玉金喰種:re
「クソッ! 市長め……!」
メイスンの所に戻ってきた時雨は、苛立ちを露わにしていた。
「やはり説得に失敗したようですね」
「ああ、惨敗だよ全く」
市長の説得を試みた時雨。しかし、市長は梃子でも動かぬといった風に強情であった。
「やっぱりですね。お約束じゃないですか。安全のために大会を中止しようとする警察と抵抗する市長……その手の映画じゃお決まりですよ」
「はは、メイスンの言う通りだな。まぁそう来ることは分かっていたし、こちらはこちらで対策は練ってあるさ」
タマーキンはそう言うと、手元にあったスキットルを掴んで一口あおった。
***
翌朝、精子湖において、男子遠泳大会は開催された。湖の周辺には出場選手の高校関係者や父兄、市の職員など、大勢の人々が集まっている。
市長が挨拶を終え、選手の名前がアナウンスされる。鍛えられ筋張った肉体を晒す男子高校生選手たちが、湖畔から水の中へと入っていった。
やがて、開始を告げる音声が鳴らされた。選手たちは白い水しぶきを蹴立てて一斉にスタートした。大勢の選手が水を叩く音は、遠くからでもよく聞こえるほどだ。
「うわあっ! 痛い!」
スタートから三十メートルほど離れたところで、突如一人の選手が叫び出した。先頭の選手たちは気づかなかったが、彼より後ろの選手たちは彼がもがき苦しんでいることに気づいた。
もがき苦しむ選手は、やがて力が抜けたように大の字になり、水面に浮かんだ。彼の周りには、赤い絵の具をまき散らしたかのように血がにじんで広がっている。
「ああっ!」
異変に気がついて立ち止った選手たちの中の三人が、同じように叫び出した。あっという間に、選手の股の部分から血が広がる。
騒動は、そこで終わらない。あっという間に、湖は阿鼻叫喚の地獄となった。選手たちは次々と叫び声を上げて苦しみ、血を湖に流した。湖に、何かがいる。何かが、選手を襲っている――
「ジョーズか!?」
「ジョーズって何だよ」
「バカ、ここは湖だぞサメがいるか!」
口々に叫ぶ選手たち。彼らは自分たちが何に狙われているのか全く把握していなかった。選手たちが襲撃者の正体に気づくのは、股間を食い破られた時、つまり殺人魚によって致命傷を負わされる時のみであった。
選手たちは、我先にと岸へ向かって泳ぎ出した。だが、湖に潜む狂乱殺人魚たちは、逃げる選手たちが立てる水音に反応して、標的をそちらに変更した。
「な、何が起こっているのだ……」
血と断末魔。まるでパニック映画の一幕のような光景を目の当たりにして、市長は魂が抜けたように呆然と立ち尽くしていた。その市長の元に男が一人、近づいてきた。
「何をやっているんですか! 早く自衛隊への救助要請を出してください!」
市長の眼前で怒号を発したのは、時雨であった。それと同時に、時雨の背後から叫び声が聞こえた。振り向くと、岸に上がろうとする色黒の少年に新種コロソマが群がっている。
「させるかよ!」
時雨はすぐさま拳銃を抜き、少年の後方目掛けて発砲した。背後から迫りくる魚たちの体に、銃弾が穴をあけてゆく。
やがて少年は、自力で岸へと上がった。彼の体が小刻みに震えているのは、濡れた体が風に吹かれたからではないのだろう。
「警察の方……ですよね。ありがとうございます」
「ああ、助かってよかった……」
時雨自身にも、彼より少し年下の、中学生の息子がいる。子を持つ父として、少年の命を救えたことは何よりも喜ばしかった。
一方のメイスンは、タマーキンとともにモーターボートで湖に漕ぎ出していた。
「ワタシたちで選手全員を助けるのは不可能です。でもこれなら……」
メイスンは黒い筒に丸い物体を詰め込んだ。それを斜め上に傾け、そして……
「シュート!」
煙とともに、黒い筒――擲弾筒が丸い球体を吐き出した。放たれた球体は放物線を描きながら空中で破裂し、たくさんの小さな丸い粒となって湖面に降り注いだ。
この小さな粒たちは、例の練り餌である。餌を投げ入れて、奴らをこちらへ引きつけよう……作戦の内容はこうだ。
選手たちを追いかけ回していた新種コロソマたちはひれを返し、ばしゃばしゃと音を立てながら餌の着弾地点に群がり出した。メイスンとタマーキンの目論見通りだ。
「入り江に誘い込むぞ!」
「分かりました」
メイスンは餌を掴み、今度は素手でこれを投げ込んだ。それを合図に、タマーキンがボートを発進させる。ボートは徐行しながら北を目指した。
湖の北の方には入り江になっている場所があり、その場所には――メイスンが仕掛けた爆弾が設置されている。
餌を撒きながら、ボートは入り江に入り込んだ。新種コロソマたちは順調に餌に釣られている。博士の作った餌は相当嗜好性が高いようだ。
ボートはそのまま進み、接岸して停止した。タマーキンが先に岸に上がり、メイスンが餌を撒きながらそれに続いた。
「順調に集まっておるな」
「後は爆破するだけです」
メイスンが懐からリモコンを取り出す。爆弾の起爆スイッチだ。
「はい、爆破!」
――瞬間、メイスンにとっては聞きなれた音が地を、空を震わせた。同時に、白いしぶきの柱が、まるで龍のように立ち上った。爆発によって巻き上げられた水の柱は、そのまま雨のようにメイスンたちに降り注いだ。
***
事件は、たちまち全国ニュースとなった。湖は連日、押し寄せるマスコミで騒然としている。大バッシングを受けた市長は精神を病み、とうとう入院という憂き目に遭ってしまった。
その喧騒を余所に、湖畔でスキットルを傾ける老人がいる。その傍らには、金の長髪をした美しい青年、メイスンの姿もある。
「今回も世話になりました、博士」
「はは、いいのだ。それにしても、生物の世界は分からないことだらけだ」
言いながら、老人――タマーキンは再度スキットルをあおる。酔いが回ってきたのか、頬が紅潮している。
その時、酔いからか、タマーキンの足元がふらついた。運が悪いことに、彼の踏んだ落ち葉が滑り、そのまま湖に滑落してしまった。
そこに集まってくる魚影を、メイスンは見逃さなかった。
「危ない! タマーキン博士!」
魚たちは、一目散にタマーキンの玉を目掛けて群がってきた。
ボールカッター ~~玉金喰種の猛襲~~ 武州人也 @hagachi-hm
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