第8話
こんなことってあるものなのか?と思っていたが、よくよく考えれば十分あり得る話だ。
俺とエリカは部活の後に合流しやすいよう、前にサユリたちと来たあの駅で待ち合わせをした。その周辺にはもちろんカラオケ屋もあるので都合がよかった。ただ、他の生徒も利用しやすいことを考えると、もう少し場所を選べばよかったと、この時は後悔した。
「えっと……そういえばお前、名前なんだっけ?」
「二宮エツジだけど」
「そう!二宮だ!」
からかっているのかわからないが、そこでようやく俺の名前を認識してくれたみたいだ。
林君の格好を見る限り制服だったので部活帰りに寄ったのだろう。
「お前もしかして1人で来てるのか?」
俺がその問いに答える前に「寂しい奴だな」と勝手に決めつけている。まるでそうあって欲しいかのように。単純に馬鹿にしたいだけなのが伝わる。
「一応友達と2人で来てる」
その友達が誰なのかを知られると面倒なことになるのが予想できたので、必要最低限の情報を伝える。
「へぇ、まあどうせお前と似たような奴だろ?いいんじゃねーの、陰キャは陰キャ同士で」
林君もコーラを汲みに来たみたいで、並々に注いでいる。
あまり詮索されても困るので様子を見ながら、部屋に戻るタイミングを窺う。
そろそろ戻ろうと思った矢先。
「せっかくだからちょっと会わせろよ。どんな奴か見てみたい」
されたくなかった提案を先に言われた。カラオケ屋で知り合いに会ったらこうなるのは自然な流れかもしれない。だが今回はエリカのことがある。
他の人に知られまいと、わざわざ俺に頼んできたくらいだ、合流するのはまずいだろう。歌うのに慣れてきて気持ちもほぐれてきたが、それでもいきなり緊張を克服というのは難しい。
「いや、俺らは俺らで密やかにやってるからさ。それにそっちを盛り下げるかもしれないし」
「いいじゃねーか、ちょっと見るだけだって」と言う林君の顔はニヤついている。
そこまでからかいたいのだろうか。
もしかすると俺がごまかそうとしたのが裏目にでたのかもしれない。
「エツジ君、何かあったの?」
ドリンクを汲むのにしては時間がかかっている為、様子を見に来たエリカと鉢合わせする。タイミングとしてはあまり良くない。
「真弓さんもいたの?」
「あら、林君も来ていたのね」
エリカの表情は変わらないままだ。
「そうなんだよ。ちょうど今、二宮と会ってさ、こいつも友達と来てるっていうからどんな奴か気になって」
「それ私よ」
「え?」
「だから、私とエツジ君2人で来ているの」
「なんでこんな奴と……」
「言ったでしょう?仲が良いって」
はあ、と息を吐いたエリカと目が合う。アイコンタクトとまでは言わないが、なんとなく意思が伝わってくる。多分この状況をすぐに察してくれたのだろう。
「そういうことだから。戻りましょう、エツジ君」
ああ、とドリンクを持ってエリカのもとに向かう。エリカが来たときはどうなるかと思ったが、そのおかげで助かった。と、思っていた。
「あれ?真弓さん?」
奥の方から歩いてきた女子2人と男子1人のグループに声をかけられた。よく見ると全員クラスで見たことある顔だ。
「ケイスケが遅いと思ったらそういうことだったのか」
「真弓さんも来てたんだー。二宮君もいるし、もしかして2人で来てたの?」
「え、ええ、そうよ」
さすがにエリカも動揺している。
「よかったら一緒に歌おうよ。真弓さんとカラオケ行きたかったんだー」
「真弓さんの歌聞きたーい」
女子たちはキャッキャッと騒いでいる。エリカは男子だけじゃなく女子にも人気なので当然の反応だ。
どうやら林君はこの3人と来ているらしい。背後から「みんなもこう言ってるし」と林君が追い付いてきた。
エリカの立場上、断りづらいし、なによりここまで言われて拒否するのも不自然だ。仕方なく俺たちは向こうの部屋にお邪魔することにした。
「どうしよう?」
エリカがひそひそと耳打ちしてきた。
「こうなったらもう仕方ない。せっかく歌も練習したんだ、なるようになるさ」
「でも…やっぱり緊張してきたわ……」
「これも練習だと思って。俺も隣にいるからさ」
気休めの言葉をかけている内に部屋に着く。席に座って早々「何歌う?」と、エリカは詰められている。曲選びを理由に1曲分の猶予をもらっていた。多分歌う曲は決まっていたが、迷っているふりをしている。その間、他の人の歌声など耳に入っていないだろう。
そういう状況での時間経過とは早いもので、すぐにエリカの番がやってきた。
エリカは見るからに力が入りすぎている。周囲の「楽しみー」「絶対上手いよ」などの言葉に呼応して膝の上でマイクを握る手が震えている。平静を装ってはいるが隣にいる俺には丸分かりだ。
あのエリカがこの程度のことで緊張するものなのか?という思いはあった。だが案外そんなものなのかもしれない。完璧な人に限って、些細な事でも意識しすぎたり、重く捉えたりすることがあるのだろう。エリカにもあって、その些細なことの一つが「歌」だったのだろう。
歌が上手くなりたいという相談も、エリカにとっては俺が考えるより深いものだったかもしれない。
さっきまで一緒に歌っていたからわかる。このままでは上手くいかない。音痴のレッテルを貼られるかもしれない。そんなのたいしたことではないのだが、エリカ本人はまた気にしてしまう。そんな姿を俺は見たくない。なにより、
――――――隣で友達が困っているのに何もしないなんて俺にはできない。
「エリカ、落ち着け」
俺の声はエリカに届かない。
「おーいエリカ、大丈夫か?」
イントロが流れだし、それに反応して部屋の中のボルテージが上がる。
「エリカ!」
小刻みに震えるエリカの手の上にパシッと手を重ねる。机の下で周りに気づかれないように。そこでようやくエリカがこちらに気付く。
「落ち着け、エリカ。さっきみたいに歌えばいい」
「そ、そうね。大丈夫、私なら大丈夫……」
「そう、大丈夫」
重ねた手をキュッと握る。
「エリカならできる。もし失敗しても、その後に超絶音痴な俺が忘れさせてやるから安心しろ」
クスッと、それまで強張っていたエリカに笑みがこぼれた。
「フフッ、ありがと。もしもの時はお願いね」
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