花に熱、まどろみの夢

無月弟(無月蒼)

花に熱、まどろみの夢

 白泉中学校、三年一組の教室の前。アタシは昨日家で何度も練習した言葉を、頭の中でもう一度繰り返す。


 一緒に、夏祭りに行かない? ……よしOK。

 何も難しい事はない。夏祭りに友達を誘う、ただそれだけの簡単なミッション。その友達というのが、私の好きな男の子と言う一点が、若干難易度を上げているけど。


 ええい、悩むなアタシ!

 だけどアイツの姿を探すべく、教室の中を覗き込んだその時。


「ハナ」

「ひゃうん⁉」


 いきなり後ろから名前を呼ばれて、振り返るとそこには探していた男の子の姿が。もう、脅かさないでよ。

 まあいいか。それより、せっかく声をかけてくれたんだから、早く誘わないと。だけど口を開きかけたその時。


「今度の夏祭り、ハナも行かない? クラスの皆で」


 …………はい?

 クラスノミンナデ、ね。うん、アタシもさ、お祭りに誘おうとしたよ。だけどそれは、皆でじゃないの! 夏祭りには、二人で行きたかったのに。ユメのバカ―!






 アタシ、ハナには、好きな男の子がいる。

 それは隣の家に住んでいる、幼馴染のユメ。夢路って名前なんだけど、アタシは昔から彼の事を、ユメって呼んでいるのだ。


 物静かでマイペース。だけどそんな落ち着いた所が大人っぽいと、小学校の頃から女子に囁かれ、密かに好かれていたユメ。

 それが中学に上がって背が伸びて、格好良さに磨きがかかると、人気はさらに伸びていって。同時にアタシは、焦りを感じるようになっていった。

 人気なんて出なくていいのに。ユメが恰好良いって事も優しいって事も、アタシだけが知っていればそれでいい。独り占めしたいって、思うようになっちゃった。


 けど大丈夫。ユメの一番近くにいる女の子はアタシだもん。今度ある夏祭りだって、誘えばきっと一緒に行ってくれるもん。そう思っていたのに。

 一緒に行ってはくれるけどさあ、みんなも一緒ってどういう事?


 ふん、どうせユメはアタシの事を、ただの友達としてしか見ていないんでしょ。

 皆で遊ぶのいいけど、気合を入れて誘おうとしていただけに、拍子抜けというか、変に冷めちゃったというか。

 あーあ、何だか夏祭り、行きたくなくなってきたなあ。当日、雨でも降って中止になってくれないかなー。


 しかし、そんな不謹慎な事を考えた罰が当たったのか。それとも神様が、行きたくないという願いを叶えてくれたのか。お祭りの当日、夏風邪を引いて熱を出したアタシは、家で寝込む羽目になった。


 最悪、最悪、最悪!

 とりあえずユメには電話で事情を伝えたけど、「分かった」とだけ言われて通話を切られて。ベッドにごろんと仰向けになったら、急に寂しさが込み上げてきた。


 ユメってば、きっとこれから友達と一緒に、夏祭りを楽しむんだろうなあ。そこにアタシがいなくても、楽しく笑って。あ、何だか涙が出てきた。

 熱のせいで、心が弱っているのかも。頭と一緒に、何だか胸の奥まで痛くなってくる。


 しかもこんな時に限って、お父さんもお母さんも用事で出かけていていない。

 一人静かに布団の中で、時が過ぎるのを待つだけ。本当なら浴衣を着て、夏祭りに行くはずだったのになあ。昨日までは行きたくないなんて思っていたのに、今になって後悔するなんて、勝手な話。


 頭から布団をかぶって視界をゼロにして。もうさっさと寝ちゃおう……。


「ハナ。ハーナ」


 ん、なんか今、ユメの声が聞こえたような? 

 そんなはず無いか。だってユメは今、夏祭りに行ってるはずだもの。気のせいかな。


「ハナ、もう寝ちゃってるの?」


 寝てるよー。って、何だかやけにはっきりした幻聴だな。

 寝返りを打って、もそもそと布団から顔を出してみると。


「なんだ、やっぱり起きてたんだ。こんにちは、ハナ」

「………………⁉」


 目の前にはユメがいた。

 ええと、これは夢? ユメの夢を見ちゃってるの?

 だけどパチパチと瞬きをしてみても、頬っぺたを引っ張っても、目の前のユメは消えない。という事は。


「ぬわあああああああああっ⁉」


 思わず叫んで、直後に痛みの走った頭を押さえる。

 やっぱり、熱のある時に叫ぶもんじゃないわ。けど、叫びたくなるアタシの気持ちも分かってほしい。


「ユ、ユメ、なんでここに? お祭りに行ったはずじゃ?」

「ハナを放って、行けるわけないだろ。今日はおじさんとおばさんもいないって聞いてたから、心配になって。勝手に入らせてもらったよ」


 うちの置き鍵の場所を、しっかり把握しているユメ。鍵のかかっている家の中に入るなんて、朝飯前だ。

 で、でもちょっと待って。アタシ今パジャマで、髪もぼさぼさで。そんな姿を、ユメに見られてる⁉


「い、今すぐ部屋から出て行って!」


 そう言ってすぐ、しまったと慌てて口を塞いだ。

 いくら恥ずかしいからって、せっかくお見舞いに来てくれたのにこの言い方は無いわー。

 あわわ、ユメってば、そんなショックを受けたみたいな顔しないで―!


「ごめん、迷惑だった?」

「ううん、そうじゃなくてその、こんな格好を見られるのが恥ずかしいの!」

「なんだそんな事か。大丈夫、ハナはいつだって可愛いから」

「え、可愛い? って、そんな見え透いたお世辞はいいから、さっさと出てってー!」


 まあ、可愛いって言われたのは嬉しいけど、それでもやっぱりちょっとね。

 キツイ言い方になっちゃった事を後悔したけど、ユメは気にする様子もなく、穏やかな目をこっちに向けてくる。


「分かったよ。そういえば、ご飯まだだよね。おかゆでも作るから待ってて。それまでは、これでも飲んで休んでてよ」


 スポーツドリンクの入ったペットボトルを渡されて。こういう優しい気遣いをされると、熱の痛みも一瞬忘れて、やっぱり好きだなあなんて思っちゃう。

 部屋を出て行くユメを見送った後、受け取ったドリンクをゴクリ。ああ美味しい。


 けどユメってば、本当にお祭りに行かなくて良かったのかな? 風邪引きのアタシに付き合うよりも、皆と一緒に遊んだほうが、絶対に楽しいはずなのに。

 だけどゴメン、それなのに来てくれた事を、つい嬉しいって思っちゃう。ユメを独り占めだなんて、不謹慎だけど風邪ひいて得した気分だ。


 さて、ユメの言っていた通り、おかゆができるまではゆっくり寝ておかないと。けど、髪に櫛を入れるくらいはいいよね。本当は服ももっとオシャレなものに着替えたかったけど、そんな事をしたら怒られそうだし。でもせめて、髪だけでも整えておきたい。

 しかし、櫛を取ろうと、ベッドから起き上がったその時。


 …………ちょっと待って。さっきユメさっきは、何をするって言ってたっけ?

 おかゆを作る。確かそう言ってたはずだけど。


「あっ、あああ――、痛っ!」


 また大声をあげちゃって頭を押さえたけど、それどころじゃない。だって、だってユメは。


 慌てて部屋を出て台所に行くと、いったい何があったのか。

 床には無残に水を吸ったお米がぶちまけられていて、お鍋がひっくり返っていて。もう目も当てられない大惨事。強盗が入ってきて大暴れしたって、ここまで酷くはならないんじゃないかってくらい、台所はひっちゃかめっちゃかになっていた。


 そんな中ユメは顎に手を当てて、飛び散ったお米を眺めながら、「おかしいなあ、どうしてこうなったんだろう?」と首をかしげていた。

 そんなのアタシが聞きたいわー!


「ユ、ユメ」

「ハナ? ダメだよ起きてきちゃ」

「これが起きずにいられるか! ヘタをしたら家が火事になるわ!」


 熱のせいか、忘れていた。ユメは勉強も運動もできるし、手先も器用な方。なのにどう言うわけか、料理だけは壊滅的に苦手なんだよね。


「もういい。おかゆはアタシが作るから、ユメは床を掃除しておいて」

「そんな、ハナは寝てなって。大丈夫、次はちゃんと成功させるから」

「信用できるか―!」


 というわけで、結局おかゆは全部アタシが作った。当たり前だけど、さっき見たような大惨事になることは無く。

 刻んだネギと卵もしっかり入れるアタシを見て、ユメは「相変わらず上手だねえ」なんて言ってるけど、ユメが凄すぎるんだってば。


 まあ何はともあれ。おかゆを食べて薬もしっかり飲んだアタシは、今度こそちゃんとベッドに潜り込む。

 あ、そうだ。悪いけどユメ、後片付けはお願いね。料理は苦手でも、洗い物は普通にできるんだから。アタシもう疲れちゃったから、これ以上やる元気はないわ。





 そしてどれくらい眠っただろう。閉じていた目を開いて体を起こすと、まだ頭がふらつきはしたけど、気分はそんなに悪くない。

 そういえば、ユメはもう帰っちゃったのかな? だけどすぐに、違うという事を知る。

 なぜならベッドのすぐ横。椅子に腰かけながら頭をを垂れているユメの姿が、そこにはあったから。


 ユメのやつ、アタシの様子を見てくれていたのかな? 寝顔、見られちゃった? まさか、いびきなんてかいてなかったよね。

 もう、ユメってば。乙女の寝姿を見るとはなんてやつだ。そりゃあ前は一緒に寝たりもしてたけど、アタシ達はもう中学生だぞ。いったいいつまで、昔の距離感でいるのか。


 ベッドからのそのそと這い出してたアタシは、眠っているユメの元にそっと近づく。

 見慣れたその顔は、改めて見てみるとやっぱり綺麗。まつ毛なんて、女子のアタシよりも長くて整っているんじゃないの? 

 おっと、あんまりじろじろ見るのも悪いかな? いや、でもきっとユメだって、私の寝ている所を見たんだろうから、お相子だよね。


「ユーメ。ユメってば」


 いたずら心で、つい頬をぷにぷに突ついてみたけど、起きる気配は無い。

 お見舞いに来たのに寝入っちゃうだなんて、相変わらずマイペースなやつ。だけどお祭りを放り出して、苦手な料理を作って看病してくれようとしたユメ。アタシはやっぱり、そんなユメの事が好きだ。


「ユメ、今日は来てくれてありがとう。おかげで、寂しくなかったよ」


 眠っているユメに向かって、そっと囁く。もしも起きていたら素直にお礼を言えなかったかもしれないけど、今はスッと言うことができる。まあ、聞こえちゃいないんだけどね。


 誰もいない部屋の中で、ユメと二人きり。胸がドキドキしているのは、風邪のせい?

 いい機会だ。どうせ眠ってて聞こえていないのなら、言いたい事を全部言ってやれ。


「ごめんね、夏祭りに行けなくなっちゃって。だけど、アタシ的には良かったかも。本当はね、ユメと二人で行きたかったんだ、夏祭り」


 さらさらとした綺麗な黒髪をそっと撫でていると、素直な気持ちが次々とこぼれてくる。


「ねえ、もっとちゃんと、アタシの事を見てよ。そりゃあアタシは可愛くないし、美人でもないけど、これでも色々頑張ってるんだよ。今日だって風邪ひいてなかったら、綺麗な浴衣を着て、新作のリップだって塗って、お祭りに行くつもりだったんだのに。ユメに綺麗だって、言ってもらいたかったから」


 もしも行けていたら、きっと褒めてくれたに違いない。ユメはそういう時、照れることなく褒めるような奴だ。

 だけどそれは、アタシに対してだけじゃない。今日一緒に行くはずだったリッちゃんやサヨコの事も、同じように誉めていただろう。

 アタシは、ただ褒められたくて頑張ってるわけじゃない。ユメの特別になりたくて、頑張っているっていうのに。


「こんなに好きなのにね、全然分かってくれないんだから。ふん、どうせアタシは、ただのお友達ですよーだ」


 やっぱりまだ熱が残っているのか、今日のアタシはかなり大胆。そっと頭をユメの顔に近づけると、頬に唇で軽く触れる。

 さすがに口はマズいからね。風邪がうつっちゃってもいけないし。


 イタズラを終えたアタシはベッドに戻って、何事も無かったみたいに布団をかぶる。

 何をされたか全然気付かずに、すやすやと眠るユメ。起こしてあげようかとも思ったけど、なんだかちょっと勿体無い。だってベッドの上と椅子の上という違いはあるけれど、同じ部屋で一緒に寝るだなんて、何だか昔に戻ったみたいで、不思議な楽しさがあるんだもん。

 だからゴメンね、もう少しだけ付き合ってよ。


 今日のアタシは、実にワガママ。でもいいよね、病人なんだもの。少しくらい、甘えてもさ。

 布団の間から顔を出して、眠り続ける夢を眺めながら。私も段々と、まどろみの中に落ちていった。





 次に起きた時は、外はもう真っ暗で。椅子に腰かけていたはずのユメの姿も、もう無かった。

 目を覚まして、帰っちゃったのかな。まあ仕方が無いか。


 そう思いながら寝返りを打つと、枕元に一枚の白い紙が置かれていることに気が付いた。

 見た所メモ帳か何かを千切ったみたいで、そこには綺麗な字で、何か書かれている。


 これは、ユメからの手紙だ。えーとなになに……。


『ハナへ。

 遅くなってきたから、もう帰るね。冷蔵庫にはプリンとヨーグルトが入っているから、食欲があったら食べて。

 夏祭り、一緒に行けなかったのは残念だったけど、今度またどこかに遊びに行こう』


 ふふ、こんな手紙をわざわざ残していってくれるだなんて、ユメらしいや。

 あれ、よく見たら裏にも何か書いてある。えーとこっちは……。


『PS

 いきなりああいう事をされたら、心臓に悪いよ。

 けどありがとう。俺もハナのこと、大好きだよ』


 ん、んんん――っ⁉


 手からハラリと、手紙が落ちる。


 ああいう事って、ま、まさか。

 もしかしてユメ、本当はあの時起きていたの? という事は恥ずかしいセリフは、全部聞かれててた? そ、それにアタシってばユメのほっぺに、キ、キスをしちゃって……。


「ぎやああああああぁぁぁぁっ!」


 乙女らしからぬ雄叫びを、部屋中に響かせて。 怒涛の勢いでぶり返してきた熱に耐えきれたくなって、そのまま布団に顔を埋めた。


 も、もうダメ。このままじゃ熱が上がりまくって死じゃう。

 どうやらアタシの夏風邪が治るのは、もう少し先になりそうだ。


 

 ともあれこうして、アタシの恋心はユメの知る所となり。

 ちなみにこの時貰った、『俺もハナのこと、大好きだよ』と書かれた手紙は、その後家宝になりました。

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