第20話 回想

 走って、走って、今日もまた朝から走って、ようやく家の前まで帰ってくる。

 そのまま俺は、勢いよく地面に座り込む。

 心音は、座り込んでいても高鳴っていることを感じている。

 天を見上げたその先に、また息遣いの荒い、汗に濡れた優希の姿があった。

「……始業式のある朝っぱらから。こんな走ってどうするんだよ」

「基礎体力は、毎日走りこんでないと、落ちるからね、はあ、はあ」

「んじゃあ、ほい」

 パッと差し出す、手を広げたパー。

「ふふん」

 優希が得意そうに突き出す、二本指のチョキ。

「はい、シャワーいただき」

 シャツで扇ぎながら、爽快な笑顔だ。

「はあ、まじかよ」

 そんなの見てもむかつくだけだから、俺はそのまま地面へ向く。

「不意打ちなんて卑怯な真似をするからだよ」

「今日ぐらい、是が非でももらいたかったからなぁ」

 言葉も、体の力も抜けていき、そのまま俺は、地面に大の字となった。

 曇りない青空に、優希が一緒に映っている。

 しかし、その光景は、一向に変化する様子はない。

 優希はじっと、俺を眺めていた。 

「……ねえ、先に入る?」

 ぼそっと、確かに聞こえた。

「はあ? なんでそんなこと言っているんだ」

「いや、優理が入りたそうにしてるし」

「優希だって汗かいてるだろ。早く入れよ」

 なんで譲られているかもよく分からず、同情されているとしたらみっともないことこの上ないから、ただ優希を急がせる。

「まあ、そうだけど……それとも、一緒に入る?」

 空には、まだ一つだけ雲があって。

「――一緒に入ったところで、シャワーは一つしかないだろ」

「あー、それもそうか」

「世迷言言っていないで、早く入ってこい」

「はーい」

 優希は逃げるように家に入っていく。

 俺はそのまま寝転がり続ける。

 早く心音を落ち着かせたかった。


 ※


 ガリガリと齧っていったトースト。

 紅茶は熱くて舌を火傷した。

 優希はのんびりと足爪の手入れをしている。

「優理、お客さんだぞ。それじゃあ、いってきます」

 行きがけの父さんから、そんなことを言われた。

「いってらっしゃい――お客さん?」

 朝からの来訪者に覚えはなかったが、フォークに刺したままのリンゴをジャクジャクしながら、玄関へ向かった。

「おはようございます! ここ、通り道なんで、せっかくだからご挨拶をと思って」

 そこには、真奈の姿があった。着こんでいるのは、まさしくうちの学校のセーラー服でもあった。

「……通り道って、何しに行く?」

「そんなの、入学式に決まっているじゃないですか」

 馬鹿がここにいた。

「ないけど、入学式」

「入学式がないって、何ですか、その世紀末みたいな中学校は。現に、入学式のお知らせはちゃんと私の元に届いていますよ」

「……いや、そういうわけじゃなくてだな」

「どういうわけです?」

「入学式、明日だぞ」

「はい?」

「今日は、始業式」

「……え?」

 何かを察した真奈は、鞄を漁り、取り出したプリントに目をやる。

「あああああ!?」

 世紀末みたいな叫び声だった。

「どーりで、パパもママも起きるのが遅いと思った!」

 そこで気づかないのは、やはり馬鹿だからか?

「お疲れさん。今日はもう帰って、また明日こい」

 肩をポンとして、残りのリンゴをジャクジャクした。

「まあ、来ちゃったものは仕方ないです」

「なにが」

「このまま、優理さんのお供をいたします」

 正々堂々と、宣言してきた。

 当然、俺が許可した記憶はない。

「……いや、俺は始業式があるんだけど」

「おとなしくしています。決して教室では騒がしくしません」

「教室まで上がり込む魂胆か?」

「教室以外ならOKですか!?」

「学校に入るつもりか?」

「学校までならOKってことですよね!?」

「一緒に登校するの?」

 そこまで言ったら、真奈は座り込んで沈んでしまった。

 さすがに言いすぎだったかもしれない。

「ほら、泣くなよ」

「うう、だって、ここまで1時間かかるんですよ! 朝は眠いし、電車は混み混みですし」

「……ご苦労さん。一緒に登校ぐらいはしてやるから」

「うわ、ひどい。なんですかその言い草! あたしは優理さんにあこがれて、わざわざ遠く離れた中学校に一人入学することを決めたんですよ。それを『ご苦労さん』なんて他人事みたいに言って。もっと『真奈は俺が守ってやる!』とか先輩らしいこと言えないんですか!」

 沈んだと思ったら、反転、勢いよく迫ってくる。

「ちゃんと前日にプリントは確認しような」

「……優理さん、リアリストだった」

「……リアリストって何?」

「さあ? リアル人ってことじゃないですか?」

 リアル人ってなんだよ、と多分適当に言ったであろう真奈に突っ込むと、もはやこれは永遠に終わらなそうだった。

「優理、まだなの、遅刻するよ」

 少しだけの欠伸と一緒に、優希が玄関先にやってくる。

「ん、誰、この子」

 そしてさっそく、優希は真奈に気付いた。

「神田真奈、前に言ってた、手芸部に入りにこっちに来た子」

「ああ、わざわざ1時間かけて来てるんだっけ」

 優希は興味津々に、真奈をじっくりと観察していた。

 対して真奈も、じっくりと優希を見つめる。

「……もしかして、優希さん、ですか」

「そうだけど。優理の双子の姉の」

「あ、初めまして。あたし、神田真奈って言います」

「それで、なんでいるの? 今日は始業式なのに」

「うう、それが――」

 真奈が悠然と語りだしたところで、俺はフォークを咥えたまま、そそくさと出発準備のために家に戻る。

 急いで荷物をまとめる傍ら、時折、二人そろって笑い声も聞こえたりしてくる。真奈のそういうところは、見習わないといけないのかもしれない。 

「――まあ、いいんじゃない。連れて行って」

 準備が終わって、玄関に戻ると、優希は既に真奈と合意していた。

「やった、ありがとうございます!」

「面倒見るのは優理だし」

 まったく無効な合意だった。

「ああ、でも、私が面倒見てもいいけど」

 俺のジト目が伝わったのか、反転、優希は先輩らしいところを見せつける。

「え、いいんですか」

「陸上部に入るならね」

「――あ、それは、ちょっと。私手芸部に入りたいので」

「兼部すればいいじゃない」

「できるんですか?」

「できるんじゃない、たぶん」

 合意を求める視線を送られたが、聞いたこともないので、首を横に振る。

「まあ、それも確認しがてら、一緒に学校へ行こう」

 しかし、まあ、そんなことは無視して、優希は前へ歩き始めてしまった。

「やった。さすが優理さんのお姉さん」

「ま、ややこしいから優希先輩とでも呼んでね」

「はい、優希先輩!」

 マナはピョコピョコ、優希についていく。

「はあ、まあ、家庭科室開けられるか確認するよ」

 俺もまたそれについてくると、ふと優希は俺と歩調を合わせる。いたずらな笑顔が、耳元にまで迫ってきた。

「最近、部内に私についてこれる人がいなくてね。練習相手が欲しいのよ」

 こそっと、優希は俺に言ってきた。

「真奈が練習相手になるのか?」

「体格はいいでしょ。あとは、仕込むだけ」

 そっと優希が離れると、不気味な笑顔をしていた。

 真奈に目をやると、まだ何も知らない笑顔で、俺たちを眺めていた。


 ※


 学校に着くと、そこは既に人だかり。

 この日のために作られて臨時の掲示板に、クラス替えの結果が張り出されているらしかった。

「ほいじゃ、私は自分のクラス探してくるから」

 優希は手を軽く振って、約束を破り捨てていった。

「優理さん、あたしのクラスは?」

「明日のお預け」

 しょぼくれる真奈を尻目に、背伸びしてあたりを見回すと、ちょうどよく国立先輩が見つかった。

「あ、ゆうちゃーん」

 国立先輩も俺たちを見つけると、すっと俺たちの前まで来てくれた。

「国立先輩、おはようございます」

「瑞穂さん、おはようございます」

 そして、やはり首をかしげていた。

「なんで、真奈ちゃんがいるの?」

「――3回も説明するのは面倒くさいです」

 流石に俺は、真奈の頭を小突いた。

「ああ、いたーい」

 わざとらしく、真奈は痛がってみせる。

「部長に対して、そんな態度はだめだぞ。それに、これから家庭科室を開けてもらうんだから」

「うう、ごめんなさい。瑞穂さん、ちゃんと説明します。だけどその前に、優理さんに殴られたとこ、なでてー」

 そう言って、真奈は国立先輩へ抱き着きにいく。

 国立先輩の、身長も上回る真奈を抱きとめて、その頭を撫でているのは、なかなか面白い光景だった。

「えっと、だ、大丈夫?」

「うー、瑞穂さんのおかげでなんとか」

 国立先輩は、苦笑いしながらも、何か俺に目配せしてきた。

「クラス替えの結果、見てきたら?」

「真奈、任せて大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫だから。きっと、おもしろい結果が載っているよ」

 国立先輩が笑って言ってくることに、少し首をかしげながら、俺は喧騒の掲示板へ向かっていった。

 ――正直、手芸部が俺の居場所になってくれていたから、同じクラスになりたい友達もあまりいないし、むしろ一緒になりたくないやつもいるし。

 だから、みんなが騒がしく自分の名前を探す中、少しだけ冷めた気持ちになっていった。

 先に入っていった優希は一人、難しい顔で掲示板を睨めつけていた。

「うう、ない」

 優希の隣に行くと、ポツンと呟いてきた。

 張り出されているクラス分け表には、1から5組まで、ぎっしり名前で埋め尽くされている。

 俺も、細い眼をして、自分の名前を探す。

 名前順なのだから、それらしいところを目掛け、1から5を読んでいく。

 ――しかし、2度、3度見直したところで、俺の名前だけは一向に見つからない。

「ねえ、優理。やっぱり、私の名前だけ、ないんだけど」

 同じく、優希も少し怒り気味に言ってくる。

「優希の名前ならあるだろ。それより、俺の名前が見つからない」

 だから、俺は優希の言うことなんて無視して、必死に俺の名前を探していた。新学期からクラスを省かれるなんて、とんだ笑いものすぎる。

「は? 優理のならあるじゃん。2組に堂々と」

 しかし、優希は妙なことを言ってきた。

「2組? 2組は優希のクラスだろ」

 確かに俺は、優希の名前は見つけていたはずだった。

「だから、2組は優理のクラスだって……」

「いやいや、2組にはちゃんと優希の名前が……」

 口論はそこでストップ。俺がそれに気づいてまた掲示板へ向く。優希も、同じくしていた。

 確かに、俺の名前は、2組にあった。

 そして、優希の名前も、確かに並んでいた

「双子って、同じクラスにならないんじゃなかったっけ」

 優希が言う。

「そうだと思っていたけど」

 優希の手が伸び、俺の頬へ届いた。

「痛っ」

 つままれた俺は、そう言葉を漏らす。

「やっぱり、夢じゃないんだ」

 ぼおっとして呟く優希の表情は、初めて見るものだった。

 それで、俺は笑っていた。

 気づくと、優希も笑っていた。

 二人揃って、クラス替えの喧騒と、同化していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

青春の全てを奪った奴の娘が贖罪にやってきた 虚微りゅん @Bibibibi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ