第101話

「……なにも思ってないわけないだろ」


 エリカとは話さなければいけない。この一週間ずっと思っていながらもきっかけをつかめずにいた。エリカの方から話を切り出したのは予想外だったが、俺としては願ってもないチャンスだ。


「ずっと話したかった、ずっと謝りたかったんだ。けど中々言い出せなくて……。エリカの方からなにも言ってこないのは怒ってるからなのか、それともなんとも思ってないだけなのか、考えれば考えるほどわかんなくなって……エリカに嫌われるのが怖かったんだ、本当にごめん」


 下げた頭はエリカの許しをもらうまで上げられない。教室の床を一点に見つめながら息をのんで待つ時間は、たかが数秒でもとてつもなく永く感じた。


「謝らないでよ、なにも悪いことしてないじゃない。それともエツジ君は私としたのがそんなに嫌だったの?」


「嫌じゃない、嫌なわけないだろ」


「私もよ。……私だって怖かったんだから……エツジ君に嫌われてたらどうしようって」


「俺がエリカを嫌うわけないだろ」


 嫌うわけない、俺が思っているようにエリカも同じことを思っているかもしれないと、冷静に考えればわかったはずだ。今になるまで気づかなかったのは、心のどこかで「俺なんか」とまだ卑下している自分がいるからか。


「むしろ謝るとしたら私の方よ。あの日私が逃げなければ……ここまで引きずることもなかったのに……私も本当は話したかったの……でもなんて言ったらいいのかわからなくて……」


「エリカが悪いわけでもないだろ。今回はお互い様ってことだ」


 蓋を開けてみれば単純なことだった。俺が不安を抱えていたように、エリカもまた不安を抱えていたんだ。互いが互いを思う故に、すれ違っていたんだ。

 お互いの胸の内を明かしていくにつれ、心が軽くなっていく。エリカの表情からも硬さは消え、柔らかく穏やかな表情へと変わっていた。


「俺たち同じこと考えてたんだな」


「ええ、そうみたいね」


 仲がいいからこそ些細な事で一喜一憂する。もどかしくて面倒くさいはずなのに、清々しくもある学生の特権。


「でもよかった、胸につかえてたものがとれて。このままエリカに距離を置かれたらどうしようかと思ってたから」


「そんなこと有り得ないわよ」


「わだかまりもなくなったことだし、なにもなかったってことでこれからもよろしくな」


 空気がほぐれたところでここへ来た本来の目的を思い出す。


「さすがにもう戻らないとな」


 段ボールを持とうとしたら、伸ばした腕をエリカに掴まれた。


「なにもなかったって……どういうこと?」


「え?いや……予期せぬ事故だったってこともあるし……エリカはどうか知らないけど俺にとっては……その……初めてだったし……なにもなかったことにするのがお互いにとってもいいんじゃないかなって思ったんだけど」


「そんなの認めないわ」


 俺の腕を掴む力が強くなっていく。


「なかったことになんてするわけないじゃない!」


 エリカの張り上げた声は部屋中に響いた。声の振動によってせっかく和やかになった場の空気が一斉に張り詰める。


「ごめん、無神経だったよな。よかれと思っての提案だったんだけど……こういう時どうしたらいいかわかんなくて」


「勝手なこと言わないでよ……私だって……初めてだったんだから」


「だったら尚更なかったことにしたほうがいいんじゃないのか?あんな形で、しかも相手が俺って……」


「絶対になかったことにさせない……だって私……嬉しかったんだから」


 え?今なんて言った?嬉しかったって言ったのか?聞き間違いか?それとも言い間違いか?

 「嫌じゃない」と「嬉しい」とでは同じようで天と地ほどの違いがある。

 戸惑う俺をよそに、エリカは俺の胸に頭を預けてひとりでに話始めた。


「ねえ、覚えてるかしら?中学の時、私が泣いた日のこと」


「覚えてるよ」


「あの日、私あなたに酷いこと言ったわよね。それなのにあなたは怒るどころか話を聞いて励ましてくれた。それだけで終わらず、一緒にどうすればいいか考えてくれて、勉強も教えてくれた」


「それから一緒に勉強するようになったんだよな。エリカは大変だったと思うけど、俺は楽しかったよ」


「フフ、そうね、私も楽しかったわ。エツジ君のおかげで成績もよくなって、自信も持てるようになったわ。勉強だけじゃなくて部活も人間関係も上手くいくようになって、学校が前よりずっと楽しくなったの。今の私があるのもエツジ君、全部あなたのおかげよ」


「そんな大げさな。俺はちょっと手助けしただけ、勉強も部活も人間関係も全部エリカが頑張ったからだよ」


「エツジ君ならそう言うと思った。でも本当のことよ。どんなことでもエツジ君は必ず助けてくれる。エツジ君には感謝してもしきれないわ」


「そこまで言われるとちょっと照れるな。でも役に立ててたならよかった」


 助走をつけるかのように、ゆっくりとエリカの顔が上がってきて、俺と目が合った。


「あなたが『できる』って言ってくれるから私はどんなことでも『できる』って思えるの。前にも言ったけど、エツジ君は私にとってヒーローよ。憧れであって、誰よりもかっこよくて……そんな人と一緒にいて好きにならないわけないわよ……」


 きめ細やかな白い肌、頬の辺りは少し赤らんでいて、近ければ近いほど瞳は輝いているようにも見える。

 エリカが美人というのは周知の事実だが、今日はいつにも増して、飾る言葉が足りないくらいに―――


「あの日からずっと、エツジ君のことが好きです」

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