第2話 呪術

「呪術使い……」


 信じられないといった様相のイグニスだったが、やがて彼女は我を取り戻したかのように頭を振り、両目を手で覆った。昔から変わらない、思考中の姉の仕草だ。


「いや、とりあえず上着を着ろ」

「……あ。そ、そうだね」


 サモンが上着を拾い、着始める。最後に、イグニスは毒色の刻印――呪術使いである証をにらむように見つめる。

 そして。しばらくイグニスは考えるそぶりを見せる。

 やがて。


「そうか。そうだったんだな」


 短い一言。その言葉には、様々な感情が入り乱れていた。


「そうかって……、疑わないの?」


 自分でも突拍子もないことを言ったという自覚はあったのだ。魔法使いの国において、呪術使いという存在はおとぎ話のような伝説上の存在だ。それをあっさりと信じてしまうなど、サモンは我が姉のことながら心配だった。

 それに対して、イグニスはきっぱりと言い切った。

 

「家族を疑うようなことをするはずがないだろう。ましてやこんなこと、私が信じてやれなかったら誰がお前を信じてやれる」

「……うん。そうだね。でも、ありがとう」


 当たり前といった様子で、イグニスが腕を組みなおす。


「だが、お前は正真正銘アルフレッド家の人間のはずだ。魔法の名家出身のお前が、なぜ呪術使いなんぞに……」

 

 そこで、イグニスの言葉が途切れる。理由は簡単だった。目の前の弟が、やけに小さく見えたからだ。

 

「……ごめん。まだ、それは伝えられない」

「……そうか。言いにくいことを聞いたな」


 なにか弟を追い詰める理由があるのだろうと、イグニスはあたりをつける。

 

「サモン」


 イグニスがサモンの名前を呼ぶ。優しい声音は、ゆりかごのようにサモンの心を落ち着かせていく。


「これがばれたら、大変なことになるな」

「そのことなんだけど。僕は……」

「このことは誰にも言うな。さもなければ、お前が傷ついてしまう」


 ――世界を変えたい。

 その言葉は、イグニスによってかき消される。それに、悪意などではなく、ただ純粋にサモンを案じる心から発された言葉である言葉であるからタチが悪い。


「……」


 何も言えなくなったサモン。イグニスはそれを知ってか知らずか、声をかける。


「とりあえず、お前は人前で肌を見せることはするな。公衆浴場を使うのは極力控えて、自室のシャワーで済ませるんだ」

「ああ、うん……それは騎士学校のころから気を付けてたから、大丈夫だと思うけど」

「お前の所属部隊も、私直属の部隊にしておこう。できるだけサポートするから、もう一人で抱え込むな」


 言いながら、イグニスは書類を整理し始める。もう夜も遅い。そろそろ帰るべきだとサモンは悟った。


「姉さん、ありがとう」


 立ち上がり、サモンは深く頭を下げる。イグニスは慈しむような視線でそれを見つめていたが、不意に目つきを厳しくした。


「それで、サモン。お前は、呪術は使えるのか?」


 三年前、まだサモンが騎士になる前からサモンは魔法の訓練はしていたから、魔法を使えるのは知っている。だが、呪術使いだと知った今、イグニスは呪術も見てみたいと思ったのだ。

 それに対するサモンの返答は。


「うん。使えるよ」

「そうか。よければ、見せてくれないか?」

「いいけど……、魔法みたいに派手じゃないよ?」

「それでもいい。ただ興味があるんだ」

「……わかった」


 サモンはそう返事をした。

 呪術は、人の感情を媒介に事象に干渉する。ゆえに、思いが強ければ強いほど干渉できる領域は広くなる。


「呪いの効果は、媒介にする感情によるんだ。たとえば、憎しみだとか怒りだとか、そういう攻撃的な気持ちは攻撃に転用できて、守ることはできない。逆に、慈愛だとか庇護欲だとかいったものは、守ることはできるけど攻撃には使えないんだ」

「そうなのか……。呪術に関する書物は非常に少ないから、教えてもらえて助かる」

「だから、その人の精神性が一番出やすい学問ともいえるかな」

「ふむ。呪いというから、もっとおどろおどろしいものかと思っていたが、その限りではないんだな」


 感慨深げなイグニスを目端にとらえながら、サモンは呪術の展開準備をする。


「じゃあいくよ」


 サモンは空になったティーカップに触れながら、背中から腕へ、腕から手へ、そして手からティーカップへと力を流す。


不可視の壁よ、守れキー・セル・サレン・レ・ラス・エスト


 ティーカップが一瞬だけ強く光り輝き、透明な膜のようなものでおおわれる。


「これが呪術か?」

「うん。ちょっと、このティーカップを触ってみて」


 イグニスがその言葉に従いティーカップに触れようとする。すると、あと数センチというところで指が止まる。

 否。止まったのではない。進めないのだ。


「これは……」

「驚いた? 実は、このティーカップの周辺に守護壁を張ったんだ」


 サモンの、『守りたい』という気持ちがティーカップに伝わり、事象を発生させたのだ。

 だが、数秒もすると溶けるように壁は消えてしまう。


「今回は僕の感情が弱かったから持続時間は短いけど、戦闘中は感情の昂ぶりもあってもっと強いよ」


 どこか自慢げに、サモンは言う。だが、それに対するイグニスの返答はなかった。ただ、ティーカップを見つめて、ぼそりと言うだけだ。


「本当に……呪術使いなんだな」

「……うん」

「そのことは、絶対に言うな」

 

 念押しするように、イグニスはそう言う。

 人は暗闇よりも怪物よりもなにより、異端を恐れる生き物であるとイグニスは理解しているのだ。

 もし、サモンが『違う』ことが周囲にばれれば、サモンはただでは済まない。イグニスとしては、サモンが残酷な運命をたどることだけは許せなかった。


「今日はもう帰れ。私もまだ仕事が残っている」

「うん。……姉さん、本当にありがとう」



「気にするな。家族だからな」



 イグニスは、その言葉にかけてサモンを守ると誓ったのだった。




 ————————————




 アルフネス北端の街にて。

 その街では、異様な喧騒に包まれていた。黒ローブの集団が街を闊歩し、街の住人たちはそれらを恐れるように道の端を歩く。


 黒ローブの集団のうちの一人、ヘレンがスンスンと鼻を鳴らし、眉を顰める。

 

「むむむ」

「どうした、ヘレン」

「いやー、珍しいとこから匂いがしたなーと思ってねー」

「また呪術のにおいがするとかいう、お前の戯言か」

「戯言なんかじゃない! 本当に臭うんだから!」


 その格好には似合わず、元気で快活にふるまう少女。だがその手には先決を垂らしながらぶら下がる人の右腕が握られていた。

 

「はぁ……はぁ……」

「んー?」


 ヘレンに、ふらふらとしながら歩み寄る人の影。片腕がないことから、ヘレンに腕をもぎ取られた人間だろう。


「お、俺の腕を、かえせぇ……!」

 

 残った左腕がヘレンの肩に触れた瞬間、ヘレンの目つきが変わる。


わが身を汚すものに、死をメル・アイレン・ル・ゼド

「ぐげ」


 奇怪な断末魔を上げて、男は灰になる。


「うげー、きたなーい」

「……はぁ。一応聞いておいてやる。お前が呪術のにおいを感じたのはどこだ?」


 一緒にいる男も何事もなかったかのように会話を再開する。


「ふふふ、聞いて驚け!」


 ヘレンは南を指さし、叫ぶ。


「アルフネス王国が誇り、魔法騎士団! その内部!」


 新たな波乱の種が、目を覚ます。



 

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