それはまるで、綺麗に研がれた〇〇のように

カエル

第1話 それはまるで、綺麗に研がれた〇〇のように

 君を愛している。


 私は知っているよ。

 君がいつも酒浸りの両親のために、料理を作っていることを。

 どんなに殴られても、蹴られても、罵られても、君は笑って料理を作っているね。


 私は知っているよ。

 君が学校でイジメに遭っていることを。

 君は親だけじゃなくて、同級生から受ける暴力の痛みにも耐えながら、それでも笑顔で料理を作っているね。


 私は知っているよ。

 君がとても優しいってことを。

 君はいつも、私を大事に使ってくれる。


 私は知っているよ。

 君がとても悲しんでいることを。

 君は私を抱きしめながら泣いているね。


 どうしてだろう?

 どうして、優しい君が泣かないといけないんだろう?

 どうして、優しい君が苦しまないといけないんだろう?

 

 どうして、私は動けないんだろう?

 どうして、私は君を抱きしめてやれないんだろう?

 どうして、私は君の頭を撫でてやれないんだろう?

 どうして、私は君に暖かい言葉を掛けてやれないんだろう?

 どうして、私は君を慰めてやれないんだろう?


 どうして、私は君のために何も出来ないんだろう?


 助けたい……君を助けたい。

 

 私は毎日、そう願っていた。


***


「おら!」

 俺は掛け声と共に玩具に蹴りを入れた。

「……ッ!」

 玩具は腹を押えながら、よろめいて倒れる。

「よっし!次は俺の番な!おりゃ!」

 倒れた玩具を、今度は俺の友達が踏みつけた。

「……っ、うっ……」

 玩具は顔を歪めるが、全く抵抗しないし、誰かに助けを求めることもない。


 ああ、やっぱりこいつは最高の玩具だ。


 俺は成績もトップクラスで、運動神経も抜群だ。

 そんな俺を親や教師、クラスメイト達は慕い、尊敬している。

 頭の良い俺はどうすれば人気者になれるのかを熟知していた。

 言葉遣いを丁寧にし、相手の事を褒める。そうすれば、馬鹿どもは簡単に心を開き、俺に心酔する。


 人を操るなんて、テストで百点を取ったり、部活で好成績をおさめる事に比べれば何倍も簡単だ。


 だが、周りに良い顔ばかりをしていたら当然ストレスが溜まる。

 ストレスは健康の大敵だ。ため込んではいけない。

 

 だから、俺はこうして定期的に、ストレスを解消している。


 こいつを見付けられたのは幸運だ。

 何をしても抵抗しない。誰にも言わない。ただ黙って殴られ、蹴られる。

 まさに、人間サンドバッグだ。

 俺は自分と同じように優等生であることに疲れている仲間達と一緒に、こいつを毎日痛めつけている。


 顔を殴るとバレるので、殴るのは服で痕が見えないボディ。

 勿論、誰にも見られずに隠れてやっている。

 こいつを殴るようになってから、自分でも驚くぐらいストレスが減った。


 きっと、こいつは俺達のストレスを解消するために生まれてきたのだろう。


「っと、もうこんな時間か……」

 そろそろ帰えらなければ親がうるさい。楽しい時間はあっという間に過ぎる。

「……くっ……ううっ」

 地面に転がっている玩具は腹を押え、苦しんでいた。

 俺達は全員で玩具に唾を吐きかけ、その場を後にする。


「じゃあ、またな!」

「おう」

「また明日!」


 帰路の途中で俺は友人達と別れる。

 本当は別の場所に寄って遊びたいが、そんな所を誰かに見られては俺のイメージが悪くなる。

 遊びたい気持ちを抑え、俺は大人しく通学路を通って帰る。

 その代わり、明日もたっぷりあの玩具で遊んでやる。


 ヒタヒタ。


 後ろから、いやに響く足音が聞こえた。

 振り返ると、一人の女が居た。


 女は俺に向かって、歩いて来る。


(俺のファンか?やれやれ……)

 待ち伏せされて告白されたり、連絡先を書いた紙を渡されたりしたことは今までに何回かあった。

 どいつもこいつもブスだったんで、断ってやったが。


 女は真っすぐこっちにやって来る。

 そして、俺の直ぐ傍で立ち止まった。


「おっ……おおっ!」

 近くで女を見て、俺は思わず声を漏らす。


 綺麗な黒髪、スラリと伸びた手足、そして何より整った顔……。

 女は……この世の者とは思えない程、美しかった。


(まさに、俺にふさわしい女だ!)

 俺の心臓が今までにない程、大きく高鳴る。

 この女と付き合えば、きっと「世紀の美男、美女のカップル」だと周囲は羨ましがるだろう。

 友人にも自慢出来る。


 女はじっと俺を見つめる。間違いない。こいつは俺に惚れている。

 だけど焦ってはいけない。告白は、あくまでこの女からさせなければならない。

 この女から告白させることで「こいつは俺に惚れている」と皆に自慢が出来るのだ。

 俺は優等生の仮面を被る。何もない風を装い、クールに「俺に何か用?」と女に訊くため、口を開く。


「あ、あ、あの……お、俺に何か……よ、よ、よ」


 上手く話せない。呂律が回らない。くそ、何をやってるんだ俺は?

 まさか、俺の方がこの女に惚れたとでもいうのか?

 そんな、くそ……。


 そんな俺を、黙って見つめていた女の口が動いた。

 俺は期待に胸を膨らませる。女の口から「貴方が好きです」という言葉が出るのを。

 だが女は、思わぬ言葉を口にした。


「お前が最後」


「はっ?」

 言葉の意味が分からずに呆けていると、女は勢いよく腕を振った。

「えっ?何……?」

 女が何をしたのか、まるで分からなかった。


 すると、ドサッと、何かが地面に落ちる音がした。


 地面に目をやると、俺の持っていた鞄が落ちているのが目に入った。

「あっ……ああっ……!」

 俺は絶句した。何故なら……。


 


 俺は恐る恐る自分の右手に視線を移した。

「あっ…あああ」

 全身が震える。


 俺の右腕の肘から下は、綺麗に切断されていた。


 次の瞬間、右腕の切断面から勢いよく血が噴き出した。同時に凄まじい痛みが走る。

「ぎゃあああああ!」

 俺はみっともない声で叫んでいた。何が何だか分からない。

 痛みで喚き散らす俺を、女は冷たい目でジッと見ている。

 その時、俺は女の異常に気付いた。


 女の両腕が、まるで刃物のように変化している。


「ひっ、ひいいいい!」

 俺はその場に尻もちを付いた。

「ば、化け物!」

 女は、俺に向かって一歩、近づく。

「や、やめろ!来るな!来るなあああ!」

 俺は右腕を押えながら走った。


「だ、誰か!誰か助けてくれえええ!」


 必死に叫んだ。貧血で頭がクラクラする。走って血流を上げれば、当然、余計に血が噴き出る。だが、そんなことは言ってられない。走らなければ殺される。

「だ、誰か!頼む!誰かあああああ!」

 俺は必死に叫ぶ。だが、俺を助けようとする人間は一人も居ない。


 いや、そもそも周りに人が一人も居ない。


「な、なんでっ!?」

 おかしい。この時間なら、帰宅途中の学生やサラリーマンが居るはずだ。

 誰とも遭遇しないなんてこと、あるはずがない。


「そうだ。スマホを……くそっ、ダメだ。鞄の中だ!」

 鞄はあそこに置いてきてしまった。スマホで助けを呼ぶことも出来ない。

「痛てえよ!誰か助けてくれえええ!」


 叫びながら走っていると、俺は何かに足を取られ転んだ。

「ぐぁ!」

 痛い、痛い。もう走りたくない。でも走らないと殺される。

 俺は痛みに耐えながらなんとか立ち上がった。そして、自分が躓いた物を見た。

「えっ?えっ……嘘だろ?」

 そこに転がっているものを俺は良く知っている。


 地面に転がっていたのは——俺の友人だった。


 さっきまで、一緒にあいつを殴っていた友人の二人。その二人が、見るも無残にバラバラにされていた。

 血だまりの中に腕や足、頭が転がっている。もう、どれが、どちらのパーツか分からない。


 ヒタ。

 またあの足音が聞こえた。視線を上げる。


 目の前に、あの女が居た。

 

「ひっ、ひいいいい!」

 俺は立ち上がろうとして転んだ。左足に力が入らない。嫌な予感がして下半身を見る……。


 あるはずの場所から、左足は消えていた。


 いつの間にか俺の左足は右腕と同じく、綺麗に切断されていたのだ。

「ぎゃああああ!」

 俺は痛みとショックで地面を転がる。


 ヒタ。

 女がまた一歩俺に近づく。 


「あがっ……あひっ」

 俺はまるで芋虫のように地面を這った。

「助けて!助けてください!」

 大量の涙と鼻水を流しながら、必死に女に懇願する。

「助けて、助けて、お願い助けて、何でもしますううう!助けてください!」

 だが、女は無表情に俺を見つめている。

 そんな女に、俺は叫んだ。


「お、俺が……!俺が、一体何じだっで言うんだよ!」

 

 叫び終わると、景色がグルリと三回転した。そして、左頬に強い痛みを感じた。

 景色が横を向く。まるで、寝転がった時に見る景色だ。


 目の端に体が見えた。それは……俺の体だった。

 俺の体には……頭が無い。


 俺は——ようやく自分の頭が体から切り離されたことに気付いた。


 恐怖がピークに達し、叫ぼうとした。だけど、声が出ない。当然だ。声帯が無いのに声が出るはずがない。

 生首が叫ぶだなんてフィクションの中だけだ。体から切り離された頭は、叫ぶことが出来ない。

 だけど、叫べないことがこんなに恐いことだなんて……。全く知らなかった。


 怖い、痛い、嫌だ、死にたくない。誰か助けて!


 意識が消えるまであと数秒。だが、その数秒が、とてつもなく長い。

 その間、恐怖と絶望と苦痛を、俺はたっぷり味わうことになった。


***


 僕は昔、両親に虐待され、学校ではイジメを受けていた。


 両親は酒浸りで、いつも僕を殴った。

 学校では、優等生の皮を被った奴らに隠れて暴力を受けていた。


 でもある日、僕は解放された。

 僕を虐待していた両親と、僕をイジメていた奴らが全員殺されたのだ。

 両親と同級生は皆バラバラにされて、殺されていたとのことだ。


 そして殺された全員、恐怖と苦痛で顔を引きつらせながら絶命していたのだという。


 当然、動機のある僕は警察に真っ先に疑われた。

 でも、僕には完璧なアリバイがあった。事件が起きたとされる犯行時刻、僕は病院に居た。


 僕は同級生から受けた暴力で倒れていた所を発見され、救急車で運ばれた。

 どうやら、殴られた時に内臓の一部を損傷したらしい。緊急手術の末、何とか一命を取り留めることが出来た。

 それから丸三日、僕は意識を失っていた。

 緊急手術を受け、意識不明だった人間が親や同級生を殺せるわけがない。警察はすぐに僕を容疑者候補から外した。

 その後、僕は親戚の家に引き取られた。その人達はとても優しく、幸せに暮らすことが出来た。

 

 僕の両親と同級生を殺した犯人は——未だに捕まっていない。


 あれから数年。大学生になった僕に、恋人が出来た。

「ごめん、待った?」

「ううん。私も今来たところだよ」

 彼女はニコリと微笑み、僕の手を握った。僕は顔を真っ赤に染める。

「さっ、行こう!」

 彼女は幸せそう笑い、僕の手を引いた。

 そんな彼女を見て、僕も幸せになった。


『ずっと、君が好きだった』


 そう言って、彼女は僕に告白した。

 でも、僕には彼女に会った覚えがなかった。こんな美人、一度でも会っていたら絶対に忘れない。

 だけど、何故だろう?彼女を見ると、とても懐かしい気持ちになった。


 彼女には事件のことを全て話してある。

 事件のことを話してしまえば、嫌われ、別れを切り出されるかもしれないと思った。


 でも彼女は僕をそっと抱きしめ、頭を撫でてくれた。

「辛かったね。もう大丈夫だよ」

 と、暖かい言葉で僕を慰めてくれた。


 この人とずっと一緒に居たい。僕は心の底からそう思った。


「ねぇ、付喪神って知ってる?」

 デートを楽しんでいると、彼女が不意に尋ねてきた。

 付喪神。聞いたことがある。

「確か、長い年月を経た道具が妖怪になったもの……だったかな?」

 そう、それ。と彼女は頷く。

「でも、どうやら長く使ってなくても、道具は付喪神になるみたいだよ?」

「そうなんだ?」

「うん、どうやら持ち主が道具に

 僕は「へぇ」と言って頷いた。

 長く使ってなくても、道具に強い想いを注ぐと、付喪神になることがある……か。

 そういえば、僕も一つだけ強い想いを注いだ道具があったな。


 それは、一本の『包丁』だ。


 僕は料理が好きだった。料理をしている時だけが、現実から救ってくれた。

 そして、料理をするのに欠かせない包丁を、僕は大切に扱った。


 でも、両親からの暴力や同級生のイジメが酷くなってからは、そんな包丁を、抱きしめて泣くようになった。

 いつか、この包丁で両親や僕をイジメている奴らを殺してやる。そんな事を考えるようになっていた。


 だけど、両親は僕を産み、育ててくれた。

 あんな同級生でも、殺せば泣く人が居るだろう。

 

 そう思うと、どうしても彼らを殺せなかった。

 何より、大切にしていた包丁を血で汚したくなかった。


 今思うと、本当に殺さなくて良かった。

 危うく、あんな奴らのために自分の人生を台無しにするところだった。


 こんなことを考えては、絶対にダメだろう。

 だけど僕は、あいつらを殺してくれた人間に感謝してしまう。

「僕の代わりに、あいつらを殺してくれてありがとう」と。


「実は僕、料理人になりたいんだ」

 この日、僕は初めて彼女に自分の夢を伝えた。僕の夢を聞いた彼女は目を輝かせる。

「うん、君にピッタリだ。君なら、きっと優しい料理が作れるよ」

 そう言って、彼女は僕の夢を後押ししてくれた。

「でも正直、不安もあるんだ……」

「人と関わるのが怖い?」

「……うん、まぁね」

 また、誰かから暴力を受けたらどうしよう?

 両親や、僕をイジメていた奴らが居なくなった今でも、そんな恐怖が頭をよぎってしまう。

「大丈夫だよ」

 彼女は僕を抱きしめ、優しい声で囁いた。


「これからもずっと、私が君を守ってあげる」


 それはまるで、綺麗に研がれた包丁のように冷たく、鋭く、

 そして、綺麗な笑顔だった。

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