57.お父様もセンシティヴ


 後日、月彦つきひこのお母様が或る小父様おじさまと一緒に御来店ごらいてん

 迎える月彦。驚きの声。


「いらっしゃいませ……お父さん!?」


 お父さん。

 単身赴任先で動物の剝製はくせいを買い求め、自室に並べてえつる父。

 強い父。裁く父。

 そんなイメージとは裏腹な、常識という名の麻酔銃を振りかざさない小柄で華奢きゃしゃな小父様です。もの珍しそうに男性化粧品の棚に吸い寄せられたかと思うと、次には店頭のお菓子に目移り。


「勝手にウロウロなさらないで」


 奥様にたしなめられて、あっさり謝る旦那様。

 よく見ると目許めもとが月彦と瓜ふたつ。

 この人が月彦の父。


「あなたが月子つきこの、否、月彦のパートナーの日芽子ひめこさんですね。はじめまして。月彦の父です。このたびは、月彦をくださって、ありがとうございました。時差ボケで不眠必至なんですが、いいくすり、ありませんかね」


 長い滞空時間に疲れた様子のお父様。ジェットラグ症候群の症状を訴えておられます。当店では一択の睡眠改善薬を提示する私。


「ジフェンヒドラミンか。デパスとか、マイスリーとか、ハルシオンとか、売っていないの?」


 睡眠薬の名を列挙するお父様。それらは処方箋薬局の領域です。うっかり「息子さんが持っておられるかも」と言いかけて、めました。


 月彦も私も、最近は自殺ごっこをする気にならず、彼が睡眠薬の在庫をどれだけ確保しているのか知りません。仕事で適度な疲労感と充実感を得て、自然な眠りに就く私たち。見違えて健康ですね。


 お父様。睡眠薬に詳しいことから察するに、神経質を持て余しておられます。

 かつての月彦も、そうでした。


「ジフェンヒドラミン、試してみよう。効かなくても文句は言いませんから」


 お父様は睡眠改善薬を一箱と、カフェインレスのドリンクをお買い上げ。

 お母様はポイントカードを提示後、本年も限定受注生産の『トキメキ❤フルール・コレクション』をご予約。

 ありがとうございます。また、お越しくださいませ。




 更に後日、私の両親と妹がそろって御来店ごらいてん


「日芽子、元気そうで何よりだ」

「一度、家族水入らずで食事なんてしましょうよ」

「お姉ちゃんと彼氏さんの公休日、どうなっているの?」


 月彦と私は同性です。

 婚姻届を出せない二千十六年の日本国の片隅に生きております。

 チェルシー先輩がワールドツアー真最中の国の何処かならば、法律に許されて正式に結ばれることも可能ですが、そんなことをしなくても両親は、月彦の見事なアクターぶりに涙して、正式なと認識しておりました。


 月彦と私のアイデンティティが認証されているのです。

 よろこばしいことです。幸せな話です。


「来週の私たちは、火・木・土曜が休日なの」

「了解。お姉ちゃんの彼氏さん、今日も美人だね。食事の席には、私の美人じゃない彼氏も来るから、よろしくね」


 七菜子ななこは順調に異性愛を羽包はぐくんでおります。

 私に妹が居て良かったと心底、思いました。もし私が、ひとり娘ならば、種の存続という基本的概念に当てめられて、押し付けられた異性愛へ一直線まっしぐら。その道から逃れて同性愛を羽包はぐくむことが困難でしょう。


「お仕事の邪魔になってはいけないわね。じゃあね、ヒメちゃん」


 お父さんとお母さんは、店舗を出てからも、名残り惜しそうに私を見て手を振るのでした。随分ずいぶん、愛され過ぎたと思います。

 重い愛。

 それを負担に思ったこともありましたが、人は愛なくしては生きていけない。


 私は、櫻井家さくらいけの娘として生まれたことが幸せなのです。

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