58.私たちはリテラチュア


「全然、連絡くださらないんだもの。心配しちゃった」


 見知らぬ男子高校生に、そんなことを言われました。お取り寄せのお客様に、ご連絡を忘れたかしら。そう思ってしまった自分が情けのうございます。


 一足遅れて来店なさった老婦人の姿を見て、やっと気付きました。

 ミロクです。


 とある平日の夕刻に店舗に現れた姿は美少年で、あの三つ編みが鬼のように可愛かわいらしかった美少女の影はありません。彼は少女のコスプレをしていた。それが事実でしょうけれど、私の目には今、彼が自分のアイデンティティとは程遠い男子高校生を模しているようにしか見えないのです。


 ライヴハウスの照明の中で、彼は美少女でした。

 一点の瑕疵かしも無い美少女だったのです。


「アタシの男の子の姿、そんなに興味深い?」


 じっと見凝みつめすぎたようです。私はこの日、初めてミロク少年の声を聴きました。あんなに筆談にこだわらなくても良かったのでは。そう思える高い声です。


御免ゴメンなさい。ミロクくんが、いいえ、ミロクちゃんが変装しているように見えてしまったの。あなたの本当の人格すがたは、あのライヴハウスの中に在ったのだわ」


 月彦つきひこはカウンセリング化粧品の棚の前で、老婦人と会話を交わしていました。夏の学生服を着た色白のミロクより更に色白な老婦人は、一番白いファンデーションを購入して、『トキメキ❤フルール・コレクション』を孫へのプレゼントと言い、こっそりご予約なさったそうです。ミロクには祖母という、本当の自分を肯定する理解者が居るのでした。


 老婦人に憧れつつ、老婦人と接する機会の少ない私。

 少年と老婦人の姿が文學的ブンガクテキに美しく映るのは、何故かしら。


 私の祖父母は既に他界していました。一緒に暮らす日々は無く、お年玉をくれる人という印象しかありません。けれど、優しいをしていたことは確かです。

 おじいちゃん、おばあちゃんという人が生きているあいだに、もっと会話しておけば良かったと最近、とみに残念に思います。


 少年少女から両親という道を通って祖父母に成った過程。

 そのサイクルを理解して受け入れるヒントを、誰かに教えて欲しかった。

 けれど、それは教えられるものではないでしょう。

 成長する過程で悟るべき領域です。


 私は成長途上の雛鳥ひなどりとして考えています。

 もし、私が母親に成ったら。

 月彦にするみたいに添い寝して、聖母マリアのように羽包はぐくむかしら。

 そして、老婦人に感じた後光を、母で在る自分に感じるのかもしれませんね。




「おばあちゃまと沢山たくさん、会話したよ。楽しかった」

「どんな会話?」


 私たちは晩餐の席で、白いごはんと青魚、みぞれに卵焼きを食べながら話していました。月彦はサバの塩焼きに箸を突き刺して、真横に引きながら答えます。


「真っ白で美しかったであろう文學者ブンガクシャの死に顔に想いを馳せて、おばあちゃまと一緒にファンデーションを選んだ。昭和四十五年、三島みしま由紀夫ゆきおが割腹自殺。姉君的存在だったもり茉莉まりの反応は如何いかに。僕らが生まれる前の文學界ブンガクカイの話さ。興味深いね」


 老婦人が文學的ブンガクテキに美しいという印象を私に与えるのは、彼女が歩んできた道に文學ブンガクがあったせいでしょうか。

 月彦は、やたら難しい三島文学と、昭和三十年代に書かれたとは思えないもり茉莉まりのボーイズラブを好んで読んでいたことがありました。


茉莉まり姉様ねえさまは何て言ったの?」

「三島由紀夫は正常です。彼を異常とめ付ける、あなたたちマスコミこそ異常です。そんな趣旨の御発言ごはつげんさ」


 三島由紀夫と森茉莉の関係性は、ミロクと祖母の関係性に似ています。

 真実ほんとうの理解者の気持ち。その強さを感じるのです。


「私たちを異常だとめ付ける人こそ異常です」


 そう言える強さをそなえて生きたい。

 生きるための栄養を摂ることを恐れず、すなわち生きることを怖がらず、

 私たちは生きていきたい。


 人生を楽しみたいものですね。




随分ずいぶん、哲学的な会話をしているんだね」


 私はカウンセリングに通っていました。

 園田そのだ医師は、私たちの人生談義を哲学的と言いました。


「月彦くんと、ごはんを食べながら、どんな話をするんだろう?」


 青魚の腹を引き裂きながら、三島由紀夫の割腹自殺を語り合ったエピソードを披露してみました。最近の私は何でも、よく食べて、よく話すのです。

 健康そのもの。これを真に健康な状態と言うのですね。二十六歳にして、初めて知りました。


「先生。哲学的フィロソフィーじゃなくて、文學的リテラチュアなのです、きっと」

「僕にとっては同じようなものだけどね。そうだ。キミたちの奇蹟きせき的な回復過程を論文にまとめることを許して頂けるだろうか」


 月彦と私をモチーフに、医学論文を創作されたいもよう。

 光栄と喜ぶべきでしょうか。恥さらしではないですか。


日芽子ひめこという名前が出るのはイヤです」


 基本的ですが、厭なことは厭と言えるようになりました。


「それは勿論もちろん。イニシアルでぼかすことにしよう」


 私は承諾しました。月彦も後日、同じことをかれて、同じ条件で承諾したそうです。まるで私たちが主人公の小説が出来上がるかのような、ワクワク感がありました。




 数ヶ月後、園田医師が執筆した哲学的フィロソフィーかつ文學的リテラチュアな論文は、非常に興味深いものでした。てっきり『患者T』と『患者H』の体重と検査値の変化をグラフで示す系統の、数字に偏ったものになると思っていましたのに、良い意味で予想外の仕上がりです。


 園田医師があらわした論文の表題タイトルは『アノレキシアの百合』でした。

 論文には、私の知り得なかった月彦の姿と、我を失い自分を客観視することのかなわなかった期間の私の姿までもが、明確に書き記されているのです。


 真実を最後に、この物語を締めくくりましょう。




 剝製はくせい展示場の趣きのお父様の部屋の押し入れから、電子ピアノが発掘されました。それを玩具に与えられた私は、昔におぼえたメロディーを思い出して弾いています。月彦は横に居て、気持ちを寄り添わせるように歌いました。


 ♪ミレミレミシレドラ♪


 私たちは幸せな少年少女なのです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る