ー弐ー
……そう思うのに、僕は二つの感情がいつも同時に沸き起こる。そのもう一つの感情は、どこかそれを寂しいと思っているということだ。
僕はどうやらドMだったようだ。これは由々しき事態である。あんな小僧の態度に快楽を感じていたことになる。なんということだ。どうやら僕はあの神使と関わりすぎて毒されてしまったようだ。禊がなければ。神社を出る前にまた手水舎に寄って手を洗おうと決めた。
「先ほど満己から聞きましたが、佐藤さんは明日ここを発たれるんですね」
「そうなんです。短い間でしたが、お世話になりました」
僕はさっきした挨拶の会釈よりも深めに頭を下げた。すると今度は慎二さんが僕にならって頭を同じくらい下げてくれた。
「いえいえ、新聞づくりのお手伝いや凛花ちゃんの時など、こちらこそたくさんお世話になりました」
依頼はこずえの後から一件も来ていない。こずえのも結局は取り消したのだから件数にカウントするのもなんだが。
みーこさん曰く、これが普通の件数らしい。なかなかあやかし新聞社は暇なようで、けれどそれは人々が困っていないということで良いことなのかもしれないが……。
「またこちらに来た時は、神社に顔を出してくださいね」
「はい、もちろんです」
僕と慎二さんは再び頭を下げて、挨拶もそこそこに立ち去った。
慎二さんと話をした後、みーこさんとたわいない会話をし、そして僕は神社を後にした。
神社を出る時、階段を下りる途中で何気なく後ろを振り返ると、あの大きな鳥居の上に座る子供の姿が見えた気がした。
……けれどもう一度目を凝らして見てみると、そこには誰もいなかった。
「……ありがとうな」
僕はそう声に出した後、神社の階段を下りきった。
◇◇◇
「最近、依頼がなくてなんだかやる気も出ないねー」
「依頼などない方が良いに決まっている」
左右ってば相変わらず淡々と正論を唱えてくれる。
左右は昔から変わらない。姿形も同じで、成長しない。幼い頃は左右の方が年上だったのに、今では私の方が上だ。
「みーこの方が年下なのは変わりないだろう」
「そうだけど、私は見た目の話をしてるのよ」
こうやって揚げ足取るところも昔と変わらない。
私の生活も変わらない。私はこの神社が好きだし、神様に仕えてるのは誇りを持ってる。だから天職とも言えるこの場所で過ごすのにはなんの問題もない。
だけど、時々ちょっと物足りないというか、エネルギーを発散する何かが欲しいというか……。
最近は参拝客も増えた。キヨさんも毎日のように顔を出してくれるし。
けどもう一人、ここ最近までは毎日顔をだしてくれていた佐藤さんは帰っちゃったから、次会えるのはいつかな?
なんて机に突っ伏しながらうなだれていると……。
「お前の暇つぶしであれば、もうすぐやってくるだろうな」
「……なにそれどういう……? あっ、それって依頼が入るってこと!?」
いや待った。誰か困っている人がいることを、こんなに喜んではいけないわ。それは神職に仕える者としてダメ。しかも私の暇つぶしって……左右の言葉もそうだけど、それに反応した私も失礼だ。
私は背筋を正し直して、表情も引き締めた。
「みーこがワクワクしてる時は、いつもそういう顔をする。みーこは昔から偉ぶるのが得意だな」
「失礼ね。こういうのを大人びているっていうのよ」
さて、外の掃除でもしようかな。そう思って一度大きく伸びをした後、社務所の扉を開けた。
すると——。
「あっ、お久しぶりです」
「あれっ、佐藤さんじゃないですか。どうしてここに?」
手水舎で手を洗ってきたばかりなのか、佐藤さんはハンカチで手を拭きながら歩いているところをばったりと出くわした。
「実は……って、僕まだ本殿にご挨拶できていないので、少し待っていていただけますか? すぐに済ませてきます」
「えっ、それでしたら私も一緒に行きます!」
「えっ?」
なんでなんで? なんで佐藤さんがここに? 東京に帰ってから一ヶ月くらいだよね? 今日は平日だから佐藤さんのおばあさんのところに遊びに来たっていうわけでもなさそうだし……。
疑問がどんどん増えて、溢れてくる。佐藤さんが本殿へ挨拶へ行って帰ってくるまで待てそうにもないので、私も一緒に本殿へ行って手を合わせましょう。そうしましょう。
「では、一緒に行きましょうか?」
「はい!」
戸惑った様子がみて取れるけど、私は気にせず佐藤さんと共に本殿へと向かう。
——パンパン。柏手を叩いた後一礼し、佐藤さんは顔を上げた。
一ヶ月前よりも髪が短くなっている。東京に帰って髪を切ったのだな。なんて分析を始める。
佐藤さんはとても良い人だ。というか真面目だ。真面目で爽やかなお兄さんだ。以前は左右も見えていたのに、今は全く見えないし、声も聞こえないらしいけど、今もなのだろうか。
「佐藤さん、今日も左右は見えないのですか?」
私のこの問いに、佐藤さんは残念そうに眉尻を下げながら笑った。私はこの佐藤さんの笑い方が好きだ。
「残念ながら……今も近くにいますか?」
「はい、ちなみに私の隣に立っていますよ」
左右もなんだかんだと佐藤さんに会えるのが嬉しいのか、佐藤さんについて本殿まで顔を出している。
「誰が喜ぶか。俺は神使だ。神使が神様の御前に足を運んで何が悪い」
「それはそうだけど……」
私はちらりと佐藤さんに視線を向ける。しかしやっぱり佐藤さんは左右の姿が見えていないようで、左右に視線が一度も向かない。
せっかく仲間ができたと思って喜んでいたのに、残念だ。
「左右が何か言ったんですか?」
「いえ、大したことではありませんので。それより今日はどうされたのですか? また休暇が取れたのでしょうか?」
前回は有給休暇を使って来たって言ってたっけ? ならば今回も? けどそんなにたくさん休暇って取れるものなのかな?
「実は僕、前回よりももっと長い休暇中なんです」
「もっと長い? それってお仕事大丈夫なんでしょうか?」
他人事ながら心配になってしまう。佐藤さんはきっと仕事ができる人なのだと思う。それは言葉尻だったり、ちょっとした言葉の言い回しだったり、立ち居振る舞いだったり。私も企業というものをきちんと知っているわけではないけど、それはやっぱり感じる。
「大丈夫なんです。全て引き継ぎもして来たので」
「そうなんですか」
「……って実は、会社辞めて来たんですけどね」
ははっと頭を掻いて笑う佐藤さんに、私は思わず口を開いて驚いてしまった。
「えっ? 退職されたんですか? それはまた、どうして?」
瞬時に私の脳がはじき出した考えは、佐藤さんに見抜かれたようだ。
「これで晴れて新聞社のお手伝いもできますね」
「なんとも心強いですね!」
私は思わず佐藤さんの両手を捕まえて佐藤さんの胸の前で力強く握り締めた。
なんとも心強い戦力なのだろうか。たとえ今は左右の姿が見えていなくても、知っている仲間がいるというだけでなんだかやる気が湧いてくる。
「みーこ、本気にするな。これはこいつの社交辞令だぞ」
社交辞令など、もちろん分かってる。それでもきっと佐藤さんなら助けてくれるはずだ。
「……ですが、お仕事はどうされるおつもりですか?」
あやかし新聞社を支えてくれる戦力はあるに越したことはなく、助けてくれるのも嬉しい。けれど私たちは佐藤さんに報酬を払えるほどこの神社は裕福ではない。佐藤さんをこの神社に雇うほどのお金はないのだ。
もしくはこの村で仕事を探すつもりなのだろうか……?
「いえ、僕はフリーランスで仕事をするつもりです。元々僕はIT企業に勤めていましたので、パソコンには強いのです。今のご時世、リモートワークなどと言われるくらいなので、仕事は別に東京でなくたってできるんですよ」
「そうだったんですね!」
私は再び佐藤さんの手を握りしめ、小さくジャンプした。
佐藤さんがもしこの神社に就職したいと言って来たらどうしようかと思ってしまった。お父さんに相談はできるけれど、満足なお給料は払えないだろうし、そもそも我が家が火を吹いてしまうかもしれない。
「やっぱりこの時代、パソコンが扱えるというのは強いですね。私もプログラミングなどができればいいのですが」
「それでしたら僕が手空きの時にでも教えますよ」
「本当ですか!」
それは助かる。豊臣神社のホームページを作りたいと思っていたところなのだ。今はこの村もさびれているが、私はいつかもっと人が集まって活気を取り戻して欲しいと思っている。
佐藤さんのように、もっと多くの人が東京にいなくても仕事ができるとなればいいのに……。
私は再び佐藤さんの手を握った。すると——。
「みーこ、むやみやたらと異性の体に触れるものではないぞ。その証拠にこいつ、鼻の下が伸びているだろう」
「……! 失礼なことを! 僕がいつ鼻の下を伸ばしたんだ!」
えっ? 私は思わず握りしめていた手を離した。佐藤さんも驚いた顔をしている。それもそのはず。
「佐藤さん、左右の声が聞こえてるんですか?」
ううん、声だけじゃない。佐藤さんの視線は明らかに左右に向けられている。
「……あれ? ですね……?」
「わー! おめでとうございます!」
何がおめでとうなのか。左右はそんな鋭いツッコミを入れているが、私からすれば嬉しい限りだ。だってまた左右が見える仲間が現れたのだから。これはきっと神様の思し召しだ。あやかし新聞を三人で頑張れっていう、神様の粋な計らいに違いない。
思わず抱きついてしまったけれど、佐藤さんは困ったように固まっている。相変わらず佐藤さんはウブというか、やらしさを感じない。
「いや、こいつはやらしさの塊だぞ」
「……! こら左右、それは僕に対して言っただな!」
「当たり前だ。お前以外に変態がどこにいる」
「このやろう!」
二人はトムとジェリーのように仲良くケンカしてる。本当に二人は仲が良い。特に左右は普段他の人と話せないせいか、こんなに生き生きとしている左右を見るのは私の人生で佐藤さんだけだ。だから本当に佐藤さんが帰って来てくれて良かった。
私は追いかけっこをしている二人の後を追って、社務所に向かうと——。
「あっ、みーこさん。どうやら依頼の手紙が松の木の麓に結ばれています」
佐藤さんが大手を振りながら私に向かってそう叫んでいる。空いた方の手は松の木を指差して。
「えっ、ほんとうですか?! すぐに確認しましょう! 佐藤さんが帰ってたばかりで早速ですが、あやかし新聞社の出番です!」
私は松の木を目指し、駆け出した——。
【完】
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