第9話 団長のお出まし
きりり、きりり、きりり。
かたん、ことん。
ナナヱはねじを巻き終えると、タズトのうなじから銀色のねじを抜いた。しばらくするとタズトは、ふっと小さく息を吐き、ゆっくり瞬きしながら目を覚ました。
「おはよ、タズト」
ナナヱの真ん丸な青い瞳がタズトを覗き込んでいた。
その手に、タズトの二次ねじが。
タズトはぎょっとして、ねじを奪い返した。
「なっ…何してんだお前!!人のねじを勝手に使いやがって!!」
「ええ!?だって、ねじ切れしてたから…首にねじを下げていたから巻かないとって…あ、ねじ穴も傷がないか調べたけど大丈夫だったよ」
「は!?おま…ねじ穴を…っ!?バカ!何で見るんだ!」
「傷ついてたら、巻けないもん」
「勝手に巻いてんじゃねえ!」
「何で!?」
「何でもだ!!」
「ねじ巻かれたくないお年頃?おませさん?」
「うるせえ!!」
ぎゃあぎゃあ言い合うふたりの頭上で、ガラガラと扉が開いた。眩しい陽の光が差し込み、ふたりの目がくらむ。
「あんれまあ、これまた驚いたね〜」
上から間延びした驚きの声が降ってきた。ふたりが見上げるものの、逆光で女の子の影しか見えない。
「団長、どうしたー?」別の声が車両の外から彼女に呼びかけた。
「いやあ〜クロカワの車両に子どもがいるんだよ〜女の子と男の子が〜」
「は?」
「なんでだ?」
「死んでないか?」
あちこちから騒ぎを聞きつけて、人の声が寄ってきた。かなり大勢いるらしい。
「生きてる生きてる〜。クロカワ、ねじ切れしてるから扉開けていいよ〜」
彼女の合図で、ひとしきり動揺するような声があがったが、やがてがちゃんとかんぬきが外される金属音が重く響き、ぎぎぎと車両が口を開く。
差し込んでいた光は太陽ではなく、汽車を整備するために格納する扇形庫の巨大な照明だった。格納庫には作業員の他にも奇抜な衣装や髪型をした人々が集まっていた。ナナヱとタズトを見世物に寄ってきた客のように、珍しげにふたりを見るなり、目をパチクリさせたり、ささやきあったりした。
「見ろ、子どもがクロカワのとこに…」
「無傷じゃないか?」
「よく生きてるな…」
「よく殺されなかったな…」
何やら物騒な言葉が飛び交っている。
獣のように警戒心が強いタズトは真っ先に身構える。その頭上からさっきの声の主が呼びかけた。
「諸君、案ずることなかれ〜!ボクが直々にクロカワと一夜を共にしたであろう小さなレディ&ジェントルマンにお話を聞こう〜」
ずいぶんのんきな口上の後に、車両の上からひらりと飛び降りる、少女の影には羽のように広がる袖。
カラン、と小気味良い黒下駄の音高く、舞い降りたるは黒い紬の着物、黒に金ボタンのコルセット、ちらりとのぞく白のハイカラーフリルブラウス、黒のリボンタイ。左目の周りにハートを施した青紫の瞳に銀色のおかっぱ髪の少女。
「やぁやぁ〜、初めまして。ボクはこのサーカス…シルク・ドゥ・ラ・ヴリエ団長、ノゾム。おふたりさん、良くぞご無事で〜」
猛獣と一夜を過ごした子どもに対してちっとも心配のしの字もないふにゃっとした笑顔で彼女は名乗った。
ナナヱとタズトはぽかんと口を開けて、このサーカスの団長を眺めるだけだった。ノゾムというふにゃっとした団長をひとしきり眺めていたナナヱは我に返るなり団長に切り出した。
「この子のぜんまいは!?」
1歩も譲らない気迫でナナヱはノゾムに詰め寄った。
「う?」
「ぜんまいよ!あなた達が取ったのでしょ?返しなさい!ぜんまいが命だって知らないはずないでしょう?」
噛み付くようにまくし立てるナナヱに、周りの団員は気圧されたが、団長は意外そうに目を丸くした。
「あんれまぁ〜気がお強いこと〜。確かにこの子からぜんまいを抜いたのはボクだよ〜。危険だからね」
「危険!?ねじが切れて眠りにつけば何をされるかこの子が考えてないというの!?ねじ穴を傷つけてまで眠らないようにしてたのよ!!」
「眠ってもらわないといけなかったんだよ」
ノゾムは変わらず柔らかく、だがはっきりと告げるとナナヱにクイズを出す。
「ここで問題。なぜこの黒猫、クロカワはぜんまいを抜かなければならなかったのでしょうか?」
「え…それはあなた達が密猟で手に入れて売るために抜いたから?」
「ぶっぶ〜。ボク達はサーカスだと言ったはずだよ〜」
「じゃ、じゃあ、サーカスの猛獣ショーで使うから密猟…」
「ぶっぶ〜。密猟から離れていこ〜」
「ふええ…っと…じゃあ、仕入れたけど懐かないからぜんまいを抜いた?」
「ぶっぶっぶっぶっぶ〜」
「もう!なんだというの!ぜんまいを奪って傷つけさせておいて!ふざけてんの?」
ナナヱは我慢の限界だった。すっかり頭に血を昇らせて怒り散らした。
「ねじ切れで眠ったからって、疲れや痛みは取れないし、体が休んでるとはいえないのよ!動物は人と違ってぜんまいを外して持ち歩く事が難しいから差し込んだままなのが普通なのに!どんなわけがあるか知らないけど、せめてねじを巻かせて、傷を治させて…ちゃんと眠らせてあげて…」
後半からナナヱは半べそになり、黒猫の頭を撫でた。今の黒猫は安らかに喉を鳴らすことはない。動かない。夢も見ない。息もしていない。傷も癒えない。生きているとはいえない。ねじ切れは身体機能の停止だった。ねじ切れのままで薬を塗ろうがその傷は塞がらない。
ノゾムはナナヱの言葉を聞き受けると、カラコロと近づくとしゃがみ、黒猫のねじ穴を見た。一晩経って、空気に晒された血が乾いて固まっている。
「君はさ…」ノゾムは背を向けてぽつりと尋ねた。ノゾムの首と頭の付け根のネジ穴が青く錆びている。
「君はどうやってこの子を鎮めたの?どうやって入ったか知らないけど、突然現れた君達にこの子が黙っているとは思えない。本当なら君達は殺されていたよ。もしそうならボクはこの子のぜんまいを壊さなきゃいけなかった…仲間を守る為にもね。この子も、子どもも、誰も死んでほしくないから」
覚悟を聞かされ、ナナヱの怒りが冷えた。確かにナナヱ達は黒猫に殺されてもおかしくなかった。突如押しかけたナナヱ達のせいとはいえ、気づいたら猛獣の車両で子どもふたりが殺されているとあったら、サーカスもただではすまない。人を殺した猛獣がいるサーカスに客は入らない。
「…私は…何も……この子がすごく怖がっていたから、お願いしただけ。怖がらなくていいよって…傷けたりしないから、ここにいさせてって」
ナナヱは正直に話した。
「君は面白い考え方をするんだね〜。普通、今にも殺そうと思い詰めてる猛獣相手にお願いするってまずないよ〜」
ナナヱの目を見ながらノゾムは少し笑った。ふにゃふにゃした笑顔だが誰かを失い悲しみに暮れる瞳だった。涙を隠す眼差し。ナナヱは心が痛むのを感じた。
ノゾムは、袂に手を入れて、大ぶりの金色のぜんまいを取り出した。ぜんまいには『Satoru』と刻まれている。
「クロカワは元々人嫌いで、気を許した人にしかねじを巻かせてくれなかったよ。ボクでもダメ。誰かが巻いても、その人が起こしてくれるまで狸寝入りをするわがままにゃんこだよ」
そのぜんまいを、ナナヱに渡す。
「君が巻いてあげて」
「…いいの?」
「いいよ〜。団長の名にかけて」
ナナヱは大きなぜんまいの重みを感じ取り、ねじ穴の周りの傷に触れないようおそるおそるぜんまいをねじ穴に差し込んだ。
人と違って、重く長い巻きだった。
ぎりりり、ぎりりり、ぎりりり…
かたん、ことん。
巻き終えて手を離す。
ゆっくりと息を吸う黒猫。丸い背中が上下して寝息を立てる。ぐぉろろろ、ぐぉろろろと喉を鳴らす。
黒猫の安らかな眠りを取り戻して、ナナヱは心からほっとする。
「ありがとう。君はクロカワの恩人だよ」
ぜんまいじかけの虹 鳥巣ラムネ @marianne1941
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