしいのは、僕はこの「隔たり」を疎ましく思うどころか、むしろ歓迎しているということだ。僕は僕自身のことも、世界のことも、大して好いていないのだから。


 例えば君、一度会ったきりの人の顔を思い出すとして、最初に何を思い浮かべるだろう。普通なら目や鼻の形、髪のあたりだろうか。対する僕の場合、十中八九「眼鏡」だろうと思うのだよ。僕の顔の細部なんか二の次だ。

 眼鏡をかけていない人について「裸眼だ」なんて感想は普通もたない。だけど僕の場合は、「眼鏡だ」が先に来る。こうして他の人に比べて、僕という存在をぼやかしてくれるのが、眼鏡というわけだ。

 世の中には「眼鏡こそ我がアイデンティティだ」というような酔狂な輩もいるそうだが、気持ちはわからんでもないよ。自分の中身にを求めるよりよほど楽だろうからね。


 さっきは世界から見た僕の話だが、逆も然りだよ。

 僕が世界を見るとき、いつだって眼鏡のレンズを通して見ている。僕は目が悪いから、裸眼の方がぼやけてるんじゃないかって? そうではない。大事なのは見ているかどうかだよ。

 眼鏡のレンズというやつは、おかしくなった目玉の代わりに光を屈折させているわけだが、レンズを通して見ているものが「本当」だって、果たして言えるだろうか。そもそもこの眼鏡のレンズが虚構を映すスクリーンではないだなんて、誰に言い切れるだろうか。

 そこのところ僕は「本当」なんて直視したくないから、レンズ越しくらいがちょうどいいのさ。自分の目で見なくてはならない人たちを可哀相だと思うくらいだよ。


 ところで君、最近目を洗ったことがあるかい。

 そんなに頻繁にはないだろうね、目の中に塵が入ったときくらいだ。

 僕はこの眼鏡を、日に二度は布で拭くし、週に一度は水洗いするのだよ。人間の目は涙が洗い流してくれるから、そういう面倒は無かろう。

 だから僕は、涙を流すような心持ちの時にも、眼鏡を拭いたり洗ったりするのだ。

 独り見上げた月が美しかった時、遠くの友を思い出した時、非道いそしりを受けた時、報われぬ身を悟った時、エトセトラエトセトラ……

 そうすると本当に涙が出てくることもあってね、僕の目玉もついでに綺麗になるというわけさ。


 ねぇ君、わかってくれるかい。僕のような手合いには、眼鏡という「隔たり」が必要なのだよ。世界は直接対峙するにはつら過ぎるから。

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