結婚式の晩、「すまないが君を愛することはできない」と旦那様は言った。

雨野六月

第1話

「すまないが君を愛することはできない」




 ロバート・ティードがそう告げると、初床で震えていた花嫁は、呆然とした表情で彼を見上げた。




「俺には愛する人がいるんだ。両親がどうしてもというので仕方なく君と結婚したが、君を愛することはできないし、床を交わす気にもなれない。どうか了承してほしい」


「……王妃様をまだ愛しておられるのですね」


「そうだ」




 学生時代、ロバートが当時王太子であったエドウィンと男爵令嬢アンジェラを巡って恋のライバルであったことは、国中で有名な話である。結局アンジェラはエドウィンを選び、厳しい王妃教育を経て彼と結婚。エドウィンの即位にともなって王妃となり、今年の春に待望の王子が誕生した。


 離婚が許されないこの国において、もはやロバートの恋が叶うことは万に一つもないだろう。




「叶うことはなかったが、俺にはあれこそが、たったひとつの真実の愛だ。この愛に殉じるために生涯独身を通すつもりだったが、周りが『いつまでも王妃に横恋慕していては体裁が悪い。国王陛下に反逆の意思ありととられかねない』とうるさくてな。押し切られる形で君と結婚することになった」


「つまり世間体のために私を娶ったということですね」


「そういうことだ」




 ロバートは淡々と言葉を続けた。




「この結婚はうちの両親はもとより、君のご両親も大変喜んでいる。両家にとって益のある結びつきだ。もし今から君が騒ぎ立てれば、多くの人を悲しませることになるし、君の名前にも傷がつく。こう言ってはなんだが、君さえ黙っていれば、なにもかもが丸く収まるんだ」


「……分かりました。ロバートさまのお言葉に従います。ただ夫に愛されない妻というのは、大変惨めで情けないものです。使用人にも馬鹿にされますし、社交界でも嘲りの対象になるでしょう。ですからどうか、私たちに夫婦生活がないことは、けして誰にも話さないと約束していただけませんか」


「ああ、もとよりそのつもりだ」




 ロバートとしても、周囲に真っ当な夫婦だと思ってもらわなければ、そもそも結婚した意味もない。




「では、誓約魔法で誓って頂けますか」


「なにもそこまで……俺が信用できないのか?」


「ロバート様を疑っているわけではありませんが、お酒の席でうっかりお友達に話してしまうことがあるかもしれません。噂というのはどこから広まるか分からないものです。そんなことが絶対にないように、誓約魔法をお願いしたいのです」




(……哀れなものだな)




 そのあまりに必死な様子に、ロバートは内心苦笑した。


 彼の花嫁、クロエ・アーヴィングは近隣でも完璧な淑女として評判だ。それは裏を返せば、生真面目で面白みのない優等生ということである。


 周囲の大人に褒められ、期待に応えることが彼女の生き甲斐なのだろう。そんな彼女にとって何より恐ろしいのは、夫に拒まれることではなく、それを他人に知られることなのだ。


 人目など気にせず、自由奔放に生きていたアンジェラとは正反対である。




「分かった、誓約魔法を受け入れよう」


「ありがとうございます。それから、我が家から連れて来た侍女は実家に帰そうと思います。あの子は聡いので、なにか勘づくかもしれませんから。代わりにティード家で適当な侍女をつけて下さいませ」


「分かった。手配して置こう」




 ロバートはクロエに請われるままに誓約魔法を行ってから、シーツを乱し、指先を切って初夜の床を偽装した。そして長椅子に横たわり、アンジェラを思いながら眠りについた。








 それから二人の新婚生活が始まった。クロエは妻として驚くほどに優秀だった。義父母によく仕え、家政をきちんと取り仕切り、貴婦人としての社交を見事にこなした。


 そしてなにか行事があるごとに、ロバートとともに出席し、誰もがうらやむ仲睦まじい夫婦を演じ続けた。




 クロエが来てから家の中は明るくなり、様々な物事がうまく回るようになった。


 ロバートの母もクロエをすっかり気に入って、ことあるごとに「本当に、うちのクロエさんは素晴らしいわ」と褒め称え、「あとは後継ぎを産むことだけね」と付け加えた。


 ロバートは「こればかりは授かりものですからね」と答えながら、後ろめたい気分を味わった。今はまだいいが、いずれクロエは子供ができないことを周囲に責められるようになるだろう。


 以前は「跡取りなど親族から養子を取ればいい」と気軽に考えていたのだが、クロエの立場をまるで考えていなかった己に気付いて、ロバートは今さらながら反省した。








 そんなある日、ロバートは久しぶりにアンジェラと二人で話す機会を得た。


 豪華な衣装を着たアンジェラは美しかったが、かつて感じられた溌溂とした魅力は失われているように思われた。




「ねえロバート、私、学園時代が懐かしいわ。エドウィンったら私にあれをしろ、これをするなって、そればっかり。王妃の仕事なんて大変で堅苦しいばかりだし。こんなことなら貴方と結婚すればよかったわ」




 アンジェラとの会話は、ただひたすら現状への不満に終始した。ろくに義務も果たさず、夫や周囲への不満ばかりをこぼす姿に、ロバートは言いようのない厭わしさをおぼえた。




(クロエとは正反対だな)




 ふとそんな風に思ってしまう己に愕然とする。




 自分は生涯アンジェラひとりを愛し続けるつもりだった。


 しかしいつの間にか、クロエの存在がこんなにも大きくなっている。


 いつも明るくつつましく、自分に尽くしてくれる愛らしい妻。






 初床で緊張に震えていた細い身体を思い出す。


 嫁いだばかりで、他に頼る者もいない新妻に、自分は何故あんなひどい言葉を投げつけることができたのだろう。




(クロエとやり直そう)




 ごく自然に、そんな感情がロバートの内から湧き起こった。




 家に帰って、クロエに君を愛していると言おう。


 あのとき告げた言葉を謝罪して、本物の初夜を行おう。


 最初から結婚生活をやり直そう。


 今ならまだ間に合うはずだ。




 ロバートは大きな花束を買って、ティード邸へと急いだ。








 屋敷につくと、出迎えたのはクロエではなく母親だった。




「お帰りなさいロバート、実は素晴らしいニュースがあるのよ」




 母親は満面の笑みを浮かべて言った。




「ニュース?」


「ええそうよ! ……ああでも、こういうのは本人が直接伝えるべきかしらね。ううん、やっぱり我慢できないわ、ロバート、我がティード家に跡取りができるのよ!」




 ロバートは言われた内容を理解するのに、少しばかり時間を要した。




「あの母上、それはつまり……」


「決まってるじゃない、クロエさんに赤ちゃんができたのよ!」




 ロバートは抱えていた花束を取り落とした。








「見損なったぞクロエ! 俺に相手にされないからって、まさか不貞を働くとは!」


「落ち着いてください旦那様、部屋の外に聞こえます」




 激高するロバートに対し、クロエはあくまで冷静だった。




「これが落ち着いていられるか! 今すぐにも両親に言って」


「言ってどうなるというのですか? 旦那様が赤ん坊はご自分の子じゃないとおっしゃったところで、頭がおかしくなったと思われるだけですわ」


「なんだと?」


「だって私は不貞などしておりませんもの。私がこの家に嫁いでから、旦那さま以外の殿方と一度も二人きりになっていないことは、侍女が証言してくれますわ」


「それじゃつまり、お前は最初から――」


「ええ、結婚式の夜は、緊張で生きた心地がしませんでした。抱かれればきっと、乙女でないことがばれてしまったでしょうから」




 クロエは嫣然とほほ笑んだ。




「赤ん坊の父親については申し上げられませんが、ただ身分違いの、許されない恋だった、とだけ申し上げておきます。妊娠したことを誰にも打ち明けられずに悩んでいたとき、父から結婚を命じられました。そしてずるずると流されるように花嫁の初床まできてしまって……ばれる前に打ち明けようかどうしようかと、さんざん悩んでいたのです。でも旦那様は私に触れることなく、猶予期間をくださいました。だから私はあのとき思ったのです。これは神様がくれたチャンスだって」




 そして侍女の入れ替えを了承させ、ロバートに誓約魔法を行わせた。


 念入りにシーツを偽装し、人前で睦まじい夫婦を演じ続けた。


 いずれ生まれる赤ん坊を、ロバートの子供にするために。




 ロバートは「赤ん坊は自分の子じゃない」と言うことはできるが、その根拠を話すことは、誓約魔法に封じられている。クロエに不貞の事実がないことは、侍女が証言するだろう――クロエと口裏合わせなどありえない、ティード家が付けた侍女が。




「何も心配いりませんわ。ちゃんと旦那様と同じ髪と目の色の子供が生まれます。旦那様はこれまで通り、真実の愛に殉じて下さればよろしいのです。ねえ旦那さま、私はあの晩、旦那さまに申し訳なくて後ろめたくて、死にたい気持ちだったのですけれど、旦那さまの言葉で救われましたのよ」


「俺の言葉で?」


「ええ、『君さえ黙っていれば、なにもかも丸くおさまる』っておっしゃったでしょう? あのとき私、こう思いましたの、私たちはクズ同士、似合いの夫婦になれるって」








 数か月後、クロエは玉のような男の子を出産した。


 双方の両親の喜びようは大変なもので、命名式には近隣から関係者を呼んで盛大なパーティを催した。 その際訪れたクロエの魔法の師匠は、ロバートと同じ髪と目の色をしていた。




 ロバートは子供の父親については何も言わずに、ただ喜んでいるふりをした。


 ときおり「俺の子じゃない」と大声で叫びたい衝動にかられたが、言ったところでその根拠を話すことはできないし、無駄に恥をかくだけだ。




 ロバートの両親も、クロエの両親も大変喜んでいる。


 ロバートさえ黙っていれば、なにもかも丸くおさまるのである。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

結婚式の晩、「すまないが君を愛することはできない」と旦那様は言った。 雨野六月 @amenorokugatu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ