旅立ち

 結局、自力で歩くことすらままならず、ほとんど少年に抱えられるような形で、セレネはアイシャの元へ戻った。

 アイシャはセレネの姿を見るなり、泣きじゃくりながら飛びついてきた。

 小さな身体を受け止めて、背中をゆっくりと撫でてやる。

「ごめんね、心配かけて。もう大丈夫。大丈夫だから」

 アイシャが落ち着くまで、セレネはずっと小さな少女を抱えていた。

 ジェロームとブリジットは、流石に今回の件で少し懲りたらしい。前方から高位の使者の馬車がやって来ても、馬車を停めてひれ伏すだけで、街道から外れようとはしなくなった。

 黒衣の少年とアイシャは、ずいぶん仲良くなった。

 少年が色々と声を掛けて、アイシャが驚いたり笑ったりと忙しい。

 アイシャはよく笑うようになった。俯く回数が減り、セレネと少年相手であれば、自分から話しかけてくることもあった。

「あ、あの、お名前は?」

「ん?」

「お兄さんの、お名前。聞いてなかったから」

「ああ、俺の名前か。言ってなかったか」

「うん」

「✕✕✕✕」

「え?」

 少年の口からは、確かに声が出ていた。だが、聞き取れない。確かに音が鳴っているはずなのに、一つもわからなかった。

「✕✕✕✕、だ。うん。やっぱ無理だよな」

「お兄さん、遠い国の人だったりするの?」

「まあ、そんなとこかな。俺、魔王だし」

「マオさん?」

「あー、うん。それで良い。多分それが一番近いよ」

 そんなやり取りの後に、少年の呼び名はマオになった。

 そして────五日目の夕暮れ。セレネたちは、石細工の街メイスルに到着した。



 メイスルの教会は、高い塀に囲まれていた。入口に、ブリジットと同じぐらい長身の女が立っている。身につけている長衣の色は黒だ。

「やりました、やりましたわ、ジェローム様!」

「ああ、ブリジット。私たちはやり遂げた。数多くの試練を乗り越えて、おぞましい異形の忌み子を教会まで届けることができた!」

 中年男女二人は、手を取り合って喜んでいる。

「おぞましき異形の忌み子と共に旅をする苦痛は耐え難いものでしょう。清く正しいあなた方の行いは、アスタ様もご覧になり、誇りに思っているはずです」

「当然ですわ」

 ブリジットが胸を張る。黒衣の女は冷ややかな口調で続けた。

「長く辛い旅を乗り越えたお二人に、僅かばかりではありますが食事をご用意させて頂きました。長旅の疲れをどうぞ癒して下さいませ」

 黒衣の女は長い身体を折りたたむように礼をして、それからアイシャの方を見た。

「あなたはそこで待っていなさい。すぐに迎えの者がやって来ます」

 そう言って、くるりと背を向けて教会の中へと入ってしまう。その後を、ジェロームとブリジットの二人が、軽やかな足取りでついて行った。

 その場には、セレネと少年、アイシャが残される。

「なあ、坊や。神聖教会の使者っていうのはみんなあんななのか?」

「そう言うな。あれは決まり文句だからそう言ってるだけで、本気で言ってるわけじゃない」

「そう?」

「だって、棒読みだっただろ」

 少年はそう言って、アイシャの方に向き直った。

「なあ、アイシャ。俺もさ、忌み子だったんだ」

「マオさんも?」

 アイシャの目が丸くなる。その右手には、セレネが渡した布袋が握りしめられていた。

「ああ。俺がいた教会はブリジットやジェロームみたいな嫌な奴ばっかりだったけど、多分ここは大丈夫だ。俺が保証する」

「すみませーん、遅くなりましたー」

 教会の方から、ドタバタと慌ただしい足音が聞こえてくる。先ほどの黒衣の女が、今度は人の良さそうな笑顔を浮かべて走ってきた。

「あのおじさんおばさんったらほんっとにわがままで。大したこともない武勇伝山ほど聞かされましたよ。あ、ごめんなさいね、愚痴っちゃって。私はグリンダ。お嬢さん、お名前は?」

「あ、アイシャ」

「そう、アイシャ。綺麗なお名前ね。あなたにぴったり」

 グリンダにそう言われた途端、アイシャの表情がぱっと明るくなった。視線が合ったので、小さく頷いてやる。

「長旅、大変だったでしょう。少しならお食事、用意できますよ。お二人もいかがですか? おじさんおばさんとは別の部屋にしますから」

「いや、私はこれで」

「俺も」

「そうですか」

 辞退すると、アイシャが寂しそうに俯いてしまった。その前に膝をつき、肩に手を置く。

「元気でね、アイシャ」

「セレネさんも」

 小さく頷く。すると、アイシャは今まで聞いたこともないような大きな声を出した。

「も、もう無茶しちゃ駄目だからね! 心配させちゃ、駄目なんだからね!」

 セレネは言葉を失った。少年が声もなく笑っている。グリンダは、小さな少女を愛おしそうに見つめていた。

「わかった!? セレネさん!」

「わ、わかった。わかったよ、アイシャ」

 セレネがそう言うと、アイシャは満足そうに大きく頷いた。

 顔を上げて、真っ直ぐ前を向いている。もう怯えた様子はない。




 最後に一回ずつアイシャと握手をして、セレネと少年はメイスルの教会を後にした。

 アイシャは、セレネたちの姿が見えなくなるまで、大きく手を振っていた。時折振り返って、手を振り返してやると、小さくとび跳ねて喜んでいた。

「ところで坊や、あんたいつまでついて来るつもり?」

 当たり前のようについて来た黒衣の少年にそう尋ねると、彼はきょとんとした顔で言ってきた。

「お前が死のうとしなくなるまでだ」

 セレネは足を止めて、少年を見つめた。

 少年は顔をしかめる。

「アイシャだって言ってただろ。もう無茶するなって」

「悪いけど、私はいい加減死にたくてこんなことやってるんだ。坊やにいくら説教されても止める気はないよ」

 説教するのがアイシャでも同じことだ。

 早く死にたい。早くルナやダイアンの元へ行きたい。その想いは変わらない。

「それなら、尚更俺と一緒にいた方が良い」

「はあ?」

 少年は低い声で言った。

「俺は魔物を引き寄せる体質なんだ。強い魔物と戦って無惨に死にたいのなら、俺の近くにいた方が効率が良いだろう?」

「…………。死ぬ前にあんたに治されたり、強化魔法を掛けたそばから解かれたりしてなかったら、ちょっとは考える気になったんだけど」

 ため息をついたセレネを見て、少年がにやりと笑った。

「お前が何と言おうと、ついて行く。もう決めたんだ、諦めろ」



 ────いつか永遠の眠りにつく日を夢見ながら、何度も何度も繰り返し死に続ける、孤独な旅。

 それが、しばらくの間、二人旅になるようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

始めるための物語 三谷一葉 @iciyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ