第7話
カラオケ屋に来たのは久しぶりだった。鳴り響く音楽、どこかの部屋からうっすら聞こえる誰かの歌声、それらで構成される賑やかな空間は自分には合っていないと思いつつ、嫌いではない。
ガチャッと扉を開ける。俺たちの部屋は一番端にあり、扉から見て右と正面に椅子、左側にモニターがある角部屋となっていた。
「さて、とりあえず何か歌ってみるか」
相談されたあの日、家に帰ってから歌の上達法についてザックリと調べた。それによると、音程、リズム感、声量、この辺りがまずは大事になってくる。当たり前のことだが、これらがどの程度なのかで練習法も変わってくる。
細かく言うと他にもある。特に目安とされるカラオケの点数を上げたいのなら、加点のポイントを狙うのもありだが、それはある程度歌える人がもっと上手くなるために意識することなので今回はスルー。
まずはエリカがどの程度歌えるかを把握する。
「そうね。何から歌えばいいかしら?」
「自分が好きな歌で良いんじゃないか?」
「特にないわ」
「んじゃ今流行ってる曲とか」
「うーん……これなら知ってるわ」
エリカが選曲したのは今流行りのドラマ主題歌だ。最近ではどこかしらで耳に入る有名な曲である。
「いいんじゃないか。そこまで難しそうじゃないし」
「ええ、この曲にするわ」
エリカは曲を入力し終えると、マイクを持って待機している。上手くないと言っていたがその姿は絵になっている。さて、実際はどんなものなのか。
伴奏が流れだす。そしてエリカはモニターの歌詞を追いながら歌い始める。
「♪――――――――――――――――――――――――――――――――」
これは……。
「♪――――――――――――――――――――――――――――――――」
ふむふむ……。
「♪――――――――――――――――――――――――――――――――」
下手に盛り上げようとして邪魔になることを恐れ、歌が終わるまで俺は黙って聞いていた。
「ふぅー……、とりあえずこんなものね」
「暑いわね」と、エリカは手で顔を扇ぎながらドリンクに手を伸ばす。歌っている途中、体は微動だにしなかったが、そうとうエネルギーを消費したのだろう。その証拠に少し額に汗を浮かべている。
「でどうだった?」
やはり気になっているようで、すぐに評価を求めてくる。
「正直に言わせてもらうと……普通に上手いんだが」
「本当?!」
これはお世辞ではない。一通り聞いてみて思った素直な感想だ。もちろん音痴な俺の主観だけでなく、カラオケの採点機能も【88】と表示されている。あまり詳しくは知らないが、この点数は上手いと言えるのではないか。
加点のことは置いといて、基礎の音程やリズムに関しては問題ないような気がする。歌った曲についても、聞いたことある程度と言っていたが、それでこの点数だと伸びしろがある。
俺は自分なりの感想と点数のことなどをエリカに伝える。エリカは予想以上の出来に嬉しそうだった。
「なんだよ。やっぱり謙遜じゃないか」
「そんなことないわ。現にその時一緒だった子たちに下手と言われたわ」
エリカは少し影を落とす。その時のことを気にしているようだ。
「そうなのか…、ちなみにその時の点数って覚えてるか?」
「正確には覚えてないけど……、確か70台だったかしら」
それは確かに下手だな…。
「歌う曲によって差があるかもしれないし、その時の調子で変わることもある。曲をかえて何曲か歌ってみよう」
連投してもらうことになるが、エリカもまんざらではなさそうなので頑張ってもらう。
「♪――――――――――――――――――――――――――――――――」
「♪――――――――――――――――――――――――――――――――」
「♪――――――――――――――――――――――――――――――――」
間に休憩をはさみながら3曲ほど歌ってもらった。
結果は下手どころか徐々に上手くなっていった。歌うことに慣れてきたのか、3曲目の点数は【90】に達し、いよいよ普通に上手いとされるレベルになった。
エリカの声は透き通るように綺麗で、採点を抜きにしても聴いてて心地よいものだった。
「……めちゃくちゃ上手いんだけど」
「そうみたいね。今日は調子が良いみたいだわ」
「本当に下手だったのか?」
「さっきも言ったでしょう?もしかして知らないうちに上手くなったのかしら」
「そんなものか?」
「そんなものよ」
あまり腑に落ちていないが上手いに越したことはないので、気にかけるのは無意味かもしれない。
「一応聞いとくけど前と違うとことかないよな?メンバーは当然違うけど」
「そうね……」
なんとなく投げた質問にも、エリカは真剣に答えようとしてくれる。
「今日はとてもリラックスして歌えている、くらいかしらね」
その時、ある考えが頭に浮かぶ。
「前は緊張しすぎて力が入りすぎていたわ。まあ歌には関係ないと思うけど」
いやいやちょっと待て。
「……それが原因じゃないのか?」
「どういうこと?」
「多分だけど、元々エリカは歌が上手かったんだよ。ただ他の人の前だと緊張して本来の力が出せてなかったんだ。よくある話だけど」
ここでようやくエリカも理解した。
「そうだったのね…、うん、確かにそれなら納得するわ」
「それを先に言ってくれたらもっと別の方法があったのに」
「仕方ないじゃない。あなたと来ないと比較なんてできないし、気付きようがないわ」
「それはそうだけど」と言いつつも、空回りしていたことに肩の力を落とす。
「そんなにしょげなくてもいいじゃない。原因がわかってよかったわ」
顔に手を当てている俺を見かねて、エリカは俺に言葉をかける。
「しょげてはないけど……、でもこれじゃあ俺が来た意味ないな」
「どうして?」
「緊張が理由なら俺と練習しても意味ないだろ。もっと別の人と行って慣れないと結局変わらないままじゃないか」
「そんなことないわ。あなたと来たことには大きな意味があるわ」
「どんな?」
「……内緒」
その意味については最後まで教えてもらえなかった。その後は「せっかく来たのだからエツジ君も歌いなさいよ」と強引にマイクを渡されて歌う羽目になった。
俺としてもエリカ相手に気を遣わないので、下手なりに思いきり歌った。
「下手ね」とクスクス笑われるが、そこには嫌味が含まれていない。ただ単に俺の下手さに笑っているのではなく、それを含めた2人のいる空間を純粋に楽しんでいるようだった。
おかげで俺自身も楽しむことができた。
交互に歌い合ってそこそこ時間が経過した。歌うというのは思ったより喉を酷使する。2人ともコップが空になったので補充しに行こうとするが、扉に近かった俺が「2人分汲みにいく」と席を立つ。
自分の分のコーラを注ぎ終えた後、エリカに頼まれたオレンジジュースを注ぐ。コップを置いてボタンを押そうとした時だった。
「なんだ、お前も来てたのか?」
背後でつい最近聞いた声がした。あの時のこともあって今回は振り向いてみる。
そこにはつい最近見た人物が立っていた。
「やあ、林君。こんなところで奇遇だね」
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