25.アノレキシアの百合が交わる
人生にリセットが効くならば、
あなたと出逢う前の私へ、
すべてをリセットしたいものです。
あなたへの想いが、こんなにも狂おしくなることを、
出逢ったころに誰が予測できたでしょう。
私たちは自律神経失調症で、交感神経と副交感神経が
お店に遊びに来てくれたこと、本当に嬉しかったのです。
店員の私に、口紅とマニキュアを予約した、あなた。
そのころの深入りしない関係性から、どれだけ深化したでしょう。
あなたから
「
呼ぶ声が聴こえます。許されるなら、もう一度、あなたの横に咲く花に成り、あなたの牙に
心と身体の行き場所を失ったかのような私をたすけて……。
見慣れぬ天井が見えます。
私は、
「良かった。あと一分、目醒めるのが遅かったら、先輩が救急車を呼んでいたよ」
「……
「先輩の楽屋だよ」
端末を手にしたチェルシー先輩が、明る過ぎる照明の
「無理をして起き上がっちゃ駄目よ。眠っておいでなさい」
久し振りに乗った地下鉄に、神経を揺さ振られたもようです。
「
思わず
「いつも暗い部屋に居るものね。先輩、電気を消してくれない?」
月彦が先輩に頼みました。
部屋の照明は落とされ、天井はブラック・コーヒーのような色に変わり、
夏に
こんなはずではありませんでした。
仕事を持ち、推売コンクールで一位に成るほど頑張っていたのです。
それは、ストイックな自己を履き違えた結果でしたか。
闇の中に伝う涙が見えたのでしょう。
月彦は
「じゃあ、出番だから行くけれど、本当の本当に、お医者さんを呼ばなくても大丈夫?」
「大丈夫さ。こういうとき、どうすればいいのか分かっているから」
聴覚に扉の閉まる音。私と月彦は取り残されて、ふたりきり。
「日芽子さんが僕にしてくれたこと」
月彦は闇に慣れた瞳で器用にトフィソパムの殻を
お母様が持たせてくださったローズティーで、白い錠剤を呑み干します。
「疑問だった。やけに安定剤が早く減るんだ。横取りされていたなんてね。日芽子さん、医療従事者なのに、お茶目な薬事法違反をやってのけるんだから驚くよ」
仕方なかったのです。
熱心に私の帰りを待つ月彦。休日は飽きもせず、べったりとくっついて自由を与えず、診療所に行く時間の隙間さえ持たせてくれなかったのですもの。
私は当時の束縛を怒っていません。
そう認識して、いとおしいのです。
私は月彦に
それは調教された獣の心理ですか。
「月彦くん、私を捨てないでください」
今や救いを求めて、すがりつくのは私です。
世話を看ていたはずの王子に世話を焼かれる私。
「捨てるものか。大好きだよ、日芽子さん」
私たちは、互いを求めました。
不完全な自分が完全に成るピースではなく、不完全を保持するための、不完全な形態を崩さずにいられる
「先輩の楽屋は豪華ね」
楽屋にダブルベッドが設置されているなんて妙な話です。
ロココ調の家具が並び、壁面にはルノアール風の人物画。
「この会場ならではのスイートな楽屋だってさ。先輩、コレクション終了後にシャワーして、うちあげ終了後は即、熟睡したいらしい。飲酒運転に厳しい御時世、酒気が抜けるまで眠るために、奮発したんじゃないかな」
私たちは、うちあげ付きのオータム・コレクションに招かれていたのです。
ショーは既に開演しているでしょうか。会場の音は、まったく聴こえません。
「月彦くん、先輩の晴れの舞台、観に行ったら? 私なら大丈夫よ」
ひとりで待っているから。そう言う私の唇を唇で塞ぐ月彦の顔は、間近で見ると、その
「こういうことをするのは
そうじゃない。
私たちは深く愛し合ったとて、何をも生まない生命体。
女の子同士。永遠の
栄養失調の百合たちは、その細い身体を抱き合わせることで神経を安定させ、お互いの心の水となり肥料となり、つつがなく愛を通わせるのです。
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