第3話 運命と恋心

「あ、ここがいいです。ベンチもあるので、沢城さわしろさんも座れますから」

 小鳥ことりの家から五分ほど歩いた先で通りかかったの小さな公園を指さして、小鳥が言った。

 そこは昔からこの地域に住むれんも見知った公園で、夕日に照らされたブランコやさびれた遊具を見れば、幼少期の記憶がフラッシュバックする。

「ここ、俺もよく小さい頃に親に連れてきてもらってました。なんか懐かしいです」

「そうなんですね! 今でもよく小さい子たちが遊んでるのを見かけますよ? お昼過ぎとかは結構多いような気がします」

「にぎやかで可愛いんですよ」、と付け加えた小鳥は、どこかいつくしむような表情を浮かべる。

三枝さえぐささんは、よく来るんですか?」

「はい。学校もいけなくなっちゃったので、日中はあんまりやることが無いんですよ。もともと家に籠って一日中勉強をしてられるような性分でもないですし、かといって長距離の移動も無理ですから、この公園には息抜き程度によく来るんです」

 小鳥の話を聞きながら、やはり事故の被害者は小鳥で間違いないだろうと確信した。

 しかし、出会って二日目にしてその話題に踏み込むのは流石にどうなのか。小鳥の方から話をしたいと言ってくれたからとは言え、ずかずかと他人のパーソナルスペースに入り込むような話題は避けるべきだ、と蓮はその場で逡巡しゅんじゅんする。

 となると、こういう時の言葉の選び方というのは蓮にしてみれば、そのハードルはかなり高く感じてしまった。いっそ何も知らなければ、もっと自然に会話ができたのではないか。

「……沢城さん?」

「え、あぁ、はい、その、すみません」

 気づけばだんまりを決め込んでしまった蓮に対し、小鳥が眉をひそめるようなことは無かった。

「もしかしてですけど、学校で噂になっっちゃってました?」

 不意に発せられた問いに、蓮は思わず硬直する。

 しかしこうも早い段階で察せられてしまえば、もはや言い訳の余地などない。

「……まぁ、少しですけど」

 目を泳がせた蓮に、小鳥は変わらず温かな眼差しを向けてくれた。

 小鳥は自分で車椅子を走らせると、公園の片隅にあった茶色いベンチの隣に並んだ。

 どうしようもなく立ちすくんだ蓮を遠目に、「こっちこっち」、と優しく手招きをしてみせる。

 言われるがまま、蓮はその茶色いベンチに腰掛け、小鳥が話し始めるのをじっと待った。

「——私、引っ越してきてすぐ、事故に遭っちゃったんです」

「……はい、聞きました。相手はトラックで、運転手の居眠りが原因だったって」

「そうなんです。春休みに入ってすぐこっちに越してきて、あの日は編入手続きのこともあって、夕陽丘高校ゆうひがおかこうこうに行かなきゃいけなかったんです。なんですけど、それだけの話だったんです。普通に交差点で信号が青に変わるの待ってたんですけどね。だから、なんというか、本当に運が悪かったんだと思います」

 小鳥が話してくれた内容は、昼間耳に挟んだ噂とそう変わらなかった。

 小鳥は、ただ自分が不幸だっただけだと、あの場にいたのがたまたま自分だっただけなのだと、そう言って一瞬どこか開き直ったような笑みを見せた。

「気づけば私は病院のベッドの上でした。見守っていてくれた二つの顔が両親であることもすぐに理解できたんです。頭を打っていたとはいえ脳に損傷はなく、命にも別状はなかったみたいです」

 不幸中の幸いというやつですね、と口にしながら、ちらりと蓮の方を向いては小さく笑ってみせた。

 一度は不運だと嘆いた現実だとしても、時間を置けばこうしてポジティブに他人に打ち明けられる小鳥を見て、強い人なのだなと蓮は尊敬に近い気持ちを抱く。

 目の前の健気な笑顔を見るに、恐らく車椅子での生活もそう長く続きはしないのだろうと小さく安堵の吐息を落とした蓮だったが。

「ただ……」、と少しの沈黙が生まれ、一瞬にして小鳥の表情が曇ったのがわかり、蓮は妙な胸騒ぎを覚える。そして、


「——下半身不随かはんしんふずい。歩けるようになる確率はほぼゼロ、ということでした」


 続いたその事実に、蓮は思わず言葉を失った。

 聞いたことがある。交通事故や病気などで脊椎せきついを損傷した場合、どこかしらが不自由になるのはよくある話だと。それも、半永久的に。

「……そう、だったんですか」

 そうとしか、返せなかった。

 目の前の覆しようのない事実を黙って受け止めるのが、蓮には精一杯だった。

「す、すみません! せっかく付き合ってくれてるのに、急にこんな暗い話をしてしまって……。迷惑、ですよね」

 困惑する蓮を気遣うように小鳥は誤魔化すような笑みを作るが、それはあまりに力なく弱弱しいものに見えて……。

「いや、いいんです。その、俺がいちゃったようなものですし。俺なんかがあまり無責任なことは言えないんですけど……」

「けど……?」

「大丈夫……ですか?」

 そう付け加えずにはいられなかった。

 意表を突かれた小鳥は、深い琥珀色の瞳を丸くしてまじまじと蓮を見つめる。

「え?」

「その、無理してないかなぁ、って」

 出会って間もない人間に対してこんな心配を口にするのはおせっかいもはなはだしい気がするし、逆に迷惑なのではと逡巡しゅんじゅんしたが、蓮には小鳥と話しているとどうしても引っかかることがある。

「無理……ですか、どうでしょう……してるように見えますか?」

 ばつが悪そうに俯いては頬をかく小鳥。

 小鳥はとてもよく笑う。昨日の出会った瞬間も、今こうして自分の置かれた運命を打ち明けている最中も、蓮がちらりと表情をうかがえばその笑顔が絶える様子は無かった。

 だからこそ、さっきのほんの一瞬の曇った眼差しを蓮は決して見逃さなかった。

「辛い時は辛いって、別に言ってもいいと思うんですよ。どんな人でも。……俺なんかが何偉そうなこと言ってんだって感じですけどね」

「偉そうだなんて、そんなこと思ったりしないです。ただ、その……沢城さんは優しい人だなって、すごく思いました。会ったばかりの女の人にこんな暗い話されて、普通だったらもっと嫌そうな顔するはずなのに、ちゃんと聞いてくれて、だからついついしゃべり過ぎちゃって、なのに心配までしてくれて……」

 別に、蓮からしてみれば特別変わったことをしたつもりはない。

 何より蓮にとって、今この瞬間は至福の時でもある。

 こんな絵に描いた美少女と夕暮れの公園で二人きり。その透き通った声に自分だけが耳を澄ましていられるという状況。はっきり言って、嫌な顔をする理由などどこにも見当たらない。

 隣で今にも泣きだしそうに俯いた小鳥を、放って置こうと思えるほど薄情でもない。

 会話を重ねれば重ねるほど、もっと彼女を知りたいとさえ思ってしまう。

 他人に対してここまで思うのは蓮にとって初めての経験だった。

 真正面から対峙してしまえば、小鳥のその屈託くったくの無い笑顔にわかりやすく赤面してしまう。だから、できることなら正面に立つのは避けたいものだ。

 かといって車椅子を押しているときは、小鳥が今どんな表情をしているのかその声色から想像しようとするたびに、もどかしさのあまり胸が張り裂けそうになる。

 こうやって横に並んでみれば、盗み見るかのように何度も横目で小鳥を追ってしまう。

 不意に向けられた真っ白な微笑みに視線が合えば、ドクンと大きく心臓が跳ねる。


 一目惚れとは、きっとこういうことを言うのだろう。


 積み重ねたのはほんのわずかな時間だが、蓮にしてみれば恋をするには十分すぎる理由だった。

 握り直した拳にぎゅっと力を込め、蓮は自分を奮い立たせる。

「あ、あの! 三枝さん!」

「は、はい! なんですか?」

 長い沈黙が突如として破られ、小鳥の肩がビクンと跳ねた。

「あ、明日も会いに来ていいですか⁉ む、無理にとは言いませんし、もし迷惑じゃなかったらで、いいんですけど……」

 一度腹をくくったくせに、口にすれば急に小さくなってしまうのは悪い癖だ。

 耳の先まで顔を真っ赤にして、声はみっともないぐらいに震えていて、鼻息だって荒いかもしれない。

 それでも自分の素直な気持ちを伝えられたことに対しては、微塵の後悔も抱かなかった。

「……会いに来てくれるんですか?」

 小さく口にして顔を上げれば、その深い琥珀色で真っすぐに蓮を捉える。

「も、もっと話したいんです。三枝さんと」

 それは率直な、蓮の素直な気持ちだった。

 好きな食べ物は何か、どんな音楽をよく聞くか、前の学校では何をしていたのか、そんなことが今すぐにでも知りたいと、心の底から思った。

「わ、私も、沢城さんと……もっとお話したいです」

 そう言う小鳥の声も、かすかに震えていた。ならば、と蓮はもう一歩だけ踏み出してみる。

「じゃあ、敬語じゃなくていいです!」

 小鳥は本来ならば高校三年生、蓮より二つも歳上だ。これからもこうして親しくしてくれるのなら、まずはここで一枚壁を崩したいところ。

「そっか……そういえば、私の方が年上ですもんね……えぇっと」

 ゴクリ——。息をのんで、小鳥は小さく小さく口にした。


「よ、よろしくね。っ」


 サイドに流れた長い黒髪を耳にかけると、一層あかに染まった柔らかな頬があらわになる。

 それは小鳥が年上の女性だということ今更になって意識せざるを得ないような、何とも妖艶ようえんで、どこか蠱惑こわく的な笑みにも見えた。

「——よ、よろしくお願いします、三枝さんっ」

 不意に下の名前で呼ばれてしまい、驚きのあまり言葉が詰まり、隣にいる小鳥を直視できない。

「……それじゃあフェアじゃないよ」

 不服ふふくそうな小鳥が、赤面しながらもジト目を向けてくる。

「え、えぇ?」

「名前……! 小鳥って、呼んでよ、蓮君も。じゃなきゃ不公平」

 ドクンドクンと、隣にいる小鳥に聞こえてしまいそうなほどに自分の心臓がうるさい。

 人付き合いを忌避きひしてきた蓮にしてみれば、異性を下の名前で呼ぶ経験などとうになかった。

 これ以上顔が赤くなることは無いと思うが、ふと小鳥の顔をうかがえばその深い琥珀色に吸い込まれてしまいそうになる。

 意図せず黙り込んではあわあわと慌てふためいた蓮を見て、小鳥は「もう」っと小さく口をすぼめた。

 どうしようもなく肩をすくめた自分から、一向に視線を逸らしてくれそうにない小鳥に、どことなく意地悪な印象を抱き、観念し、吐き捨てるように小さく呟いた。


「……さん」


 これはしばらくなれそうにないな、と蓮は言ってしまった後で頭を悩ませる。

「ようやく言ってくれたぁ……」

「ははは……すみません」

 

 どっと力が抜けて、蓮はようやく少しだけ小鳥の顔が見れるようになった。

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