第98話
俺とサユリは順調に進み、謎解きも残すところあと一つというところまできた。俺たちの前には二組いるが、まだ一位を狙える位置にいる。望みを持ちつつ、最後の謎が用意されている場所に向かっていた。
「結構離れた場所に用意されてるんだな。本当にこっちで合ってるのか?」
「大丈夫よ。いいから私に着いてきて」
次の場所が記された紙はサユリが持っていて、俺はサユリに着いていくように後ろを歩いていた。俺たちが向かっている場所は、文化祭で盛り上がっている場所と真逆の方向。歩くほどに活気ある声は遠くなっていく。
「ここでいいかな」
たどり着いたのは校舎端の外階段。サユリの発言からして目的地に着いたのはわかったが、そこは紙に記された場所とは明らかに違う場所だった。周囲には脱出ゲームどころか人の気配すらない。
「サユリ?どういうこと?多分だけど……ここじゃないよな?」
「いいからいいから。エツジもこっち来てよ。ここからだと色々見えるわよ」
踊り場の手すりから覗くようにサユリは言った。戸惑いながらも、俺もサユリの隣に立って覗いてみる。体育館と校舎を行き来する人、屋外の出し物とそれを楽しんでいる人、ただ友達と談笑している人、文化祭を楽しんでいる様々な人々を一望できる。まるで文化祭全体を俯瞰しているようだ。
「確かにいい眺めだけど……これが見たかったのか?」
景色を見たからと言ってサユリの考えはまだわからない。
「見たかったっていうか、エツジをここに連れて来たかったんだよね」
「俺を?」
「……エツジに聞きたいことがあったの。ここなら人も来ないから……二人きりで話せると思って」
先程の出来事が頭に浮かぶ。
もしかしてトウコとの会話を聞かれていたのかもしれない。そうじゃなくても、なにかを察したのか。
トウコとのことは俺の中だけに留めておこうと思っていた。コウキだけには話しておくべきかもしれないが、それ以外の人に話すつもりはなかった。
もしサユリが聞いてきたらどう答えたらいいのだろうか。はぐらかすべきなのか、でもそれは告白をなかったようにしてしまうみたいで失礼なのか、経験のない俺にはわからない。
「聞きたいことって?」
聞かれることは予想できていても、手順を踏むかのように一応サユリに聞いてみる。するとサユリは、じっと俺を見つめながら言った。
「エツジ……エリカとなにかあった?」
一瞬、時が止まったかのように固まった。サユリの口から出たのは予想外の人物の名だった。
さっきまで頭の中では告白の映像がなん回も流れていたのに、気づけばあの日の光景に切り替わり、相手もトウコではなくエリカを浮かべていた。
「……気づいてたんだな」
意外にも自然と口から出た言葉だった。
今の俺にとってサユリの問いは深く芯を食っている。それほど重要な出来事にいきなり触れられ、動揺して頭も回っていないはずなのに、不思議と落ち着いている。もしかすると誰にも知られないようにしている一方で、サユリは気づいて当然と思っている自分がいるのかもしれない。
「なんとなくね。二人の様子がなんか変だなー…って……口では説明しづらいんだけど……多分これは私しか気づかないと思う。エツジとエリカの二人を一番近くで見てきた私しか……」
確信があったのか、サユリも驚く素振りを見せなかった。
「……なにがあったの?」
「……そうだな……。サユリたちが劇の衣装を試着した時あっただろ?その時に―――」
会話の流れのままに、俺の口は抵抗もなく動いた。
なにもなかったことにしようとそっと蓋をしていた記憶を取り出して、鮮明に浮かぶ情景をありのまま語った。
「―――てことがあったんだ。それ以降もエリカとは普通に話せてるんだけど、この話をしたことは一回もなくて……」
「そっか……。そんなことがあったんだ」
今になってまた不安になってくる。
エリカはどう思ってるんだ?嫌われてたらどうしよう……。
「エツジ……エリカとキスしたんだ」
「キスっていうか……なんていうか……」
エリカがどういう認識なのかわからなかったので、サユリに話す時は「キス」という言葉を避けて表現した。
「違うの?」
「いや……それは……」
答えあぐねる俺を見て、サユリも無理に追求しようとはしなかった。
少しの間、沈黙が訪れる。あちこちで薄っすら聞こえる楽しそうな声は、今が文化祭の真っ只中であることを忘れそうになる度に教えてくれる。
「ねぇ……エツジはどう思ってるの?」
先に切り出したのはサユリだった。サユリはただひたすらに真っ直ぐ俺を見つめている。その表情は凛としていて、なにか強い意思のようなものを感じた。
「申し訳ないことしたと思ってる。事故とはいえエリカには嫌な思いさせちゃったかもしれないからな。ちゃんと謝って、わだかまりを無くしたい。エリカに嫌われたままなんて嫌だから」
「……エリカは嫌ってなんかないと思うわ」
「どうだろうな……」
「私が言うんだから間違いないわよ。それにキスのことも……びっくりはしたかもしれないけど、エツジが思うほど気にしてないと思うわ。深く考えすぎよ」
「だといいんだけどな……でもありがとう。サユリのおかげで少し気が楽になったよ」
俺一人だと考えれば考えるほどネガティブな思考になってしまう。そうやって自分では否定していた考えも、第三者によって自信が持てるようになるものだ。特に今回はエリカのことを一番わかっているサユリが言うのだ、心強い。
「でも難しいよなー…こういうのって男子と女子で価値観違ってくるもんな。サユリだったらどう思う?」
「私は……人によると思う」
「まぁそうだよな。……サユリはさっき『キスした』って言ったけどさ、俺の中では正直微妙なんだよな。確かに触れたんだけど、事故だし、当然合意でもなくて……。もちろんちゃんと謝るけど、もしサユリの言う通り良くも悪くもエリカがなんとも思ってなかったら、その時はなにもなかったことにしたほうがいいのかなー…。でもそれだとなんかもやもやが残るような……あーやっぱりわかんねー…」
もどかしくて頭を掻きながら、それでも向き合おうとしていた時だった。
まさかこれ以上に頭を悩ますことになるなんて思ってもみなかった。
「だったらさ……こうしたらいいんじゃない?」
「ん?」
サユリがなにか思いついたようで、それを聞こうと振り向いた。
振り向いた先には、艶やかなサユリの顔が至近距離にあった。その距離は、段々と、段々と、近くなって、
「え?」
止まる頃には、唇に柔らかい感触があった。
その感触には覚えがあって、でも今回は以前よりも長く、以前よりも深く、優しくて、暖かくて。
お互いに動くことなく数秒間経って、今度はゆっくりと離れていく。
向き合って、見つめ合って、今この世界には二人だけしかいないような空間。心地のよい風が吹き抜けて、サユリの髪がふわりとなびいた。
「これがファーストキス……ってことでいいんじゃない?」
女性の可愛らしさや美しさを表す言葉はこの世にいくつかあるが、この時のサユリの魅力を表現できるような言葉を、俺は知らない。
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