14.トラブルの始まり


 いつもどおり、お母様の手作りの朝食を摂り、お昼休憩を回す職場に出勤しますと、午后ひるの省エネ営業の場が緊迫していました。


 何が起こったと言うのでしょう。店長は難しい顔をして、早番のアルバイトさんは何処か申し訳なさそうに口をすぼめていました。


「おはようございます」

「おはよう。櫻井さくらいさんが来たということは、もうお昼か。食事休憩、行っておいで」


 早番の学生アルバイトの女の子は、頭を下げて、お昼休憩に行きました。


「申し訳ございません」


 彼女の謝罪の意味を店長が明かします。


「凡ミスだよ。二重打ち。納品しながらレジを見ていて忙しかった。言い訳にならないよね。千九百八十円の誤差が出ている」


 電子ジャーナルで調べられた様子です。レジにはPCパソコンから出力した午前十時十三分のレシート履歴が、小さく切り取られ、貼られていました。


「お客様は整腸剤を一個ひとつしか買っていないが、二個ふたつ、買ったことになっている。つまり、千九百八十円の余剰金が出ている。ダブルスキャン。当店のミスだ。お客様が十一時三十分に問い合わせの電話をくださってね、それ以前に、お客様相談窓口にも電話されちゃって……参ったなぁ。オレのボーナスが危うい」


 店長、今、気にするべきは減給より、お客様への真摯しんしな対応だと思いますが。


「お怒りなんでしょうか?」

客相きゃくそうに電話入れるぐらいだから、怒っているんじゃない?」


 客相とは、お客様相談窓口の略語です。


「対応次第では始末書だ。オレの店長としての評価が下がる」


 減給の次は評価です。あぁ、哀しき社畜だなんて、店長様には言えません。いつのときにも自分の身が一番、可愛かわいいのは分かるのですが、論点は明確に。


「まず、余剰金を返金しましょう。もう一度、お客様に来店を促すようなことは言えません。ミスをした当店から出向くのが筋でしょう」

「そうだよね。何なら菓子折りの一箱を携えて、お客様の家を訪問し、玄関先で謝罪するべきだ。しかし、今日に限ってベテランが公休なんだよね」


 店長がベテランと呼ぶのは、三十代でダブルワーク中のキャリアウーマン。月彦つきひこの正体に勘付き、私の百合性を危惧しつつも、その件に関しては無言を貫き、フィギュアスケートの魅力を余すところなく語る瑞月みづき先輩です。


「こういうとき、ダブルワークしている人間、迷惑だなぁ。思わない?」


 同意を求められても困ります。

 そもそも、何年も働く従業員に正社員登用を持ち掛けない店長が、先輩にダブルワークをさせているのですよ。あなたの権限で瑞月先輩をバイトーハンから、せめて準社員の登録販売者に格上げする意向を見せてください。私は正社員など、お断りですが。一日八時間も働くと、月彦と遊ぶ時間が無くなってしまうのですもの。


 渦巻く感情を呑み込み、冷静に提案します。


「お客様の御自宅に返金に参りましょう。店長、私が店番を受け持ちます」

「駄目だ。オレが店を離れるわけにはいかない。そうだ、櫻井さんが行ってきてよ。ポイントカード会員様だから住所情報もある。遠からず近からず。電車を乗り継いで四十分ってところかな」


 店長はレジから、余剰の千九百八十円を封筒に納めました。

 そして、自分のポケットマネーで三千円を立て替えます。


「これで交通費と菓子折り、調達して行って来て。その前に、お客様のご都合を聞かないとなぁ」


 急に元気になって電話をかける店長。

 お客様から、十七時に届けに来てくださいと、時間を指定されます。


 十七時。私の勤務終了時間です。

 月彦と交わした約束を想います。

 定時で帰る。そう約束したのは私。


「十七時だったら遅番の学生が来るし丁度好ちょうどいい。もはや、ひとり欠けても運営できないほど人件費削減されて参ったなぁ。じゃあ櫻井さん、よろしく頼むよ。十五時三十分に退店して、何処かで菓子折りを買って、十七時にお客様に謝罪だよ」


 ひとり欠けたら運営できない。

 必要最小数で回しているシフトの現状を知る私に、断ると言う選択肢はありませんでした。

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