第3話 魔法が使えなくなったのに、私は魔女なのですか?


 ――イースター島には、かつて多くの人々が住んでいた。


 イースター島の住人は作物を育て、森で食べ物を採取し、見渡す限りの海で魚を採って暮らしていた。とても平和だっただろう。

 その平和な生活の中から、自分達を育んでくれている自然に対して感謝する気持ちが生まれた。その気持ちは信仰へと変わった。

 それが、モアイ像である。


 感謝する気持ちからモアイ像が生まれて、人々は、そのモアイ像を信仰して、作物を育て、森で食べ物を採取し、海で魚を採って平和に暮らして……。

 そういう平和が長く続いてしまうと、どうなってしまうか?

 人口は、飽和状態になってしまうのである。


 イースター島の面積には限りがある。

 しかし、人口はどんどん多くなってしまう。多くなると食料が足りなくなった。食料が足りなくなるとどうなるか?

 食料の奪い合い、つまり戦争になった。

 もともと、絶海の孤島の小さなイースター島は、長く平和を安定できない島だったのである。

 ただ、それだけの話である。


 ――更に問題が発生した。


 人々の信仰のモアイ像、島の食糧難と共に、人々はモアイ像に、その解決を願って祈った。

 自分達の信仰の崇高さと食糧難と重ねた結果、モアイ像をもっと作って祭れば、自分達は助かると考えたのである。




 ――誰もが権威にすがり、迎合する。


 今まで民衆は、魔女の権威に恐れて従ってきた。

 しかし、その魔女が、もはや魔法が使えないと気がつくと、民衆は、今度は敵国であるイーストラリア帝国に迎合しようと考えた。

 でも、それは決して出来ないことを、民衆は知ることになるだろう。


 長年、歴代の魔女が魔法で、イーストラリア帝国と対峙してくれたからである。

 その結果の、ジーランディア王国の平和だったからである。


 民衆は何も知らなかった。何も見えていなかった。

 何の力もない自分達民衆がこの国を治めていこうなんて、そんなの無理があった。ジーランディア王国の民衆は、そこまで成熟していなかった。


「民衆というのは、迎合と反発しかできないものですよ。というよりも、国を統治するためには、民衆は無知で幼稚でなければいけません」

「…………アイカラット」

「あっけないものですね。政治っていうか行政というか、統治ってのは……」

 思えばアイカラットの瞳は、日本の話や写真の話の後から、ずっと寂しかった。


「民衆は、私達魔女一族に擦り寄るために、競ってマナを集めては献上して。……そのマナが無くなって、魔女の魔力が衰えると、今度は、敵国のイーストラリア帝国に迎合しようと考えて……」

 

 僕は、青い空を見上げた――

 異世界に召喚された時には、うぉー! と、テンション高めに意気込んでいたけれど……。

 それが、アイカラットの話をずっと聞いていて、異世界の王国の事情も日本の政治なんかと、やっぱりと言うか、大差無いんだなと感じた。


「……まあ、春めいたこの季節も変わらないから、それはそれで良かったけれど」

「……?」

 アイカラットが僕の言葉に反応して、空を見上げている僕を見る。

 丘の下から、その春めいた暖かみのある風が、さわやかな風が、僕とアイカラットの間を通り過ぎて行く――


 彼女の話は続いた――

「このジーランディアを長年治めてきたウィッチベル家も、私で7代目になりました。これでも頑張ってきたんですよ、私達は。……でも、もうおしまいですね。民衆はどう思っているのでしょう。ああ、魔女の支配がようやく終わったって思っているのでしょうか? それは違います」

 潤っていたアイカラットの瞳から、それが消えた。自然と消えた。

 決して拭って消えたのではなかった……。


「……どう違うのですか?」

 僕は彼女に尋ねた。

「民衆は無責任なものです。民衆は何も知らないのですよ。これから自分達が、どうなってしまうのかという運命を、知らないのですよ」

 そう僕に言ったアイカラットの表情は、今までの笑みとか、寂しさからくる表情、悲痛な苦しみから見せる表情の、そのどれとも違っていた。


 彼女のそれは、覇者としての覚悟、支配する者の使命感だと――僕には見えた。

 

「イーストラリア帝国が狙っているのは、ジーランディアの肥よくな大地の恵み、それだけです」

 アイカラットは続ける。

 つまり、ジーランディア王国の民衆なんて、どうでもよかった。はっきりと言えば、いらないのである。

「敗戦国は、ありとあらゆる物を接収されて、民衆は辱められて……」

 アイカラットはそう言うと、再び瞳が潤ってきた。




 ――中枢は、末梢の奴隷である。

 この言葉は、私達人間の身体の中の、神経の関係を表した言葉である。


 結局、擦り傷一つで中枢は、それを痛みとして認知してしまうということである。だから、手術の時に全身麻酔をするのである。

 中枢を麻酔で麻痺させなければ、手術なんて出来ないからである。

 何が言いたいのか?


 古今東西、国家も歴史も動かしてきたのは実は民衆なのである。ということを言いたい。

 ルイ16世もマリーアントワネットも、そしてジャンヌダルクも……。

 その実態はただのシンボル、象徴に過ぎなかったと言いたいのだ。




 ――かつての魔女一族が、ジーランディアの大陸に降り立って、この地を統治した理由は純粋にただの統治だった。

 魔女一族はジーランディアの大地にある豊富なレイラインと、それから生み出されるマナを欲していた。

 それだけでよかった。


 たまに、隣国のイーストラリア帝国からの戦争を、自分達魔女一族の魔法によって追い払った。

 それは魔女一族にとって、民衆達への当然の礼儀であると考えた。

 お礼といった方が適切か――?


 民衆も魔女のおかげで平和が続いたので、魔女一族に感謝した。

 そういう共生関係が、この国ジーランディアには昔からあった。

 けれど、共生関係は、やがて資源の枯渇によって対立して闘争して……前にも僕が言った通り、これは歴史の必然である。


 イースター島のモアイ像である。


 もう一度、僕がはっきり言っておこう!!

 人間は、イースター島のモアイ像を作り過ぎたために、イースター島文明を滅ぼす原因を、必然的に作り出してしまって、結局、誰にも止められなくなってしまったのである。


 僕は、その歴史を愚かだと言いたい――




       *




「カガミ・リュウさん、お願いがあります」

 突然、彼女が僕の両手を握る。一瞬、ドキッとした……。

「な、なんでしょうか?」

 ……僕は見上げていた空から、ふっと彼女を見た。


 アイカラットは、その握っていた力を、少しゆるめて、僕にこう言った。


「その、どうか私を……」

「私を?」

「私の首を……私の命を…………」

 一瞬、アイカラットが何を言いたいのか分からなかった。けれど、

「……な! 何を!! 何を言っているのですか!!」

 僕には、彼女が言わんとしていることが理解出来た。


 ああ、この最後の魔女は死にたいんだと――


「私はもう死にたい! いや、死ななくてはいけないのです!!!」

「アイカラット! そんなことを言わないでください!!!!」

「どうしてですか!!」

 アイカラットは、勢い付けて僕に歩み寄ってくる。

 彼女は僕の両手を握り締めて言ったけれど、無論、僕は彼女のその言葉を拒否した。

「どうしてですか? 私はもう、このジーランディアには必要のない魔女なのですよ。そして、私には魔女には、もう、どこにも行く場所は残されていません」


 アイカラットの瞳は濡れていた――

 涙目だと、僕は気が付いた。


「魔女一族は、このジーランディアの文明の発展、そして文明の転換点のこの時に、潔く消えなければならない運命です。何事も永遠には続きません。それは、私が7代目の女王になった時から、気が付いていました」

 これがアイカラットの本音なのだと、僕は思った。

 だから、瞳が……。


「そもそも、私が女王になった時から、この国は異常でした。次から次へ、マナの宝石を献上してきて、それを競い合って……。私には、最初、意味が分からなかったのです。どうして民衆は、魔女一族にこんなにも迎合してくるのかを……。けれど、今、国がこういう状況になってようやく分かりました……」



 もはや、誰にも止められなかったんだということに――



 そう言うと、アイカラットは握っていた僕の両手を離した。

 そして、彼女はロングのスカートのポケットから、ハンカチを取り出して潤んだ瞳にそれを充てた。


「……それが何か?」

 僕は、正直に言おうと思った。

「それが何? ですか?」

 アイカラットが、涙を拭いながら返してくる。


 この異世界――ジーランディア王国の関係者でも何でもない僕が、僕だからこそ言えることがあると、そう思ったから――

「魔法が使えなくなったから、魔女はもういりませんって、自分達は、もう魔女ではなくなって民衆と同じ、ただの人間と同じになってしまった。それでいいじゃないですか!!」

 本当に、僕はそう思うから……。

「どういう意味ですか?」

「アイカラット・ウィッチベル 7世さん、あなたは、それでも今でも、これからも魔女なのですよ。それを、あなたは理解しているのですか?」


「……これからも、私は魔女なのです……か?」


 魔女の力の源泉、マナが失われた王国になっても、自分はこれからも魔女――魔女自身からすれば、あなたは身体は男性だけれど心は女性という、ジェンダーとして生まれてきた者が、当然抱える葛藤みたいな気持ちだろう。

「どこにも逃げられない運命だとしても、それでも、あなたは魔女なのですから!」


「魔法が使えなくなったのに、私は魔女なのですか?」


 僕の言葉にアイカラットが質問する。

「ええ! 魔法が使えなくなってしまったとしても、王国を統治出来ないとあなたが分かっていても、敵国のイーストラリア帝国が攻めてきていても、それでもですよ!!」

 あっ……僕は瞬間に気が付いた。

 僕のこの言葉。まったく説明になっていないことにだ……



 例えば、日本人の僕が、日本人たらしめている要素はなんだろう? と考えた。

 政治的には国籍である。でも、ラグビーの日本代表選手はオセアニア生まれだ。日本語じゃないし。

 では、社会的には日本語を喋れたら日本人なのか?

 外国人タレントを見ていれば、そうでもないと気が付く。

 

 じゃあ、日本人っぽい見た目をした人間が日本人なのか?

 オリンピック選手を見ていれば、それも違うことに気付かされる。


 僕が言いたいのは、魔女が魔女たらしめている要素は、魔法だけじゃないということだ!!

 ――その答えは『総意』である。


 伝統とも言うし、象徴とも言うし、ラストエンペラーは永遠に皇帝だからである。

 恐竜が鳥類に進化しても、哺乳類ではない。

 モアイ像を作らなくなり鳥人信仰に変わったとしても、イースター島文明は文明だ。


 オリンピックの柔道で日本人が勝てなくなっても、柔道は日本の国技である。




 ――異世界の春は日本の春と、とても、とても似ていた。


 大分、落ち着いたのだろう。

 アイカラットは、ゆっくりと草原の大地の花々を見つめていた。

 綺麗な青紫色の瞳で見つめていた。


 今度は、僕がアイカラットの横顔を見つめた。

「…………!」

 アイカラットが僕に微笑んでくれた。

「ねえ! カガミ・リュウさん。この花綺麗でしょ!」

 アイカラットはそう言って、小さな、橙色をした野花を手に取って、それを、いくつか集め始めた。

「この花はジーランディアでは、どこにでも咲いている野花です。名前はズバリ、ジーランディアです!!」

「ジーランディア。それって国の名前ですよね」

「はい!! 我が国の国名は、この野花ジーランディアから名付けられました。名付け親は、私の先祖の魔女、ウィッチベル1世です。ねえ? 綺麗でしょ!!」


「……はい。奇麗です」

 僕は、アイカラットに微笑みを返した。


 君は、誰よりも、この国を愛していたのに――




 僕は思った。ひらめいたことがあった。

「……アイカラット。君がそんなにまで自分を消してほしいとか、ジーランディアには、もう魔女はいらないとか言うんだったら」

「はい、なんですか?」

 橙色のジーランディアの野花をいくつか摘みながら、アイカラットは僕に振り向いた。

「君の魔法でさ、僕と一緒にどこか遠い国……この世界の住人じゃないところの、例えば、僕が住んでいた日本にさ……」


 再び、春の優しい風が二人の頬をなでて、そして行った――


 すると、彼女は立ち上がって僕の目を見つめた。僕も見つめた。

 風はまだ、ゆっくりと流れ続けている――

 アイカラットの髪が風で舞った。

 それを、彼女は左手で抑えた。


 胸元には上着の間から、魔女のエネルギーの源泉、マナの宝石が見えた。

 そのマナの宝石が、春の天気に反射して、一瞬明るく輝いたのである。


「……………」


「…………?」

 アイカラットが、胸元を見つめる僕の視線に気が付いた。

 彼女が僕の目を見て、しばらくして、ふふっと笑みを見せてくれた。

「……カガミ・リュウさん、ありがとうございます。…………でも、それは出来ません」

「なんでですか?」

「なんでもです……」

 そう言うと、アイカラットは僕に背を向けた。


 向いた先は、丘の上に見える魔女の城である。

 左手には、摘んだばかりのジーランディアの花束を握りしめながら。

「私は――アイカラット・ウィッチベル7世は、このジーランディア王国と運命を共にしなければいけません。そういうものなのです。これは魔女一族が、このジーランディア王国に君臨した時からの誓いなのです。私もそう教わりましたから……」

「教わりましたからって、だからって……」

 僕は、それじゃ自分に訪れる悲運を、ただ待ち続けるだけになってしまうんじゃ……と心の中で呟く。

 僕は、勿論、王族なんかじゃない。一塊の日本人だ。

 だから、アイカラットのような王族とか、女王の国家と運命を共にするという感覚がよく分からない。


「魔法がもう使えないとしても、私はジーランディア王国の最後の魔女として、あの城に君臨しなければいけません。――民衆を捨てて、王だけ生き延びるのは、王として滑稽で失格なのですよ」

「……アイカラット」

「こんなの、はじめから分かり切っていたことです。……ありがとうございました。カガミ・リュウさん。私の、最後の魔女の言葉を聞いていただいて」

 アイカラットの笑みは、また、どこか寂しい表情の裏返しのようなそれに、戻っていた。

 そして、最後に彼女は、静かにこう言った――



 これが、魔女一族の末路ですから――





 続く


 この物語はフィクションです。

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