第79話

 放課後が空いている時はサユリの読み合わせに付き合っている。練習の場所に選んだのは帰り道の途中にある大きな公園。遊具のあるエリアだけでなく、ベンチやテーブルがある見晴らしのいい広場もあるので使い勝手がいい。


「おお、ロミオ、あなたはどうしてロミオなの―――」


 現在練習しているのは有名な裏庭のバルコニーでのシーン。好きになった相手が対立している家の人間だったことを知ったジュリエットは、月に向かって胸の内を話す。そこへロミオが現れ、お互いの気持ちを伝えながら、さらに恋に落ちていく。ロミオとジュリエットといえばこのシーンを浮かべる人も多いのではないだろうか。

 気持ちの表現が大事になってくるこのシーン、サユリも気持ちを込めて一つ一つのセリフを言っている。声の出し方から表情まで、まるで本当に恋をしているかのように思えるほどサユリの演技は素晴らしかった。

 こういう時に恥ずかしがるとぐだってしまうので、やるからには俺も真剣に取り組んだ。サユリの演技に引っ張られて俺のセリフにも気持ちが込められていく。

 今だけは俺も、ジュリエットに恋をして。


「いっそ君の小鳥になりたい」


「私もあなたを小鳥にしたい。でも抱きしめて殺してしまいそうだわ。おやすみなさい、ロミオ」


「おやすみ、ジュリエット。きっと明日、夢の続きを……」


 ベンチに座っている俺が立っているサユリを見上げている。まるで庭からバルコニーを眺めているかのようだ。見つめ合い、呼吸を忘れ、沈黙が続いた。

 数秒後、「ぷはぁ」と同じタイミングで息を吸い込んだ。


「こんな感じかな。どうだった?私の演技変じゃなかった?」


「全然変じゃなかったよ。それどころか凄いよかった。どっからどう見てもジュリエットだった」


「もう、言い過ぎよ。でもありがと。エツジの演技が上手だったから私も上手くできたんだと思うわ」


「逆だろ。サユリの演技がよかったから俺でもマシになったんだって」


「エツジよ」


「サユリだって」


 お互いに褒め合って譲らず、そのやり取りが何往復か続いた後「二人ともよかったってことで」と言って折り合いをつけた。「どっちでもいいのに私たちったら」と笑うサユリにつられて俺も笑う。くだらないやり取りでも場は和む。


「今の段階でこれだけ上手かったら心配ないな」


「そんなことないわよ。まだまだ練習しなくちゃ。でも一番の問題は緊張よね。本番でセリフ飛んだらどうしよう」


「緊張ねー…。そればっかりはどうしようもないな」


 本番は一回きり、だからこそ緊張する。練習を重ねるのも一つの方法だが、逆に重ねるほど緊張が増すという話もある。


「今から心配したところでどうしようもないからな。とりあえず練習するしかないって。俺も付き合うから頑張ろうぜ。それにコウキが相手だから緊張も多少和らぐかもしれないしな」


「それならいっそのことコウキとエツジ入れ替わったらどう?そっちの方が緊張しないで済むわ」


「いやなんでだよ。それに俺とコウキが入れ替わったら大事な集客が減るだろ」


「だからよ。観てる人が少ないとその分緊張しないでしょ?」


「そういうことか……ってそれはそれでちょっと酷くね?」


「アハハ!冗談よ。観てる人とか関係ないわ。本当はエツジが相手だったら気が楽ってことよ。ミスしても助けてくれるってわかってるから」


「助けれるかどうかはわからんが俺の方がミスが多いかもって意味では確かに気は楽かもな」


「それに……別のことで…頭がいっぱいに…」


「まあ入れ替わるなんて無理なんだけどな」


 俺は事実を述べただけなのだが、何故か頬を膨らませたサユリに丸めた台本で頭を叩かれた。「だって無理なもんは……」と口を開くごとに「うるさい」とポカポカ殴られるので、収まるまで俺は無抵抗を決めた。

 しばらくして収まったサユリは俺の隣に座り直した。台本はまだ丸められたままなのでいつ飛んでくるかわからない。


「その分しっかりと練習に付き合ってもらうからね」


 そこはコウキだろ、という言葉を飲み込んで「当たり前だろ」と俺は笑った。

 ちなみにサユリだけでなくコウキにも練習相手を頼まれたが丁重にお断りをした。何が悲しくてジュリエット役をしなければならないのだ。そもそも二人とも俺がなんでもできると勘違いしてないか?


「エツジたちのクラスはどんな感じ?」


「ぼちぼちかな。こっちは俺とエリカが中心となってやってるけど、俺たちのクラスも雰囲気は良くなってきたよ」


「そっか……最近エリカといること多いわよね」


「そうだな。この前の席替えで席も隣になったし、実行委員もやってるからずっと一緒にいる気がするな」


 なにか言いたげなサユリは唸っていたがなにも言わず、代わりに丸めた台本が飛んできた。ふん、と腕を組んでそっぽを向いたサユリを見ていると、なにか俺が悪いことをしたかのように思えてしまう。仲間外れに思ったのかもしれないがそんなことはないし、現にサユリの練習にも付き合っているのだが。


「いいわよ。当日は私と一緒に回る約束してるんだから」


 それを聞いて先日のコウキたちとの会話を思い出した。今の空気で言い出すのも辛いが、ここを逃すと後々苦しくなってくるのは俺自身だ。


「そのことなんだけど……」


「なに?」


 強めの語気に少しひるんでしまう。


「二人で回るって約束したけど……ちょっと難しいかもしれない」


「なんでよ?!もしかして誰かに言ったの?!」


「言ってはないんだけど……コウキたちはやっぱり六人で回るつもりだから」


 俺はコウキたちとの会話をそのままサユリに話した。

 話している内にサユリの顔が曇っていくのがわかった。サユリにははぐらかしたと言っておいたが、本当は誤魔化しきれなかったというのが正しい。


「どうする?」


「私は……」


 俯いているサユリはその続きを言わなかったが、その後に続く言葉はすぐにわかった。

 あの時の会話でもう一つサユリに聞きたいことがあった。約束にも関係があるので、様子を窺いながら話してみた。


「サユリが言ってたカップルイベントって、あれ、後夜祭のことじゃない?」


 サユリはなにも言わなかったがチラッと俺の方を見て反応した。


「毎年後夜祭でダンスとか告白イベントみたいなのがあるらしいんだけど、サユリが言ってたイベントってこれじゃないか?聞いた限り他にそれっぽいイベントはなかったからさ。噂伝いだから色々尾ひれがついて回ってきたんじゃないかと思って。あくまで予想だけど」


「やっぱ……無理なのかな……」


 なにかを呟いたサユリは「うん」と顔を上げ、笑顔を俺に向けた。


「……私もその話は聞いたわ。……そうね、多分私が言ってたのはそのことだと思う」


 サユリの笑顔は作られたものだ。受け入れているようでどこか弱々しい。


「だとしたら二人で回る意味もないもんね……イベントの内容が違うなら参加する必要もないし……そうね、やっぱり六人で回りましょ。その方がきっと楽しいわ。約束は……無かったことにしましょ」


 ズキン、心が痛んだ。約束を守れなくて、サユリにこんな表情をさせてしまって。

 正直、六人で回るのが一番丸く収まると思っていた。六人で回っても楽しいのは間違いない。そこにサユリも含まれているので問題はない。そう思っていたのだが……。

 

「あーあ……豪華賞品無くなちゃったなー…」


「何言ってんだよ。約束を無かったことにするつもりなんてないからな?」


 この時の俺は理屈など関係なく口を動かしていた。そうしないと、男として、二宮エツジとして駄目な気がしたからだ。

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