ドーピー
弥生
おとぼけ
きっと私はこのまま自宅アパートのユニットバスで餓死してしまうのだろう。
数ヵ月後に不審に思った大家か不動産屋が合鍵で入ってきて全裸で白骨化した私の遺体を発見して警察を呼ぶ光景が目に浮かぶ。
大家は無愛想なお婆ちゃんで、通りを挟んだ向かいの大豪邸に甥っ子と二人暮らし。
甥っ子はいい歳をして仕事もせずに叔母である大家の身の回りの世話をしながら高そうな服を着てスポーツカーを乗り回したり自由奔放にお金を浪費していると不動産屋から聞いた。
東京の一等地の大地主の家系に生まれ育てばそんな生活をしていても誰も咎めないのだろう。
東京の大学に合格して上京してきて独り暮らしを始めるも、サークルの新歓に始まり毎日のように打ち上げと称した飲み会に興じて記憶を飛ばして帰宅することもしばしばだった。
同期生をはじめとする未成年のサークルメンバーも飲酒をする中、罪悪感のようなものは微塵もなくなっていた。
きっとこれは私に下された天罰だろう。
◆ハッピー(ごきげん)
二ヶ月くらい前の事だった。
週末に目が覚めると黄色い帽子を被った見慣れない小人の人形が枕元に転がっていた。
目が覚めると同時にソイツが視界を塞いでいてビックリしたのを覚えている。
二日酔いの頭痛を抱えながら洗面台の前まで行き、鏡を見ると崩れた化粧の酷い顔が映っていた。
顔を洗うツモリで洗面台まできたものの、あまりに酷い現実に観念してシャワーを浴びるコトにした。
髪を洗い流して洗顔でメイクを落としている時に、断片的に前日の記憶が蘇ってきた。
アイツは私の帰りを待っていたかのように玄関の扉の前に立っていた。
普通なら気色悪がって捨てるか、捨てるまでしなくとも端っこの方に退けるところだろう。
あの日の私はご機嫌に酔っ払っていてソイツを家に上げたんだった。
◆ドーピー(おとぼけ)
酔いとは怖いもので普通なら絶対に家の中になんて持ち込まないような何処の誰が置いたかも分からない人形をすんなりと持って入り、挙げ句は枕元に置いて一緒に寝たのだから世話がない。
とは云え、その黄色い帽子の小人の人形を自宅に持ち込んだのにはもうひとつの理由があった。
言い訳には不充分な些細な理由だけど、もともと私の家にはコイツの仲間で紫の帽子を被った小人の人形があった。
その紫の帽子の人形の仲間だと云うのが酔っ払っていた私の警戒心や不信感を和らげた。
私の身の上に不思議な現象が起こり始めたのはこの黄色い帽子の小人を招き入れた頃からだったと思う。
洗濯物を干したまま登校した筈なのに帰宅してみると干していた筈の洗濯物が取り込まれていたのみならず綺麗に畳んで引き出しに収まっていたり食べっぱなしで出掛けたツモリが帰宅してみると洗い物が綺麗に食器棚に収まっていたり。
帰宅時はたいてい酔っ払っていて自分の思い違いだろうなどと思って深く気にはしていなかった。
きっと素面の私はまだしっかり者で炊事洗濯などもこなしているのだろうと楽観的に考えていた。
◆スリーピー(ねぼすけ)
緑の帽子を被った小人の人形がやって来たのはそれから丁度一週間後の週末だった。
例によって記憶もないほどに泥酔して帰宅した私は何の躊躇いもなくその人形を家に招き入れて紫帽の人形と黄色帽の人形の隣に並べて飾った。
上京したての頃、まだお酒の飲み方も分からずに酔っ払ってどうやってこの自宅アパートまで帰り着いたのかも思い出せない程だった頃に一度、アパートの鍵を失くして玄関のドアにもたれ掛かったまま朝まで眠っていたことがあった。
お隣さんが出掛ける玄関の音で目が覚めて、自分の玄関の前に散らかる鞄の中身で前日の状況を察した。
一緒に飲んでいた先輩か誰かにアパートの前まで送り届けてはもらったものの、鍵を見付けられずに鞄をひっくり返して中身を全部ぶちまけた挙げ句、鍵を見つけられずに諦めて玄関先で力尽きたのだろう。
私は玄関の前にばらまかれた鞄の中身をかき集めて鞄の中に収めたものの、やはり鍵は見当たらなかった。
緑の帽子を被った小人の人形が来てからは不思議な現象がエスカレートした。
朝起きるとトーストが焼けていてフライパンにはベーコンエッグが用意されていた。
私の起きる時間を見計らったかのようにコーヒーメーカーの電源が入り、顔を洗って着替えるとタイミング良く朝食の準備が調う日々が始まった。
酔っ払うと料理を始めるとか酔っ払った時の方がゲームのスコアが高いなどと云う話は別段珍しくもない。
この時点ではまだ、酔っ払って帰宅した私が自分のために翌日の朝食の準備を仕込んだのだろうと思っていた。
◆グランピー(おこりんぼ)
このアパートを借りる時に不動産屋から何か問題があったら直ぐ向かいに大家が住んでいるので直接相談するようにと云われていた。
不動産屋の云う「問題」と云うのは恐らく水漏れやガスが出ないなどの設備的な問題のことだろうと思っていた。
まさか私が酔っ払って鍵を失くしましたなどと云う相談は不動産屋の云う「問題」には含まれてはいなかっただろう。
アパートに入る術もなく酔い潰れて玄関先で朝を迎えた酷い格好のまま、私は向かいの大家の住む豪邸へと足を運んだ。
呼鈴を鳴らすと私の身長の倍ちかくありそうな大きな門が開き、足元から伸びる石畳の遥か先に立派な玄関が見えた。
左右に広がる日本庭園のような庭を横目に私は玄関へと進んだ。
玄関の脇にはガレージがあり、黒塗りのドイツ車や真っ赤なイタリア車の他にも数台の高級車が並んでいた。
中にはカバーが掛けられていて長いこと放置されているであろう車もあった。
玄関前まで辿り着きもうひとつの呼鈴を押してはみたけど何の反応もなかった。
呼鈴にはインターホンが付いているけど、恐らく入口の門が自動で開いたことから考えると、中の大家は防犯カメラ等で既に私の姿を確認しているのだろう。
しばらくすると磨りガラス越しに無愛想な大家が玄関の引戸を開けに近付いてくるのが見えた。
ようやく引戸を開けてもらい玄関先でなるべく手短に事情を話して鍵を借りようとお願いをしたところ、大家は返事のひとつもせずに私に背を向けて階段の脇にある観音扉を開くと中に収まっている金庫を開けた。
おそらくアパートの私の部屋の鍵と思われる鍵を手に取ると奥の方へと姿を消した。
奥の方で大家とその甥っ子が口論を始めたようで、玄関先で待たされている私には甥っ子の方の声しか聞こえなかったけど、叔母と甥っ子との二人暮らしじゃギクシャクするのも仕方ないのかも知れないなどと考えながら立ち尽くしていた。
緑帽の小人の来た次の週末、茶色い帽子に赤いシャツを着た小人がやって来た。
この頃にはアパートで日々繰り返される不思議な現象が私自身の仕業ではない事をうっすらと認め始めていた。
ホロ酔いで帰宅した時にテーブルにビーフストロガノフが用意されていた。
私が自分で食材を買い集めたとは到底考えられなかったしロシア料理を作ろうなどと云う発想すらなかったから。
そこで私の中で新たな仮説が浮上した。
子供の頃に、眠ってる間に小人が靴を作る靴屋の童話を読んで聞かせてもらったことがあったのを思い出した。
この一連の現象はきっと毎週一体ずつ増えていく小人の人形の仕業だろうと考えるようになっていた。
現実味のない話ではあるけど、小人の仕業だと仮定すると全ての辻褄が合った。
現に毎日のように身に覚えのない炊事洗濯が済まされているのだから、その事実事態が現実味のない話であって、その現実味のない事実に現実味のない説明しか出来ないのはむしろ必然ではないかとすら思っていた。
赤いシャツの小人に至っては、私が玄関からアパートの中に上げた記憶すらなかった。
週末の朝目覚めると三体の小人の人形が並んでいた棚に当り前のような顔をしてその四体目の赤いシャツの小人の人形は並んでいた。
どのくらい待たされただろうか。
家の中だと云うのにサングラスを掛けて高そうなシャツの上から派手なジャケットを羽織った青年が出て来た。
不動産屋から聞いていたお金持ちの御曹司のイメージ通りのなりをしていたのでこれが
ところが彼は廊下を横切って別の部屋に入ったかと思うとまた直ぐに姿を表した。
片手に冷えた麦茶の入ったコップの乗ったお盆を持ち、もう片方の手には座布団が抱えられていた。
スタスタと真っ直ぐに私の前までくると座布団を上がり
「お恥ずかしい所をお見せしてすみませんでした」
そう云って私に軽く会釈をした後、これまた高そうな白い革靴を履き私の脇をすり抜けて玄関の扉を開いた。
「15分くらいで戻りますのでゆっくりしていてください」
前評判や見た目に似つかわしくない丁寧な態度で私に座るようにと促した後、ポケットに手を突っ込んで中の鍵を確かめるかのようにジャラジャラと音を立てながらく彼は出て行ってしまった。
◆ドック(先生)、
眼鏡を掛けたオレンジ色のシャツの小人の人形が来る頃には私の仮説は確信へと変わっていた。
けど、童話でもおとぎ話でもこの手の話は他言しないのがセオリーだ。
誰かに話した途端に今までの優遇が全て失くなってしまうような気がして私は小人の人形の話は誰にもしていなかった。
仮に誰かに話したところで信じてもらえる筈もないと思っていたし、私がこの現象を誰かに話す理由はひとつもなかった。
私が出掛けていたり眠ったりしている間にこの小人の人形達が家事をこなしている姿は一目見てみたいとは思ったけど、これもまた同じ理由で見たいと云う願望を圧し殺すように努めていた。
この小人の人形の仲間は全部で七人いる筈で、既に私のアパートには五体の人形が揃っていた。
週末毎に一体づつ増えると云うこのペースだと、二週間後には小人の人形全員が勢揃いすることになる。
七人の小人が揃ってしまった後はどうなるのだろうか。
残りの小人の人形が後二体になった頃から私はそんな不安に刈られるようになり始めていた。
七体の人形が揃ってしまったら今の生活が終わってしまうのではないかと。
それならば残りの二体は一週間毎と云わずに、もっと後に来て欲しいとすら願った。
あれは一昨日の夜の事だったと思う。
翌日に授業もあり、記憶を飛ばすほどには飲まずにホロ酔いで帰宅してシャワーを浴びていた。
ユニットバスの中にドン!と云う大きな音が響きビックリしてシャワーを止めた。
恐る恐る出入口のドアを開いて部屋の中を見渡そうとしたが、ドアが開かない。
脱衣場に置いてあった何かが倒れてユニットバスのドアを塞ぐか突っかえ棒のように引っ掛かったかしてドアが開かない状態になってしまっていた。
災害時に被災者が救出される時の生存率は四八時間を過ぎると一気に下がると聞いたことがあった。
私は一昨日の夜にこのユニットバスに閉じ込められてしまい一晩目は湯槽に浸かったまま眠ったり朝になると小窓から射し込む外の明かりから時間を把握したりしながら丸二晩このユニットバスで過ごした。
今日の陽が暮れると魔の四八時間が経過するコトになる。
昨日までは部屋から携帯電話の鳴る音が何度となく聞こえたけど、今日はもう誰からも電話も来ない。
電話がかかって来ていないのではなくバッテリーの充電が切れたのかもしれない。
小中学生なら無断欠席なんかしたら担任の先生がすっ飛んで来たり授業のノートを見せに来てくれるようなクラスメートもいたかも知れない。
さすがに大学生ともなるといい大人だ。
一日や二日、大学をサボったり電話に出なかったりした程度では誰も心配なんてしてくれないだろう。
ふと冷静になってみると、餓死するまで残り一日足らずの筈なのに私は全く衰弱していない。
昨日は丸一日何も食べていなかったのでお腹は空いてはいるものの、閉じ込められたのが幸か不幸かユニットバスだったお陰で飲料水には事欠かないしトイレの心配もない。
素っ裸であることを除けば一日や二日で餓死するような不自由な状況でもない事に気が付いた。
◆バッシュフル(てれすけ)
「俺のは燃費が悪いから叔母ちゃんの車を借りるよ」
ハッキリとは聞き取れなかったけど、最初に耳に入ってきた甥っ子の台詞はそんな内容だったと思う。
「だから叔母ちゃんはダメなんだってば、いつも云ってるでしょ?」
大家の声が全く聞こえては来ないので会話の内容までは把握出来ないものの、叔母である大家の方が甥っ子から何かをたしなめられているようなのは
そして段々と甥っ子の声が大きくなってきた。
「腐っても鯛って云うでしょ?あの車は動かなくても寝かせてるだけで価値が上がるんだよ!良い値段になった頃合いを見計らって売るからって、何度も云ってるでしょ」
どうやらガレージに停めっ放しになっている車のことで何か咎められたのだろう。
「だーかーらー、人を待たせてるんでしょ?今じゃなくても良いでしょそれは」
待たされている「人」と云うのはおそらく私のことだろう。
会話の中で何度となく玄関で待たされている私のことを持ち出して話を終わらせようとしている雰囲気は伝わってきていた。
緑の帽子にオレンジ色の服の小人の人形と黄色い帽子にオレンジ色の服の人形との残りの小人の人形二体は私の思惑とは裏腹に翌週と翌々週の週末に予測通りにやって来た。
残りの二体はどっちもオレンジの服を着ていたので、どっちが先でどっちが後だったかなんて覚えていない。
アコーディオンのような蛇腹の楽器を持った方が先だったと思う。
逆に、その二体の人形が来るのは予測と云うよりは予定と云った方がしっくりくるくらい私にとっては当り前の出来事だった。
そして想定してはいたものの、やはり七体の小人の人形が揃った日から、それまで二ヶ月近くの間続いていた不思議な現象は途絶えてしまった。
先週末のコトだった。
その日はサークルの飲み会でも七体目の小人の人形が来て人形が勢揃いしてしまうことが気掛かりで酔うに酔えなかった。
みんなはその後カラオケに雪崩れ込んでいったけど、私は一足先においとまをした。
飲んではいたけど足取りはしっかりしていて、自宅アパートの玄関が見えると同時に玄関のドアの下にオレンジ色の物体が置かれているのが見えた。
まだ距離があって、それが小人の人形だと目では確認出来ない内から私にはそれが最後の小人の人形だと云うことは理解していた。
そいつはチェロかコントラバスかをウッドベースのように立てて、私にお帰りなさいの歌を歌って待っているかのように見えた。
玄関前まで着くと私はその最後の小人の人形を拾い上げて部屋に入った。
いつもは真っ暗な部屋にその日はうっすらと明かりが灯っていた。
七本の蝋燭が刺さったアップルパイがテーブルの上に用意されていて、そのアップルパイを囲むように六体の小人の人形が輪になっていた。
そして七体目の小人の人形が入るスペースも空けてあったので、私は手に持っていた新入りのオレンジ色の小人の人形をそのスペースに置いた。
蝋燭の明かりに照らされた七体の小人の人形の顔が炎の揺めきで生きているようにも見えてきた。
そして何かの儀式でもしているかの様に見えてきた。
それでもしばらくの間、私はその光景を眺めていた。
丸二日間このユニットバスに閉じ込められて何も食べずに丸裸で過ごしていたわりには私は元気だった。
寒くなるとバスタブに張ったお湯に浸かり暖を取った。
陽も暮れはじめて小窓から射し込む明かりが赤みを帯びてきた頃、
私はまたバスタブに浸かろうと追い焚きのボタンを押そうとした、その瞬間だった。
玄関の鍵穴に何かを差し込んだカチャカチャっと云う音が聞こえたかと思うと、あっと云う間に鍵は開いてしまった。
玄関のドアが開く音がして、すぐに誰かが入ってくる気配を感じた。
空き巣か?
あんなに手際よく鍵を開けてなんの躊躇もなく上がり込んで来て、きっと常習犯なのだろう。
ふと私は今の状況を俯瞰して自分がとてつもなく危険な立場だと気付き、急に怖くなった。
たまたま空き巣に入ったアパートの一室で、中に丸裸の若い女性が居たなら、どう転がっても最悪の結果にしかならない。
警察が駆け込んで来る頃には私は惨殺死体になっているか、口止めに殺されることはなかったとしても乱暴されて心身ともにズタズタに傷付いた状態になっているのは間違いない。
◆スニージー(くしゃみ)
七人の小人が出てくるお話はどんな筋書きだっただろう?
横たわる姫の周りを小人達がハイホーハイホー歌いながら踊ったり楽器を演奏しているイメージしかなく、話の内容を思い出せない。
横たわっていた姫は眠っていたのか?死んでいたのか?
死んでいたとするならその周囲りを歌ったり踊ったりしている小人達は何をそんなに楽しそうに悦んでいたのだろう。
そもそも姫は何処から来たんだ?
うろ覚えだけど、魔女に呪いをかけられた話がそれか?
待てよ!姫は毒林檎を食べたんじゃなかったかしら。
呪いの毒林檎を食べて眠らされたか殺されたかして、小人達に介抱されてたのか?
そう云えば、
私は小人達が儀式をしている時に囲んでいたアップルパイを食べた。
アップルパイ、林檎だな。
あのアップルパイを食べたことで何か呪いのようなものを掛けられたのかも知れない。
毒こそ入っていなかったのだろうけど、アレを食べた日から小人達の身の回りのお世話は途絶えて、数日後にはこのユニットバスに閉じ込められる始末。
もしかして、閉じ込めたのもあの小人達の仕業かも知れない。
ユニットバスに閉じ込めて餓死させる作戦で、それだけでは飽き足らず私が死ぬ前に酷い目に遇うように仕向ける目的で空き巣が入る筋書きまで書いたのかも知れない。
とにかく、あのアップルパイの呪いの所為で私は一昨日から自宅のユニットバスに裸で監禁されて、今からこの空き巣に酷いことをされた後、殺されてしまうのだろう。
それにしても寒い。
空き巣が家に入り込んで来るのがもう少し遅ければ今頃バスタブの湯加減が整っていた頃だろう。
このまま空き巣がアパートの中に居座ったなら、日が暮れてしまった時にユニットバスの電気が付けっぱなしになっていることに気付いて中に私がいることもバレてしまう。
それにしてもこの空き巣、いつまでこのアパートに居るツモリなんだろう。
空き巣なら空き巣らしく、手際よくさっさと金目の物を盗って出て行って欲しい。
玄関の鍵はあんなにすんなり開けたクセに金品を物色する手際はこの上なく遅い。
私は空き巣の様子を伺おうと耳を澄ませてみた。
微かに鼻唄を歌っているのが聞こえた。
いったい何をしているんだ?
よく聞くと食器や鍋の音が聞こえる。
この空き巣、他所のアパートの台所で料理していやがる!
気付くとホワイトソースを煮込んでいるような美味しそうな匂いがユニットバスにまで入ってきていた。
丸二日間、水以外は何も口にしていない私にこれは別な意味で拷問だ。
不意に私は、あろうことか、ユニットバスの中で、
声を出してくしゃみをしてしまった!
寒さに堪えきれず、くしゃみが出ると思った時には我慢して堪える猶予もなく「ヒックショ!」とくしゃみが出てしまった。
◆チャーミー(おうじ)
空き巣がお玉でも落としたのだろう。
台所からガシャンと云う音が聞こえて、その後足音が私のいるユニットバスへと近付いてきた。
空き巣なら人の気配に慌てて逃げ出せよ!
なんでこっちに歩いて来るんだよ!
もうお仕舞いだ、私の最期が一歩二歩と私に近付いてくる。
空き巣はユニットバスの出入口を塞いでいた何かを取り除き、ゆっくりとユニットバスの出入口のドアの取っ手を回した。
中から取っ手が回らないように押さえて抵抗しようかとも思ったけど諦めの方が大きくて、ゆっくりと回る取っ手をただ眺めていた。
取っ手を回した状態のまましばらくドアは閉まった状態だった。
見えない相手とにらめっこをするように私は出入口のドアが空くのを待つしかなかった。
空き巣の方もしばらくは開けるのを躊躇っていたようだったけど、意を決したかのように勢いよくドアを開いた。
初めて不動産屋の案内でこのアパートを見学に来た時、行き帰りの車を運転する不動産屋は甥っ子の悪口を云っていた。
大地主の大富豪の家系に生まれたと云うだけで仕事もせずに一生遊んで暮らせる甥っ子をやっかんでいるかのようにも聞こえたし、何かそれ以上の恨みでも抱えていて目の敵にしているかのようにすら思えた。
あんな風に仕事もせずに一生遊んで暮らせていても、あれでは人間終わっている、ちっとも羨ましいなんて思わないなどと負け惜しみのような強がりも云っていた。
普通なら車の中で見学に向かっている物件の説明や近隣の情報などを聞かせてくれる時間なのではないだろうか。
強制的に私情を挟んだ愚痴を聞かされているような気分で帰り道に至っては相槌も打たずに私は聞き流していた。
昔から私は天の邪鬼で人の話を常に斜めから聞く癖があり、話の裏を探ってみたり言葉の上っ面を鵜呑みにせずにその真意を見抜こうとする習性があった。
本心と云うものは大にして何と云っているかではなく何をしているかで見抜けると思っている。
良いことばかり並べてご機嫌を取っておきながら実際には自分の好き勝手な行動しか取っていないとか、好きだの愛してるだのと軽々しく口にするのにちっとも大事にしてくれなかったりと。
出入口のドアが勢いよく開くとそこには見覚えのある顔があった。
私の方はと云えば、もはや最悪の結果しか残されていないと覚悟を決めていたので、素っ裸のまま何処も隠すことなく仁王立ちをしていた。
煮て喰うなり焼いて喰うなり好きにして殺してくれ。
出来ることならなるべく早く済ませてくれ。
そんな風に思っていたので、出入口のドアを開いた空き巣の顔を見て拍子抜けした。
え?
と小さな声を漏らしたきり、甥っ子は目の前で固まって立ち尽くしていた。
◆スノー(しらゆき)
実は私の中で彼の心象はそんなに悪いものではなくなっていた。
確かに不動産屋からの前情報通り成金趣味の服装をしていて一見中身のない薄っぺらなダメ男かと直感はしたけど、叔母である大家との会話から堅実なものの考え方をする人だと感じ取れたし、玄関での私への対応から誠実さも垣間見れて軽く好印象すら抱き始めていた。
車の燃費を気にしたり計画的に付加価値の付く車を所有しているなど、決して奔放に散財しているわけではないなと云う印象に変わっていた。
おそらく不動産屋に煙たがられている理由は大家の所有している一等地のお金絡みの話だろう。
不動産屋は土地の権利者である老いた大家から安く土地を買い上げたり借地にしても上手いこと云いくるめて価格を下げようとしているところ、側近のように傍にいるしっかり者の甥っ子が安く買い叩かれるのを阻止していたりして不動産屋からしたら目の上のたんこぶのような存在なのだろう。
私の想像の域を脱しない話ではあるけど、そう考えると全てしっくりと府に落ちる。
大家が亡くなった後、土地や財産等、遺産を相続するのはおそらくこの甥っ子だろう。
他にも親族がいて財産分与するにしても相当な取り分をこの甥っ子は受け継ぐのではないだろうか。
こんな所でストーカー紛いの事件を起こしてしまったらこの男の薔薇色の人生は全部水の泡だ。
すでにこの時点でこの男は不法侵入を犯しているし、今から私に対して何かすれば更に暴漢罪や殺人罪が上乗せされて、約束されていた人生を失うのみならず実刑を喰らうことになるだろう。
今私が大声を上げて助けを求めたなら形勢逆転の好機、渾身の一撃でこのストーカー男を奈落の底まで陥れることができる。
と、普通なら考えるところなのかも知れない。
彼のしていることは法律的には犯罪だし常識的に見たなら異常な行為に他ならない。
けど、常日頃から法律だの常識だのなんてクソ喰らえだと思っている私にはストーカー行為云々なんてどうでも良かった。
私の指標で彼の犯して来た罪を整理してみる。
動物の雄が求愛行為で雌の見ている前で踊ったり歌ったり身体の柄をアピールしたり、時には自分の強さ雄々しさを認めて貰おうと雄同士で決闘をしたりする。
そして意中の雌のお眼鏡に適う雄はその雌を射止めて獲得する事が出来る。
世間の常識なんてクソ喰らえだ!
私は私の本能のままに従って選択をする人間だ。
彼の犯して来た罪、
まず、彼は二ヶ月間に及んで私のアパートに上がり込み炊事や洗濯、果てには料理までしてくれていた。
私の学生生活の妨げになることは全く何もなく、尽くし続けてくれていた。
そして彼は毎週一体づつ小人の人形を送り込み、それらの不思議な事柄は小人達の仕業だと思わせる演出をして私を楽しませ続けてくれていた。
そのおかげで私は大いに楽しい夢を見させてもらった。
そして彼の作る料理は申し分無い美味しさだった。
この二ヶ月間、私は彼の提供してくれた全てに魅せられていた。
一般的で常識的な感覚だと彼の行為は行き過ぎていて、彼の感情もまた偏っていて歪んでいる異常なものだと云われるのだろう。
分かってる、外野は黙っておけ!
これは私と彼との二人の問題だ。
彼の求愛行為は私の心臓を射抜いた。
その証拠に私の動物的本能は「YES」としか云っていない。
驚きと絶望の入り交じった表情の彼に私は歩み寄って、抱きついた。
彼もゆっくりと私の後ろに手を回して私の腰を抱き寄せ返してくれた。
その時に私は思い出した、あの物語の結末を。
助けに現れた白馬の王子と末永く幸せに暮らすんだった!
私は目の前にあった彼の耳朶に軽く噛みついた。
ドーピー 弥生 @yayoi0319
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