第26話

「エツジ、歯を食いしばれ!」


 「へ?」と何のことかわからないまま、頬に鈍い痛みが走った。


「いってーな…。いきなり何すんだよ…」


「目は覚めたか?」


「……ああ、段々とな」


 「そりゃよかった!」とリキヤは豪快に笑った。

 本音を知られてから、殴られることも想定していた。だが、この拳には悪意は感じられなかった。その証拠に、痛みは心にまで届いている。

 手荒にも思えるが、俺とリキヤには言葉よりもこっちの方が伝わりやすいのかもしれない。


「俺には難しいことはわからんが、ようはあれだろ?俺のかっこよさに嫉妬したんだろ?そりゃ仕方ないことだって!」


 「それはない」とサユリたちが口を揃えているが、噛み砕いて言えば合っている。容姿だけのことではないのだが、言葉にすると、どれだけ自分が醜いかを確認させられる。

 リキヤは本人が言うように複雑なことに苦手意識がある。だがそれは時として、真理や核心に迫ることとなる。

 そんなリキヤが羨ましくも思う。


「そうだよ。お前も、みんなも、俺に無いものを持ってるからな……。そんな凄い奴らの近くにいると、自分が霞んで見えるんだ……」


「ふむ。冗談はさておき、なるほどな。お前に無いもの、か。だがそれは逆も然りだろ?俺に無いものもお前は持ってる」


 そんなものあるのだろうか?


「人望だよ。エツジの人間性によるものだ。俺らがここにいるのもそれを示してる。お前は俺たちのことをすげーって言うけど、その俺たちがお前の元に自ら集まってるんだぜ?お前のことを誰よりすげーって思ってるんだよ。少なくとも俺は、一生ついていくつもりだぜ」


 その発想はなかった。憧れて、羨んで、妬んだこともあった人たちが、俺の近くにいるという状況をそのように捉えることができなかった。


「お前言ったよな?『俺がどう見えてるんだ?』って。俺には、エツジはエツジにしか見えないよ。それ以上でも、それ以下でもない」


「そういう意味で言ったんじゃない。あれは―――」


「中学の時、お前に俺はどう見えてたんだ?」


 ハッとして当時を思い出す。

 あの時、周りがどれだけリキヤを避けようと、俺にとってリキヤはリキヤで、何も変わらなかった。


「今のお前より、よっぽど俺の方が酷かっただろ?あの時、何で見捨てなかったんだ?」


 難しいことじゃない、簡単だ。それは―――


「友達だったから…。その先もずっと友達でいたかったから」


「…まあ、そういうことだ。お前がどっか行っちまいそうになったら、俺がぶん殴って止めてやるよ。エツジ、お前の”居場所”はここにあるだろ?」


 きつい言葉が飛んでくると思っていた。罵詈雑言をも覚悟した。なのに、こんなに暖かい言葉をもらえるなんて思ってもいなかった。

 目頭が熱くなる。何かがこみ上げてくる感覚。先程からずっと我慢していたのに、耐えられそうにない。下唇を噛んで、ぐっとこらえる。




「言いたいことはほとんど言われちまったな」


 やれやれとコウキが1歩、前に出る。

 これ以上何を言われても、両の目から流れるものがあるので、顔を俯かせる。


「元はと言えば、俺が『くだらない』なんて言ったのが原因だもんな。ごめんな、エツジ」


 コウキは悪くない。コウキのおかげで初めて自分を曝け出して、向き合うことができた。


「けど、これだけはわかってほしい。俺たちにとって、それくらいエツジと一緒に居るっていうのが当たり前になってたんだ。壁なんてあるはずがないと思ってたんだ」


 壁なんてなかった。俺が勝手に作っただけなんだ。


「小学校の時、エツジが俺を誘ってくれたあの時から今までずっと、楽しかったんだ。ただそれだけなんだ。これからもずっと、そんな時間を過ごしていきたいんだ」


 俺だってそうだ。みんなと過ごした時間は何よりも楽しかった。

 自分の記憶を辿って、一つ一つ頭に浮かべた光景は、涙となって頬を伝っていく。


「悩みなんか誰だってある。それを全部隠さずに言えとは言わないよ。でも、俺たち親友だろ?それは変わらない。俺たちがエツジを頼ってきたように、エツジも俺たちを頼ってくれよ!」


 やっと顔を上げることができた。


「エツジは……どうしたいんだ?」


 そんなの、決まっている。


「俺も、お前らとずっと一緒にいたい……。みんなと笑って過ごしてたい……」


 渇いた喉から絞り出した、嗚咽雑じりの声は、ちゃんと届いたのか不安になる。


「だったら、これからも”一緒に遊ぼ”ーぜ!改めて、よろしくな!」


 差し伸べられた手を迷わず取って、抱えるように胸に抱く。高校生にもなって、それも人前で泣くなんて思わなかった。でもこの時は、羞恥心なんて微塵もなかった。視界はぼやけて周りが良く見えない。それでも、俺を囲むように体温を感じる。夏のこの暑い日に、ベタベタと暑苦しくて、どこか心地良くて、嫌いじゃない。

 10年目にして、俺たちの関係はようやく1歩進んだみたいだ。




 どれくらいの時間そうしていたかわからないが、泣き疲れた俺たちは笑い合った。「変な顔ー!」なんて言い合うのが、また楽しい。

 それから橋の手すりに沿って並び、夜空を見上げる。その様子は、今から花火が打ち上がるかのように思えてしまう。


「あーあ…。せっかく2人きりだったのになぁ」


 俺の横でマコトが片肘をついて呟く。


「お前……、わかってたんじゃないか?」


「さあ、なんのことかなぁ?僕はエっ君と花火を観たかっただけだよ?」


「……そういうことにしておくか」


「でも残念だなぁ。エっ君の悩みは僕だけが知ってて、ちょっと優越感があったのに……」


「なんだそれ……」


 「大事なことだもん…」と拗ねるマコトの感情は読み取りにくい。

 気づかれないように、そっと耳元に口を近づける。


「これからも聞いてくれるだろ?」


「はひ?!」


 目を丸くして慌てふためくマコトを見るのは珍しい。狙ってやったのだが。ぷくっと赤い頬を膨らませてこちらを睨んでいる様は、可愛らしいものだ。


「むぅー…。しょうがないから聞いてあげる…」


「ハハッ……ありがとな」


「ちょっと、あんたたち何話してるのよ?」


「何でもないよ」


「あれ?さっそく隠し事か?」


「何でもないんだって。なぁ?マコト?」


「エっ君がエッチないたずらしてくる……」


「はぁ?!どういうことよ!」


「いやいや、してねーよ!マコトも嘘言ってんじゃねーよ!」


「そんなにしたいなら…私にしてもいいわよ?さぁ、いいわよ?エツジ君」


「だからしてないっての!」


「そんなことより、やはり花火が観たいな…。そうだ!コンビニで買ってみんなでやろう!」


「それいいじゃんいいじゃん!早速行こうぜ」


「しょうがないわね。ほら、行くわよ」


「まだ途中なのに…。まあいいわ」


「何やってんだエツジ!置いてくぞ!」


「…だってさ。エっ君。早く行こ?」


「ああ、そうだな」


 俺たちは歩き出した。

 この先、どこに行くかもわからない。だけど心配はない。どこに行っても、この6人なら大丈夫。そう確信している。助け合って、支え合って、どこまでも―――


 みんなが俺に言ってくれたように、みんなが俺を頼ってくれたように、これからは地味で陰キャな俺も……。


 ――――――みんなを頼ってもいいですか?

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