第100話
俺が教室に向かう道筋にコウキたちもいるらしいので、道すがら声だけかけて行くことにした。もしエリカも待ってくれているのなら直行するわけにもいかない。
「遅いぞエツジ」
「ごめんごめん、電話ありがとな。エリカは?」
「さっきまでいたけど先に向かったよ。それよりなにしてたんだよ?てかサユリは?」
「あー…また後で話すよ。色々あったしな。サユリはその内戻ってくると思う」
「色々ねぇ……まぁ後でじっくり聞かせてもらうとするか。そういやマコトがずっと気にしてたぞ?俺も詳しいこと知らなかったから聞かれてもわかんねーし、もしかすると若干お怒りになってるかも」
そういえばゲーム中だったので出れなかったのだが、マコトからの着信も何回かあった。
「エっ君」
そう俺を呼ぶ声は、いつもの明るくて可愛らしい声と違って、低いトーンならではのずしりとした重さを感じる。
どうやらコウキの言う通りのようだ。
「僕を置いてどこ行ってたのか聞かせてもらえるかなぁ」
笑顔なのが尚更怖い。
「本当に悪かったって。俺にも色々やることがあって」
「やることって?サユリちゃんと?二人で?」
今適当なことを言ってしまえば火に油を注ぐことになるだろう。マコトを納得させる時間もないし、まだ話せるほどまとまってもいない。
「とにかく今は時間がないから、また後で話すってことでいいか?マコトにはゆっくり聞いてもらいたいしな」
「やだ……ダメだよ」
逃がさないようにかマコトは俺の袖の端を掴んではいるが、引き留めるというには弱々しい。
「僕の知らないところで……なんか……とにかく今エっ君を行かせるのはよくない気がする」
笑顔から一転、なにかを心配しているような不安げな表情を浮かべている。
俺のこととなると敏感なマコトも、サユリと同じようになにかを察して俺を心配しているのかもしれない。ただ、今は話せない。今日を終えて、それでようやく話すことができる。
「もう行かないと。大丈夫すぐ戻ってくるから。そしたら一緒にコウキたちの劇観ような」
「エっ君……」
俺の中でマコトの優先度はかなり高い。もしこのままマコトが引き留め続けるのであれば、なにか理由をつけて行かなかったかもしれない。だからそうなる前に教室に向かった。
交代時間には遅刻してしまったが、先に行ったエリカが上手く言っておいてくれたおかげであまり怒られずに済んだ。相変わらずエリカには頭が上がらない。
うちのクラスは昼のピーク時を過ぎてもまだまだ繁盛していた。あちこちで声をかけられて忙しそうにしているエリカを見ていると、彼女の効果も大きいようだ。
「思ったよりお客さん多いなー。飲み物これで足りるかな?」
注文を伝えに裏側に来た時、盛り付けを担当しているクラスメイトたちの会話が耳に入る。
「それなら確かうちらが道具置いてる教室にまだ予備があったはずだよ」
「ホント?なら持ってきておいたほうがいいよね。私行ってくるよ」
「大丈夫?結構重いし量も多いから誰か他の男子と一緒に行ったほうがいいよ」
一番近くにいる男子は俺だ。そのタイミングで会話を聞いてしまったので名乗り出るしかない。
「俺も行くよ。俺なら多少抜けても問題なさそうだし」
俺の役割は全体の状況を見てサポートする、ホールと裏方の中間のようなポジションだ。つまり俺の業務とも言える。それにあまり自分で言いたくはないが、エリカやケイスケと違ってホールでの需要は少ないのでそれほど負担にはならない。
「二宮君行ってくれるの?助かるわー、じゃあお願いね。焦らなくていいから」
「じゃあ行こっか、二宮君」
「待って。私が行くわ」
二人で行こうとしたところを引き留めたのは、いつの間にか背後で話を聞いていたエリカだった。
「いやいやまずいだろ。エリカが抜けたら店が回らないだろ」
俺と違ってエリカは需要しかない。
「大丈夫よ。少しの間林君が頑張ってくれるわ。それに裏方の人が抜けるほうが回らなくなるわ」
「エリカの場合別の問題が……」
「本音言うとちょっと疲れたの。声かけやすいのかわからないけど、私よく呼ばれるのよね。気のせいか他の人より忙しい気がするわ。だからちょっと息抜きがてらに外れたいの」
それを言われるとなにも言えない。「俺が代わりに」と言いたいが俺ではエリカの代わりには到底なれない。
「そうだよね。真弓さん頑張ってくれてたもんね。わかった、じゃあ二宮君と真弓さんに任せよっかな。こっちは私たちがカバーするから安心して。あ、でも二宮君は真弓さんに重いものを持たせないように頑張らなきゃダメだよ?」
エリカに負担がかかっているという認識は皆同じようで、俺と行くはずだった人はそう言ってすぐに自分の持ち場へと戻っていった。
「私たちも行きましょ」
様子を見るに、エリカはなにも思ってないのだろう。でも俺は違った。
「いや、俺一人で大丈夫。エリカは少し休んでて」
「え?さすがに悪いわよ。接客が疲れたって言うだけで他のことは大丈夫よ。それに一人だと持ちきれないじゃない」
「大丈夫だって。最悪、俺が二回行くからさ。エリカは少し休憩したほうがいいよ」
責任感の強いエリカは自分だけ休むのは気が引けるかもしれないが、誰も文句は言わないだろう。それくらい人集めにも買っているし、周りから見ても働いている。
渋るエリカを半ば強引に言い聞かせて、俺は一人で予備品を取りに向かった。
これでいい……あの教室でエリカと二人きりなんて……どうしたって意識してしまう……ただでさえ今日は色々あったんだから……。
予備の飲み物はわかりやすい場所に置いてあったのだが、
「結構あるな」
忠告通り中々の重さだった。ギリギリ一人で持てなくはない量なので、距離を考えると一回で持っていきたい。
「リキヤだったらなー」なんて弱音をこぼしつつ、ペットボトルが入った段ボールを数箱積んで持ち上げる。
「重っ」
「だから言ったじゃない」
この教室にいるのは自分一人だけ、そう思っていたところに自分以外の声が聞こえて思わずびくっとなる。「だから」という接続と声からして、振り向かずともエリカだとわかった。
「来てくれたんだな。正直思ったより重かったから助かる」
来てくれた以上は素直に受け入れて頼らせてもらう。極力あの日の事には触れないように、一刻も早くこの空き教室から出たかった。
積まれた段ボールからエリカが運ぶ分を分ける。もちろん持ってもらうのは少量だが、それだけでも楽になるものだ。
「エリカはこっち頼む」
応答がない。それどころかエリカは扉の前で佇んだままだった。出入口を塞がれたようで出るに出られない。
「どうした?行かないのか?」
お腹の前で腕を組んで背筋がピンと伸びている、凛々しくて美しい、見慣れたエリカの立ち姿。でも、その中に微かな心の揺らめきが見えた。ほとんどの人が見逃してしまう、不安定なエリカが発するサイン。
「……この部屋に来て……エツジ君はなにも思わないの?」
左肘をさする仕草を見たら、エリカがここへ来たのは荷物を運ぶ為なんかじゃないということがすぐにわかった。
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