ヒーロー

とある中学生(わたなべ)

正義と悪

カチ、カチ、カチ、カチ……


都内のカフェ内に、何とも鬱陶しい音が響いている。人はこれを、騒音とでも呼ぶのか。


──


俺は、朝から機嫌が悪かった。

ネットニュースの記事を見れば、『正義のヒーロー。またもや、人を救う!』なんていう、たいへん馬鹿げた文字が並んでいて、思わず舌打ちをしてしまったものだ。その記事の内容は、''大量の荷物を持っている高齢者のお婆さんを、ヒーロー、つまりが助けた''というものだった。対して偉くもない気がするのは何故だろうか。俺自身、偽善行為であることを自覚しているから?今考えて思いつくことといえば、それしか無い。そうして機嫌が悪い原因は、として、世に拡散されていることである。恐らく、大半の人がこの思考を理解することができないだろう。褒められたら、誰だって嬉しいに決まっている。だけど、毎日、毎日褒められるのはどうだ?最初のうちは気持ちが満たされるものの、徐々に褒めの言葉を侮辱の裏返しとして受け取ってしまうようになる。そうなってしまえば、もうお終いだ。ヒーローでも、正義でも無くってしまう。ただの、普通の、人間だ。或いは、それ以下の、悪人かも知れない。


丁度1ヶ月後に予定されている『ヒーローとふれあおう』というイベントの内容を、大まかに考えなければいけない。マネージャー曰く、スタッフで細かなことは決めるが、本人の意見も採用したい、だとか何だとか。ヒーローに、マネージャー……?ヒーローに、スタッフ……?これもまた、大人にしかわからぬような闇であるのかも知れない。ノック部分を押し続けるのを漸く止め、A5サイズのプリントに文字を書こうとした。……が、


「あ!ヒーローだ!!」


虚しくも、甲高い声によって遮られてしまった。


「あぁ、……こんにちは」


「ヒーロー!!かっこいい!!」


「そりゃあ、どうも」


走らせていたペンを静かに置いて立ち、声を上げる少年の方へ行ってしゃがんだ。目を輝かせる少年に、なんて純粋なんだろう……と、思わず落胆する。ふと見れば、後ろにいた父らしき人が何故だか苦笑いをしている。俺は腰を上げて、今度はそちらに視線を合わせた。


「いやあ、すみませんね……。子どもが大好きなもので……」


「とんでもない。こちらとしても、嬉しい限りですよ」


「やはり、紳士な方ですね。……あ、ネットでも話題になっていましたよ。何でも、また人を助けたらしいじゃないですか」


「まさか。アレは当然のことですよ」


「かっこいいですね。これからも、頑張ってください。……そうだ。この子の為に、サインなんか書いてもらえます?」


「もちろんです。ボールペンですけど……」


「ええ、構いませんよ」


小さなカバンの中から取り出された手帳。それを受け取り、先程まで座っていた席に戻って、サインを書いた。それを少年に渡すと、「やったー!ありがとう!!」と言って小さく飛び跳ねた。この純粋さが、大人には欠けている。何とも哀しい事実だ。


「では、これで」


その、父らしき人は、少年の手を引いてカフェを出て行った。その途端、少年が持っていた手帳を雑に奪い取り、少年の手を離して、ひとり手帳を見ながら不敵な笑みを浮かべていた。


少年よ ……、すまない。

しかし、これが現実なのだ。大人たちの、薄汚い社会がこれだ。生憎、俺は男性の大人が苦手なもので、と言っても、自分こそ、その中のひとりではあるのだけれど。


あの目力。優しい目をしていながら、その奥には鋭い目が潜んでいる。人間の目には、いくつか種類があるのだろう。あの少年の父も、そうだ。書いたサインは父の物になるか、或いは転売されるかの二択。自分自身、傷付きはしない。そのようなことは、両手に収まらないくらい起こっているのだから。唯一、傷付くことと言えば、……子どもたち。子どもたちは皆、大人の本性・人間の本性に気が付いていない。大人は、可笑しな理由を付けて子どもから何もかもを奪い取り、子どもに責められると、嘘を生む。生むというよりかは、何個もある嘘のレパートリーの中から選択して、口に出しているのかも知れない。大人は狡賢いからな。


少年、君はお父さんの背中を見て育っているのだろうけれど、決して後ろについて行くような人間には成っては、ダメだぞ。


──俺は店内にため息をひとつだけ残して、後は全て喉にとどまらせておいた。


ポケットに入れていたスマホがピコン、と音を立てた。


「……一体、何だ?」


目に映っているのは、『新ヒーローが誕生!』という見出し。眉をしかめながら記事を読んでいくと、何やら専門家の人へのインタビューが載っていた。


『新しいヒーローの誕生について、どうお考えですか?』


『いやあ、そうですね。非常に良いことだと思いますよ。近頃はヒーローのおかげで、人々の為になるような行動をしてくれる若者が増えていますからね』


『仰る通りですね。子どもへ与える影響については、どうでしょう?』


『それはもう、素晴らしいものですよ。私の甥っ子なんて、道に落ちているゴミを拾っては、家に持ち帰ろうとするくらいですからね。……ははっ、良い子に育ったもんですよ』


『なるほど。では、かつてのヒーローについてですが──』


俺は、記事を読むことを辞めた。


馬鹿らしい。阿呆らしい。

きっと、何奴も此奴も偽善者に決まっている。

世間の注目を浴びたいだけだろう。

何が''ヒーロー''だ。ただの悪人じゃないか。

欲に塗れた、汚い人間だ。


この世に善は存在しないのかも知れない。


俺はSNSのアプリを開き、怒りを抑えながら文字を打った。







「''このヒーロー、高校時代の同級生です。何度か、虐められたことがあります。こんな奴、ヒーローなんかじゃないです。偽善者には、悪人の仮面を捧げるべきです。''……っと」


ほら、俺だって偽善者だ。悪人だ。

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