呪術の本懐

第1話 嫌われ者の秘密と願い

 長らく、この世界において魔法使いと呪術使いは対立してきた。

 千年前に東西の壁が造られた後はそのいさかいはなくなったが、サモンはそれを状況の好転とはとらえていなかった。

 なぜ対立しあうのか。なぜ、壁を作って和解の道を閉ざしてしまったのか。千年前にさかのぼることはできず、伝承もろくに残っていないため確かめる術はない。

 

 今では魔法使いは、呪術の言葉を聞くだけで嫌悪感を表し、怪しげな術を使う陰湿な奴らだとまるで見たことがあるかのように言う。千年前に、道は閉ざされているというのに。

 

 誰しもが知らず、誰しもが知った口を利く。

 幼い子供をしつけるときに、母親は壁の向こうから恐ろしい呪術使いがお前をさらいに来るぞと脅す。

 街ではいつも風の噂と称してどこそこに呪術使いの末裔が現れただとか、根も葉もないデマが広がっている。

 

 そんな世界で、魔法使いの国アルフネスで生きるサモン・アルフレッドには誰にも言えない秘密があった。

 それは、魔法使いだらけの世間において、異端と言い切れること。人種より言葉より、重くのしかかる差別の壁だ。


 言えば世界が変わることは避けられない。最悪、生きられる場所はなくなる。

 そんな世界を変えてやると、決意したのはいつだったか。もう擦り切れてしまった思い出だ。


 東西間の壁を壊し、再び魔法使いと呪術使いの交流を始める。今度は対立などという形ではなく、平和の中での交流だ。

 

 世界全体が、笑える時代を創る。


 それがサモン・アルフレッドの、たった一つの大きな願いだった。



 ———————————————



「僕は、姉さんにずっと隠し事をしてたんだ」


 隠し事。その言葉に、目の前に座る尊敬する姉の瞳がかすかに揺れる。

 サモンは、これから自分が言おうとしていることがどれだけ重大なことかを再確認するように深呼吸をした。


「そうか……お前が、私に隠し事か」


 感慨深そうにイグニスが腕を組む。それは弟の成長を懐かしんでいるようにも、寂しがっているようにも見えた。

 なぜだかそんな表情を見ていたくなくて、サモンは口を開いた。


「実は……」


 言おうとして、口をつぐむ。まずどのように言葉をつなげばいいのかがわからなかった。

 伝えたいことを整理しようと、出された茶に口をつける。苦みの中にほんのりと甘みが隠れていた。


「それはそうと」


 先にイグニスが口を開く。自分と同じ色の金糸が、さらりと揺れる。 


「お前が送ってきた本、読んだぞ」

「あ、ああ。あの本ね……。長かったでしょ」

「本当にな。それに、あんな常識を長々と書き連ねただけの本なんか送り付けて、どういうつもりなんだ?」

「常識……、そうだね。ごめん」

 

 サモンがイグニスの言葉を痛そうに受け止める。反射的に飛び出た謝罪は、空虚に部屋に響いた。

 言わなければならない。

 サモンはそう思った。常識を疑えと、最愛の姉に示してやらねばならないと決意した。

 姉の認識すら変えられずに、世界を変えるなどおこがましい。イグニスはサモンにとって、最初の越えなければならない壁だ。


「姉さん。聞いてほしいんだ」

「……ああ、分かった」

 

 いつになく真剣な表情の弟に、イグニスも真摯に受け止めようと居住まいを正す。

 そんな姉の真面目さを懐かしみつつ、サモンは立ち上がり上着を脱ぎ始める。

 イグニスは目を白黒させて、かすかに頬を赤らめる。逞しくなった肉体に少しだけどきりとしたのは黙っておこうと、イグニスは咳払いをする。


「な、なにしてるんだいきなり……。男くさい騎士学校にいて、感覚がマヒしてるんじゃないのか?」

「あはは……。そういうわけじゃないんだけど。姉さんに見てほしいんだ、僕の背中を」

「……ふむ」


 サモンの言葉に、イグニスは思案気に眉を顰め、やがて合点がいったというようにポンと手を打った。



「そんなに筋肉に自信があるのか?」

「何言ってるの姉さん」


 冷静に突っ込みを入れるが、そうだ、姉は昔から天然こうだったと苦笑する。

 だが、朗らかな兄妹の空気もサモンが上着を脱ぎ終わることで一変する。



 サモンの背中に、大きな幾何学的模様の印が刻まれていたからだ。


「これが、僕の見せたかったものだよ」

「それは……」


 記憶を漁るように右上を向いたイグニスは、しばらくしてからまさかといったように目を見開く。

 そして、卓上に置かれた本、サモンが送りつけた本を乱暴に開きページを繰る。

 しばらくの間、痛いくらいの静寂に焦ったような紙がこすれる音だけが響いた。

 指が止まる。

 

『呪術使いの体には、必ず毒色の刻印がある。その大きさ、複雑さによって、呪術使いの中での地位が決まる。』

 

 説明書きとともに描かれていたその印は、サモンの背中にあるものと酷似していた。


「お前……!」


 驚きのあまり言葉が継げないイグニスに、サモンはいつも通りの、それでいて達観したような笑みを浮かべる。



「ずっと黙ってたけど、僕は使だったんだ」



「……」


 イグニスは、信じられないというような表情で刻印を見つめていた。

 サモンも、もう後戻りはできないなと小さくため息をつく。

 覚悟はできている。世界を変える。



 夕暮れの中、毒色の刻印が不気味に光った、気がした。

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