第19話
学校はサボることにしていた。
9時過ぎの電車、通勤通学のラッシュが過ぎて、まだ少しだけ混んでいる車内。つり革掴んで、俺と七香、二人並んでいる。
あの時は、七香を優希に会わせる。そう決めた以上、まさしくそのために動くことしか決まらず、それ以外など考えにも及んでいなかった。
「ナ、ナナちゃんは、お腹空いてない? 昨日から何も食べてないと思うけど」
「す、空いてるけど、大丈夫。ユ、ユリくんこそ、眠そうだけど」
「ま、まだ平気。帰ってから、寝る」
随分と大袈裟に車内は揺れる。
それで微妙に肩がぶつかる距離感。
車窓には住宅街が流れていく。
なんやかんやあって、俺たちは『友達』となっていた。
※
優希に会いに行こうと伝えた瞬間は、不思議にも俺の想いが全て七香に通じているように思えた。
でも、それは一瞬だけで。
七香にとって、俺は所詮、贖罪の対象であり、『親を殺せ』と罵ってきた相手にすぎない。
そんなやつからの言葉に親しみなど欠片もなく、七香の怯えを纏った警戒心は、見てとれるままであった。
信頼など一朝一夕、ただの一言で築けるものでない。
それぐらい大切で、無視できないこと。
でも、まずは七香を優希に会わせてみたい。謝罪とか、お金をあげるとか、そんなものではなく、人と人として。
そこから始めさせないと、七香の決めつけは直せない、と思っていた。
そのために、俺はまだまだ平伏する七香に、一方的に提案した。
自分が”秋葉”七香と名乗らず、優希には、俺の友達として会ってもらうと。
別に、凡々の演技で良かったんだ。
――ただ、それすらも、七香には届かなかった。
七香は、『立川様のことを友達扱いなんて無礼なことできません』って。
結局、俺は急ぎ過ぎていただけだったのか。
しかし、必死になって七香に協力しているつもりだった。それを理解してくれない。
唇を噛んで、イラつきを出してしまっていた。
言葉も乱暴に『俺みたいなやつとは、友達にもなれないのかよ』なんて吐き捨てたりもしていた。
それが、より一層、七香の緊張感、或いは恐怖すら高めていく。
『そういうわけではございません。ただ、私なんかが、立川様の友達を、演技だからって』
前に進まぬ焦りが、結局俺自身の言葉を止めることができていなかった。
――やはり、どんなに覚悟を決めたって、七香との運命は変わらないと、自嘲気味にすらなって。
『ああ、もう。だから、立川様ってなんだよ! そもそも、そんな呼び方ないだろ! それとも、これも俺が悪いか。俺が七香のことを、『ナナちゃん』なんて呼べばいいか』
『――え?』
『だから、俺が、ナナちゃんって……』
その時、勢いかまけて放った言葉に、七香は目を丸くしていた。俺との視線も避けず、吸い込まれているように見えた。
だが、その七香の隙が、俺の言葉を俺自身に反復させて、『ナナちゃん』なんて小恥ずかしいセリフを突き付けてくる。
『そ、そうだよ! 俺は『ナナちゃん』って呼ぶから、ナナちゃんも立川様なんてやめて!』
――それが七香の隙ならば、俺は声も大きく、顔も熱くして続けるほかなかった。
『で、ですけど、なんてお呼びすれば』
『なんでもいいけど、早く決めて、ナナちゃん!』
『そ、それじゃあ、ゆ、り、くん、で』
でも、きっとそれは、『ユリくん』などではなく、『優理くん』を躓いたものだったのかもしれない。
ただ、そんなこと判断できる理性はもう消えていた。
『い、いいんじゃない。『ユリくん』で』
『え、え、いや、その。やっぱり、その』
『ついでに、敬語もやめよう、ナナちゃん』
『――う、ん。ユリく、ん』
世界一強引な『友達』作りだった。
※
いつの間にか、病室の前にいる。
ここまで、いくつか七香と言葉を交わした。
なんてことない話。互いに友達の友達と話しているような、どこか一歩引いたような会話。
それも、『ナナちゃん』とか『ユリくん』なんて呼び合っているものだから、その余分な恥じらいによって、会話の内容も頭の片隅にも残っていない。
七香が一体誰なのか、それすらも忘れていた気がする。
――そもそも、優希の前だけで呼び合っていれば良かったのに、その判断すら正常にできていなかった。
でも、ここまで来てしまえば、そんな友達ごっこに振り回されることなく、いやでも頭は冷え切っていった。
この先に、優希がいるのだから。
そして、いつものように、ノックを2回した。
「――あの、ユリくん。私は」
ドアを開く手が動く前、七香はそれを呼び止めた。
「ナナちゃんは、俺の友達のふりをしていればいいから」
「……はい」
七香はそう言ってきた。
ふと、手汗が染みるが、ドアはもう開いていた。
※
「――優理? なんでいるの? 今日、学校ないの?」
優希はすぐに、俺の姿を見つけていた。
「――サボった」
俺は七香を連れ立って、病室へ入っていく。
「サボった? なんでまた」
「……昨日、ここに行けなかったからな。だから、ま、別にこういう日があってもいいだろ。サボってまで優希に会う日があっても」
嘘をついたつもりではなかったが、さすがに自分の言葉の歯切れは悪かった。
「まあ、確かにそうだね。思えば優理って、学校優先させて、私のところとか放課後に後回しだよねえ」
その様子に気付いていないのか、優希は冗談交じりに言ってくる。
「――そりゃそうでしょ。俺まで学校行かなかったら、二人揃って留年だぞ」
「――冗談で言ったつもりだけど、それならそれでいいか」
どこかさっぱりそうに、優希はしていた。
「絶対、ダブるツインとか呼ばれそう」
「いいじゃん。カッコ良さそうで、ダブルツイン」
「いや、嫌だよ」
「悪くはないけどなあ。それで、そちらは?」
優希の目は、七香に向いていた。
「ガールフレンド?」
「い、いえ、違います!」
七香は、大声で否定する。
「……友達の、ナナちゃん」
流石に言い淀む。
それに合わせて、七香がぺこり、頭を下げる。
「友達の、ナナちゃんねえ」
立ち尽くす七香を、優希は爪先まで視線で追っていた。
「ふうん。で、ガールフレンドでもないただの友達を、なんでここに連れてきたの?」
だが、すぐに優希は俺のほうを向いてくる。
「偶然会って、つれてくるかたちになった」
「そうなんだ。もしかして、陸上関係者? でも、もう別に私、復帰するつもりないけど。まあ、できるわけもないけど」
「――ま、そんなところ」
結局、そこまで優希は七香に興味を示さなかったから、俺もそれには適当に合わせておいた。
「ま、せっかく来たし、勉強でもするか」
その優希に対して無理に七香を巻き込むこともできず。
「別に勉強はいいよ。昨日国立先輩としたし。これからリハビリもあるし」
「ああ、そうか。リハビリ、午前中か」
「ま、別にサボってもいいんだけど。そんな毎日やってもね、ここで優理といた方が有意義だし」
「いや、でもそれはサボっちゃダメだよ」
「へーい」
面倒くさそうに、優希は言う。
「あ、それと、昨日国立先輩に会ったってことは、優希はあの話、聞いた?」
「同好会?」
すぐにそれは優希の口から出てきた。
「そう、それ。優希はどうなの?」
「まあ、別に。特にやりたいこともないからねえ。優理がいるなら、いてもいいけど」
優希は、首をかしげるそぶりをしつつも、すぐにきっぱりと言い返してきた。
「俺次第、か。俺もどっちでもいいっちゃいいんだけど、あんまり国立先輩に気を使わせ続けるのもって感じだし」
「別にそうでもないんじゃない? 国立先輩って、そういう人でしょ」
「そうか?」
単純に聞き返していた。
「そうでしょ。たぶん」
無責任な回答だった。
「いや、でもなあ。みんなが楽しくできることなら、なあ」
「優理は、何かアイデアないの?」
「そこまで遊びに創造豊かではないからなぁ」
「まあ、確かに。どちらかといえばひきこもりだし」
「そのひきこもりを自主練に連れまわしていたのは誰だよ」
――もうそれもないのだろうか。
「はは、誰だろうねえ」
ただ、優希はとぼけたように言い返す。
「――ったく。まあ、でも、作るとしたら、やっぱり、優希がやりたいことで俺はいいと思うから。優希はアイデア、捻りだせない?」
「うーん、それじゃあここはオーディエンスでも使いますか」
優希はそこで、俺ではなく、七香に対して手招いて見せた。
「ナナちゃんに聞くのか?」
「というか、優理は自分の友達なのにほったらかし過ぎじゃないの?」
大真面目に優希は小突いてきた。
「……そうだな」
少しあからさま過ぎたのかもしれない。
しかし、優希に招かれている七香は、少しぼおっとした様子で、反応が薄かった。
「おーい、そこの優理の友達のナナちゃんとやら」
「……え、あ、はい」
ようやく自分が呼ばれていることに気付いて、それでも薄い反応を見せる。
「何しているの、そんなところでぼおっと立って」
「……ごめんなさい。お二人に見とれていて」
「ぶっ!」
優希は思わず、噴き出していた。
だが俺は、実はしっかりと優希を見て喋る七香を見ていた。
「なにそれ、もしかして、私たちのファン? だから、今日ここまで来たの?」
「いえ、そういう、感じとは違うと思うんですけど」
少し言葉を詰まらせたが、それでもすぐに続ける。
「ごめんなさい、こんなこと言うべきじゃないってわかっているんですけど。優希さん、ユリくんと話していて、幸せそうに見えて」
その七香の言葉に、意味はいろいろとあるかもしれない。
優希にとっては、耳障りのいいものではないのかもしれない。
だが、それを叱責しようとも俺は思えていない。
その言葉にここに連れてきた意味がある気がした。
少しだけ、前に進んだような。
「……幸せねえ」
天を仰ぎ、優希もまた言葉を続ける。
「まあ、幸せなんじゃないかな。昼間からゲームをやって、可愛い弟は毎日甲斐甲斐しくお見舞いに来てくれて、私はのんびりするだけ。不幸なのかなって言われた、どうなんだろうなって感じだし」
さばさばと答えていた。
「それと、優希さん、もう一つ、伝えたいことがあって」
やはり七香は、地面を見ることなく、しっかりと優希を見ていた。
だから、俺は、七香の言葉を、謎の期待すら持っていた。
「私は、貴女のご両親と、貴女を傷つけた、秋葉××の、娘です」
――何を言っているのか。
「謝り切れないことだってわかっているんですけど、ごめんなさい」
うまくいきかけていた矢先に出てきた、約束を違える言葉。
七香の様子だって、緊張感で固まっている感じでもなく。
にもかかわらず、なぜそれを言ってしまったのか。
俺が言っていたことを分からなかったのか。
「優理は知っていたの?」
優希は、俺に言ってくる。
それが、どんな表情をしているかは、まだ見えない。
「……知っていた」
俺は、嘘を吐けなかった。
どんな噓をつけばいいかも分からなかった。
「じゃあ、なんでわざわざ連れてきたの?」
「それは、私が」
「今は優理に聞いているの」
割って入ってきた七香を、優希の、決して強い口調ではないそれが、ただ振り向きもせず、それで押し黙らせる。
優希は、俺しか見ていなかった。
「……色々、思い悩んでいたみたいだったから。それで、一回連れて行こうと思って」
問いの正解が分からない。ロボットのようにしか言葉が出ない。
「それを隠した理由は?」
「――正直、そのまま会わせるのが、優希に悪いと思って」
「へえ、ふうん」
ただ頷いているだけなのに、妙にそれは生々しく伝わってくる。
「――ま、気持ちだけ、受け取っておくわ」
しかし優希は、言葉尻だけ見れば、何事もないように答えて見せた。
「なにびっくりしているのよ。私がいきなりブチ切れるとでも思っていたの?」
そんなことを想像していたわけではなかった。
「いや、そういうわけじゃないけど」
だけど、優希のその態度に、異様な気持ち悪さしか感じなかった。
「だって、そもそも優理の友達なんでしょ。それで、優理が連れてきたんでしょ。なら、別にいいんじゃない。加害者でも、腐っても、家族なんだし。罪悪感っていうか、それぐらいの気持ちは分かるわよ」
理屈で言えば、優希の言い分ももっともだし、だからこそ、気持ち悪くなっている自分に、自己嫌悪もする。
「はあ、でも、今日優理が来た本題は、そっちかあ。それはちょっと裏切られた気分」
「……いや、俺が優希に会いに来たのは、本当だよ」
俺は、どうにかそれを絞り出した。
――やがて、看護師はやってくる。また、リハビリの時間のようだ。
「はい、残念だけど、時間切れ。学校行きなよ」
学校に行く気など、到底出なかった。
「……失礼します」
七香の小さな声。
俺は、最後の瞬間、優希の表情を見切れなかった。
※
病院の外へ出ると、妙に涼しい風が吹いている。
「ごめんなさい、約束を破って」
七香は、しっかりと俺に届けてくる。
「どうして、言ったの」
一方、俺の言葉は、まだ少し不安定だ。
「私の正体を騙るのは、間違っていると思って」
「……それで、もしも、優希が拒絶したら、どうするつもりだったの。また、無理に謝ったりするつもりだったの」
どことなく、そんなことを問い詰めていた。
「そうしたら、もう二度と現れないつもりでした。立川様にも、優希様にも」
しかし、七香はしっかりと言った。
それは、俺が望んでいて、七香が拒絶した答え。
もしも、今俺がそれを繰り返したら、そのまま彼女は俺たちの前から消えていくのであろうか。
「それで、諦めがつくの。それで、清々しく引き下がって、贖罪とか何も考えず、普通に暮らすの」
ただ俺は、知りたかった。七香のその核心を。
「できない、と思います」
「じゃあ、どうするの。ずっと、晴れない気持ちを背負って、必死にあがき続けるの」
「多分、そうだと思います。また、どうにかしようして、お二人に会わない方法で、それをどうにか探し続けて」
「それじゃあ、身動きできなくなるだけじゃないの。具体案がなかったら、何も先に進まなくなるし」
「それでも、あの時は、そうしなければいけないって」
――義務感。結局、彼女を突き動かしたのは、そこであったらしい。
「――その、理由は?」
でも、腑に落ちない。
今の彼女は、スッと胸を張っているようだ。
同じ義務感のはずなのに、今までの責務から追われておどおどとしていた様子とは、全く異なるものとしか感じなかった。
「その、勘違いでしたら、申し訳ないですが、立川様に、なんだか気を遣われている気がして」
それには、間違っていることはなかった。
「……なんで、そう思ったの」
だから、俺の問いは続く。
「――優希様と会って、その姿が、私が想像していた姿ではなくて。それがなぜかって、立川様のおかげなんだって、すぐに分かって。立川様が、守っているんだって。でも、それなら、優希様を守るためなら、私を会わすわけないです。――元凶の、娘なんて」
苦しそうに、七香は言い切った。
「それでも、立川様は私を優希様に会わせてくれた。それは、結局、私を気遣わせているんだって、そうとしか思えなくて」
「――だとして、それでなんで正体をばらしたの」
「立川様に、気を遣わせることなんて、しちゃいけないんです。私の正体を隠すことだって、立川様に、余計な気を使わせているからです。そんな気を遣わせるなら、はっきりと、白黒つけたほうがいい、と思って」
――結局、七香には俺の意志が相応に伝わっていたらしい。
そして、伝わったからこそ、七香は俺との約束を破ったというのか。
自ら名乗り出ることで、全てが終わることすら覚悟していた。
俺の意志が分かったからこそ、俺の初めの望みに辿り着いてしまっていた。
俺の変節など、簡単に踏み倒して。
その馬鹿さ加減が、曇っていた俺に少し風を通した。
「――気を遣うなら、七香には、もう俺達には関わるなって言っている。こんなことし続けるより、忘れてしまったほうが本当に幸せになれるんだから」
それが、誰でも分かること。
「でも、俺は優希に会わせて七香に贖罪をさせようとしている。しかも、ただ謝るのはやめろって。方法も分からない贖罪を、俺たちのためにしろって、言っているんだよ。――結局、俺が許せることなんかないし。たぶん、殺したら許すっていうのも、本音だと思うし」
「――たとえそうだとしても、私は、そうしなればいけなかった。私の幸せとか、何も関係ないです」
迷いも、後悔もなく、言い切っていた。
それぐらい、七香は俺に向かってきている。
「ですから、ここまで導いてくれて、ありがとうございます」
――だから、その感謝の言葉が、ただただ嬉しかった。
「それなら、俺もありがとう。俺達にはどうしようもないことを、見つけてくれるって決意してくれて」
俺自身の、偽りも迷いもない言葉が、ようやく出てきた。
「――そ、そんなお礼を言われることでは」
七香は、そこでようやくたじろいできた。
「後、ごめん。俺はナナちゃんにひどいことを言っていた。自分の親を殺せだなんて」
「それは、私が立川様に無理やり取り入っていたからで」
「だとしても、友達なら、謝るべきなんじゃないかって、思って、さ」
少しむずがゆいセリフも、簡単に言った。
「そんな、友達なんて」
「ナナちゃん。もう忘れちゃったの? ナナちゃんは俺と友達だったから、優希はナナちゃんに何も言わなかったんだよ。俺と友達じゃないと、また優希の前に現れることなんて、できないかもしれないよ」
「――ですけど」
「それに、せっかく関わるなら、友達のほうがいいよ、俺は。まあ、いやじゃなければだけど」
「そ、そんなことありません。ただ、私は、別に友達が多かったわけじゃないですし、というか、全然いなかったですし。私、元々暗いですし、そんな面白くもないですし」
「俺は、友達になりたい」
一歩前に踏み出した。ただ、そうしたかったから。
――汚い殺し文句かもしれない。今の立場で、七香はこれに断ることなんてできないだろうし。
まあ、それなら、俺は友達として七香に後悔させないようにすればいいだけか。
「――私も、ユリくんの本当の幸せが続くよう、頑張るから」
そして、また俺たちは、友達になった。
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