第52話
立ち止まったマコトは下を向いている。
「…んで……んないかな…」
「…マコト?どうした?」
8月の末ともなれば蝉の鳴き声も静かになる。遠くの方で聞こえるツクツクボウシの鳴き声は、何かを伝えようと必死に叫んでいるようにも聞こえる。
「…っと上手く…ってたのに……さい頃から……間かけて……エっ君は……」
「…マコト?」
「エっ君は僕の言うことを聞いてればいいのに!」
長年行動を共にしてきて、マコトが声を張り上げる姿を見るのは初めてだった。聞いたことのない声量と見たことのない姿に思わず呼吸を忘れてしまう程の衝撃を受けた。
「エっ君のことを一番知ってるのは僕だよ?サユリちゃんよりも、エリカちゃんよりも、コウ君よりも、リッキーよりも、誰よりもエっ君のことを理解しているのは僕だよ?その僕が教えてあげてるのに…。なんで?なんでわかってくれないの?エっ君は僕のこと信じてくれないの?」
今まで、どんなことでもマコトの言うことを聞いていれば上手くいっていた。だからこそマコトは正しいと思っていた。
でも本当は正しいとか間違いとか関係なくて、自分の心の声を聞いてあげることが大切だと気づいたんだ。誰かの意見が無駄とか意味がないというわけではなくて、最後に決めるのは自分自身という意味で。
マコトの言うことも参考にしながら、自分の気持ちを曲げないように、自分の気持ちに嘘をつかないようにしようと決意したんだ。なのに何故、目の前のマコトは悲しそうな顔をしていて、俺は切ない思いに駆られているんだ?俺が望んでいたのはこんなことだったのか?
「……エっ君…」
気がつけば俺の胸に顔を埋めているマコト。そんなマコトを俺は、抱きしめることも突き放すこともできずに、ただただ立っていることしか出来なかった。
「ごめん、ごめんな、マコト…。俺、マコトの言う通り夏のせいで変にテンションが上がってたのかもしれないな…。今話したことは忘れてくれ。俺が自分の気持ちを整理できたらまた話すから、その時、もう一度聞いてくれよ」
一歩目を踏み出した俺は二歩目を踏み出そうと足を上げたところで動きを止めてしまった。片足でバランスをとっているその姿勢はぐらついていて、風が吹いただけでも倒れてしまいそうに脆く、不安定だ。
夏休みももう終わりか、宿題は終わったのか?風呂に入ったら日焼けが痛いだろうな、新学期は何があるかな?そういや髪伸びたな?衣替えとか面倒くさいな、あの漫画の最新刊買ってないや―――
頭の中に浮かんだ話題を口にすることなく、2人は黙々と歩いていく。あとどれくらいこの時間は続くのだろうと思った矢先に結城家の表札が目に入る。
「じゃあ…また今度…」
「ああ…」
今回はすぐに背を向けて扉に手をかける。
「マコト!」
次の言葉を用意していないのに、勢いで呼び止めてしまった。
「…何?」
「いや…その…なんて言ったらいいかわかんねーけど…もし傷つけてたらごめん」
「さっきも謝ってくれたじゃん。もういいよ」
「それから…俺もマコトのことは一番知ってるから…何回も言うけど、マコトが優しいのはわかってるから…」
そこでようやく微笑んだマコト。その表情を見たくて最後に声をかけたのだと悟った。
「うん…知ってる…でも、ありがと」
そう言って扉を開けて家に入っていく。
「あ、言い忘れてたけど、夏休み終わっても毎日エっ君の家に行くから」
見えなくなったと思ったら顔をひょっこりと覗かせて、軽いトーンで無茶苦茶な宣言をしている。
「え?いや、でも―――」
「エっ君、部活してないから毎日暇でしょ?てことでよろしくね」
そう言い残して今度こそ家に入っていった。
「俺も何か始めようと思ってたんだけどな…」
本当に来るのかどうか、夏休みが明けてからどう接すればいいのか、考えたくても考える余裕がなかった俺は1人で帰り道を歩いていく。
言葉にも、行動にも、表情にも、それぞれ裏があって、その全てを知る方法なんて俺たちは知らない。
ほどけたと思っていた糸はどこかに結び目を残していて、その結び目を中心に糸は再び絡まってほどけていないまま、そんなことはお構いなく時間は過ぎていく。
暑かった夏が終わり、また次の季節がやって来る。
それでも、どんな形であれ、俺たちの関係はまた一つ進んだみたいだ。
◇
湯船に浸かって疲れた体を癒す。水の中で体を動かすというのは中々にエネルギーを消費するようで、今日の疲れはいつにも増してたまっていた。いや、身体的な理由だけではないか…。
お風呂に入っている時間は好きなのに、今日は鼻歌を歌う気分にはなれなかった。
常に彼のことだけを考えてきた。小学校の頃も、中学校の頃も、高校を選ぶ時は彼と同じ学校に通いたい気持ちを抑えて別々に進学した。その決断も彼の為と思えば我慢できた。
花火大会の時、本当は迷ってたんだ。彼の味方になるのに迷いはなかったが、他4人との関係をどうするかで悩んでいた。4人のことは僕も大好きだけど、亀裂が入ることで僕だけが彼を独り占めできるのなら、それもありなのかなとも思えた。何よりも彼が傷つくのであれば、誰であろうと許すつもりはなかった。必要であれば4人の敵になる覚悟さえもあった。でも、寂しそうな彼の表情を見たら、仲直りこそが彼の最も望んでいることだとすぐにわかった。そして、これからもずっと、仲良く…。
その後の彼の様子を見ていれば、迷いながら下した決断は間違ってなかったなと思えた。
笑顔が増え、少し積極的になった気もする。良いことなのは違いないのに、僕の中に小さな小さな不安が生まれていた。彼と一緒に過ごせば過ごすほど、その不安は少しずつ大きくなっていく。
彼の口からとある相談事を直接打ち明けられた時、その不安の原因と僕の判断が間違っていたことに気づいた。こうなるくらいなら…と何度後悔したことだろう。このままだと今までゆっくりと時間をかけて築き上げた彼との関係が崩れてしまうかもしれない。
僕は理想を現実にするために色々なことをしてきた。彼の知らないところでも…。誤算があったとするならサユリちゃんやエリカちゃんとの関係性だ。2人の気持ちは中学の時からなんとなく気づいていたし、その可愛さと美貌は脅威になり得ると警戒していた。それでも2人は僕にとっても彼にとっても大切な友達だったからどうすることもなかった。2人がいることで彼に近づく人が少なくなったのも僕にとっては好都合だったからね。
でも、それも今日までかな。もう悠長なことは言ってられない。これからは手段を選んでいられない場面も来るだろう。心苦しくなることもきっとある。それでも、どんなことをしてでも、譲る気はない。
エっ君と結ばれるのは僕だ。エっ君は僕のことだけを考えていればいいんだ。
ああ、こんなにも―――
「愛しているのに」
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