レス・レ・エグズ・イグニス

食い荒らし

第0話 再会と始まりの手紙(イグニス視点)

 世の中には、二種類の人間がいる。

 世界に満ちるマナを体内に取り込みそれを魔法として森羅万象に干渉する、魔法使い。

 人々の間に芽生える感情を力に変換し、万物に作用させる、呪術使い。


 その二つの度重なる対立によって、魔法使いと呪術使いの間には、修復不可能なレベルの溝が作り出された。

 二者間の軋轢は、国家レベルで作用し、ついに世界は二つの国に割れることとなる。

 西の魔法主義国家、アルフネス。

 東の呪術主義国家、リエドール。

 両国は不可侵条約を結び、世界は文字通り半分に分けられた。

 二国間には壁が作られ、それから千年の間何物もその壁を通り超えられる人間はいなかった。……。


 以降、同じような二つの国の断裂の歴史が長々とつづられている。



「……」


 アルフネスの王都、その中心部に位置する魔法騎士団副長室にて、イグニス・アルフレッドは静かに本を閉じた。

 代々部の覇者と呼ばれてきた名家アルフレッドの正統なる後継者であり、現魔法騎士団副長である彼女の目下の悩みは、訓練騎士である弟、サモン・アルフレッドのことだ。

 今月で騎士学校を卒業し、サモンは正騎士となる。来月からはこの国の騎士団の中でもエリート中のエリート、魔法騎士団に配属されることとなった。

 姉としては弟が立派な騎士になってくれてうれしいのだが、如何せんイグニスにとってサモンはかわいい弟である。騎士という職業の危険さと過酷さを知っているからこそ手放しには喜べない、というのが彼女の心境だった。


「それに、こんな手紙までよこして……」


 閉じた本の下に敷いていた、白い便箋を取り出す。そこには、見慣れた几帳面な文字が連なっていた。この手紙も先ほどまで読んでいた本も、サモンが送ってきたものだ。


『久しぶり、姉さん。アルフレッド家のサモンです。来月から姉さんもいる魔法騎士団にお世話になることになったのは知ってるよね? 三年前に僕が騎士学校に入学してからはほとんど連絡も取ってなかったから、いい機会だと思って手紙を書いてみた。近いうちに姉さんに会いに行くよ。話したいことがあるんだ。同封しておいた本は読んでおいてくれると助かる』

「……」


 手紙の最後に書かれていた文章がやけに気になる。話したい事、それがなんなのか、先ほどからそればかりだ。悪い予感がする。イグニスの勘は、こういう時によく働いてしまう。

 この本に関連していることなのだろうかと、手元の本に目を落とす。『魔と呪の相互不干渉的世界』と銘打たれた本である。

 だがここに書いてあることは一般常識の範疇だし、特にこれと言って面白いものでもなかった。興味のない本に時間を取られるのは、いくら弟の頼みとはいえ苦痛だった。


「あいつが来たら一言言ってやるか」


 叱られてしゅんとうなだれる姿は、三年前のもので止まっている。あれからどのくらい成長したのかと思いはせてみても全く想像できない。

 たくましくなったのか、それともあまり変わっていないのか。


「ふふ……」


 思わず笑みがこぼれる。イグニスがサモンに抱く好意は、ただの弟、だけではないとは彼女自身も気づいていない。



 —————————————

 


 ノックの音が響く。

 うと、うと、と机の上で舟をこいでいたイグニスは、はっと目を覚ます。


「な、なんだ?」

「魔法騎士団副長、イグニス・アルフレッド様にお客様です」


 無機質な守衛の声が響く。客、そんなものがくる予定は――と、机の上に広がった便箋と本を目はしにとらえ、思い出す。


「あ、ああ。入れてくれ」

「承知しました」

 

 何とはなしに、制服の襟を正し髪を手櫛で整える。三年ぶりに会う弟に、緊張でもしているのだろうか。イグニスは、はやる気持ちを咳払いして抑えつけた。

 ドアノブを回す音、次いで部屋に空気が流れ込む。



「お客人、サモン・アルフレッド様です」



 軍靴の重い音が、カーペットに吸い込まれていく。

 自分と同じ曇りない金髪が、窓から漏れる光に照らされて陽色に透ける。


「ああ、うん。案内ありがとう。兄妹積もる話もあるから、二人にしてくれるかな」

「承知しました」

 

 扉が閉められる。

 残ったのはイグニスと彼――サモン二人だった。


「サモン。……久しぶりだな」

「そうだね。ずいぶんと久しぶりだ」


 最初に感じたのは、背丈の差だ。三年前はまだイグニスの方が高かったというのに、今ではサモンのほうが十センチほど高くなっている。

 顔も大人びて、可愛かった弟とは別人のようになってしまっている。


「まあ座れ。今茶を持ってこさせる」

「十年前はここらを牛耳ってたガキ大将の台詞とは思えないね。姉さんも出世したねえ」

「あの頃は私も落ち着きを知らなかったからな」

 

 感慨深そうなサモンの言葉に、苦い過去を思い出しイグニスは苦笑する。

 昔は彼女をこうして手玉に取るような発言をすることもなかった。いつまでも自分の後ろをついてきていた弟がどこか遠くの場所に行ってしまったような、イグニスはそんな寂しさに襲われる。

 それでも、一つ、変わらないものもあった。

 サモンの声。優しい声音で、聞いているだけで安心させてくれるような音色だ。


「姉さん。急で悪いんだけど、聞いてほしいことがあるんだ」


 手紙の内容。サモンがそれに触れてくる。

 

「なんだ?」

「僕は、姉さんにずっと隠し事をしてたんだ」


 真剣な瞳。

 優しい声が、イグニスの耳朶に届く。

 それは、新たな厄災のにおいがした。


 

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