第四章

第87話

 ――――――何もなかったことに……。




 文化祭は二日間にわたって行われる。お店が立ち並んだりとクラスの出し物中心に賑わう、所謂一般的な文化祭は二日目。初日はなにをするのかというと、大半を体育館の中で過ごすことになる。朝から体育館に集まり、開会式をした後、昼前まで文化鑑賞を行う。それが終われば部活や友達同士で募った有志発表が行われる。発表の内容は堅苦しいものではなく、バンドや歌唱やダンス、他にも劇やお笑いなどバラエティーに富んだ内容となっているので楽しみにしている人も多い。

 初日が前夜祭、二日目が本番なんて呼ばれているが、どちらも盛り上がるのは間違いない。


「それでは皆さん、ルールを守って楽しい文化祭にしましょう!」


 文化祭実行委員長の挨拶が体育館に木霊した。それは開会式の終わりと同時に文化祭の始まりを告げる言葉だった。数秒沈黙の後、高揚した気持ちを抑えきれずに体育館内はガヤガヤと賑わいだす。その雰囲気で俺も始まりを実感する。


「えー盛り上がっているところ悪いのですが、この後は文化鑑賞を行います。今年は映画をみんなで鑑賞します」


 マイクを通した教師の声は小さいわけでも大きいわけでもなかったが、賑わう体育館でもよく通っていた。その言葉で盛り上がりは抑止され、スムーズに映画鑑賞へと移行することができた。

 ”文化”の鑑賞というだけあって、映画の内容は少々お堅いものだった。実話を基にしたヒューマンドラマだったが、高校生でこの映画を最後まで真剣に観るのは中々に難しいかもしれない。集中力を切らさずに観ていればこの映画の良さを理解できると思うが、邦画特有の画面映えしない心情を表現したシーンは、いかにも眠気を誘っている。開始序盤でこくんと首を揺らす人をちらほら見受けられた。

 映画が終わると黒いカーテンが一気に開き、館内に光が一斉に入ってくる。まるで朝を迎えたかのように感じるのは周囲に伸びをする人が多いせいだろう。「寝てました」と清々しいほどに自白しているみたいだ。もちろん俺も含めて。

 有志発表の前に休憩を挟む。お手洗いはどこも混雑している。「俺ガッツリ寝てたわ」「○○先輩歌うらしいよ」至る所で聞こえる会話はお祭りの空気を漂わせる。

 早々にお手洗いを済ませた俺は幕が下りている舞台上に向かった。文化祭実行委員として進行の段取りを手伝う為だ。当然そこにエリカも含まれている。俺たちの担当は序盤の発表の準備だ。


「あら、遅かったわね」


「エリカが早すぎるんだって。女子の方がトイレ混んでただろ」


「そうなると思って先に済ませておいたのよ」


 こういうところがエリカが信頼を集める所以だろう。

 俺たちが準備するのは有志発表の開幕を務める軽音楽部の楽器だ。最初から景気よく盛り上げるために軽音楽部には毎年トップバッターを任せているようだ。シミュレーションしただけあって準備はスムーズに進む。


「さっきの映画けっこう面白かったわね」


 余裕がある分、手だけでなく口も動く。ドラムの大まかなセッティングをしながらエリカが言った。


「あー…そうだなー…面白かっ……たな」


「まさかエツジ君……寝てたんじゃないでしょうね?」


「いやいやそんなわけないだろ?あの爆発のシーンなんて迫力あってよかったじゃん」


「そんなシーンなかったわよ」


「アハハ……お、あとはバンドの人に任せていいっぽいな。邪魔にならないように俺たちは下がるか」


 話を誤魔化しながら舞台袖に移動する。腕を組みながら「まったくもう」と呆れるエリカを見て俺は安心した。

 よかった。ちゃんと話せてる。


「始まるみたいだな」


 準備が整い、体育館内に「お待たせしました!」とアナウンスが流れる。それを聞いて皆がわっと盛り上がる。すぐに「お静かに」とアナウンスが流れ、徐々に場はしんと静まる。誰の声も聞こえなくなったところで幕が上がり始める。

 幕が動くと、収まった歓声は再び聞こえてくる。幕が上がれば上がるほど、歓声のボリュームも上がっていく。待ってましたと言わんばかりのその歓声を正面から浴びるバンドのメンバーたちはさぞ気持ちがいいだろう。所々で聞こえる「笹川ー!」「シゲー!」というのはメンバー内の誰かの名前や愛称か。


「一発目から盛り上がっていきましょー!」


 センターに立つボーカルと思われる男の呼び掛け、それに応えるように拍手やら声援が返ってくる。音は振動、まるで地鳴りのようだった。

 ドラム、ギター、ベース、キーボード、様々な楽器の音が重なる。曲に合わせて手拍子や掛け声も加わる。俺に演奏の良し悪しはわからないが、舞台袖から見る彼らはスターのようだった。

 微かなブレスの音が聞こえたすぐ、センターの男がマイクに手をかけ歌いだす。


「♪――――――――――――――――――――――――――――――――」


 文化祭が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る