26.血塗られた、お遊び


 愛し合った後は、おなかが空きました。

 ローマ時代の貴族が、スポーツのように身体を交わらせた挙句あげく、積極的に堕胎して、こどもをでず、豪華絢爛ごうかけんらんな食事をむさぼっては吐き、また貪っていたというのは本当の話でしょうか。


 本当だとしましたら、本能に忠実な至極しごく、人間らしい娯楽のまっとうですね。

 ストイックの欠片かけらもありません。

 何てふしだらな、けれどもたくましい生き方でしょう。


「このサンドイッチは特別あつらえさ。バターも卵もマーガリンも使っていない。パンも糖質オフ。ひと切れ推定五十キロカロリー。僕は一食三百キロカロリーまで摂れるようになったんだ。進歩したと思わない?」


 数ヶ月前、プロテインドリンク一食分の百六十キロカロリーを恐怖していた月彦つきひこ。三百キロカロリーを許せるなんて、目覚ましい進化です。


「マーガリンは血管を固くするトランス脂肪酸を多く含むから、食べたくないよ。アメリカではトランス脂肪酸のみならず、ベンゾジアゼピン系向精神薬も取り締まりの対象だ。僕たち、呑気な国に生まれて良かったよね」


 月彦はリストカットで救急搬送以降、医師の処方どおり、生真面目きまじめに向精神薬を服用しておりました。その効果でしょうか。おしとやかと言えるほどに落ち着いて、自殺ごっこをすることなく、破滅的な行為に身を滅ぼすことなく、穏やかに三十七キロを保っていました。


 私は月彦のお母様お手製のヘルシーなサンドイッチを食べながら、時代とマスメディアが精神に及ぼす情報の危険を打ち明けます。


「脂肪のかたまりが美しいと讃辞さんじされた時代からは考えられないぐらい、現代日本には礼讃らいさん文化が蔓延まんえんしているわ。ドラッグストアも、そうよ。メタボリックとそそのかし、痩身そうしんであることが美徳だと思わせる。

 棚に設えられた小さいスクリーンも、店内のスピーカーも、高血圧・高血糖・高脂血症への警鐘を鳴らし続け、その音は成長途上の少女たちの耳に入り、彼女らは塾通いのお供に、脂肪を落とす特定保健用のドリンクを買い求め、やはりゼロカロリーゼリーを好み、せていく快楽に浸りながら、未来へ向かうの」

「そうだね。ドラッグストアはダイエッターの宝箱。僕は今でも、そう思うよ。腹部の脂肪を落とす漢方、本当に効くの?」

「効くわよ。下剤ほどではないけれど、お腹を緩くする効果が期待できるの。しょうによって、効いたり効かなかったりするから、期待できるという表現を使うのよ」

「証って何?」


 月彦と私は、三切れ目のサンドイッチに、同時に手を伸ばしました。

 触れ合った指先の冷たい感触を好もしく思います。


「大きく分けて実証じっしょう虚証きょしょうの、ふたつに分類される。実証は体力がみなぎっている人。赤ら顔で体温が高くて筋肉質で疲れ知らず」

「僕の周囲には、あまり居ない人種だ。それで、もうひとつの虚証は?」

「虚証は体力が無い人。蒼白あおじろい顔で体温が低くて筋肉が少なくて、すぐに疲れる」

日芽子ひめこさんみたいだ。僕も、そうだね。冷たい指先だ。血液が少ないのだろうか」


 月彦は私の話に熱心に耳を傾け、相槌あいづちを打ち、質問を挟みます。


「血液の巡りが悪いの。虚証は往々にして貧血気味だから、血が淡いとも言える」

「そうか。エリザベートが、がっかりするね。実証の乙女を集めて、濃密な若返りのエキスを作るべきだ」


 乙女の血液には若返りの作用があると信じて、殺人鬼に変貌して血液を搾取した伯爵夫人・エリザベート。その血塗られた歴史を、月彦は詳しく知っていました。


「乙女の血液を搾り取って、溜まった血液の浴槽に身を沈めることで、アンチ・エイジングを試みただなんて凄まじいね。トランシルヴァニアに住んでいたらしい。ドラキュラ伝説は、その地方発祥だ。僕も今夜はドラキュラだ。日芽子さん、美味おいしかったよ」


 規定量のサンドイッチを食べ終えた私たちは、さて、何処へ向かって生きていけばいいのでしょう。


「私、サンドイッチを六切れ、食べてしまったわ。月彦くん、どうしたらいい? 食べ過ぎたかしら?」


 ストイックな自己管理の果て、固定観念のつるに足を取られたアノレキシアの心は食後、意味不明の罪悪感をもたらすのです。

 今更、月彦の気持ちが分かりました。僅かのレタスとトマトとキュウリでさえ、不安の種に成るアノレキシアの根の深さ。不安の蔓はなく伸びて、私を窒息させようとします。


「どうもしなくていいよ。そのままで。たまに今みたいに、はっちゃけていればいいんじゃ……わぁ! チェルシー先輩からメールだ。うちあげ会場はレストランを貸し切ったわよ。あなたたちも、いらっしゃいな」


 マナーモードの端末の震えに驚く月彦は、『トキメキ❤フルール・コレクション』に瞳を輝かせたころと同じ。


 私は、そんな彼が、いとおしい。

 大好きで大好きで、たまらないのです。

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