11.人生初めてのギグ


 幕間まくあい、舞台と客席のあいだには、幔幕まんまくが下ろされています。

 その向こうから試し弾きと言うのでしょうか。

 楽器の音が切れ切れに聴こえました。


 六角形の小部屋に戻るのかと思いきや、ステージに近い市松模様の床の最前列に月彦つきひこが躍り出ます。私は最前列が嫌いでした。学校の席もセミナーの席も、後ろに人の居ない最後尾を選びたいタイプ。背後からの気配にソワソワします。


日芽子ひめこさんは、もしかして、人生初めてのギグ?」


 落ち着きのない私。

 その横で月彦は、ステージと客席を隔てるさくカバンくくり付けていました。紛失防止とのこと。持参した細いロープで固定しています。彼は場慣れしていました。


「こんなところに来るのは初めてよ。私、ちょっと怖い」

「ライヴハウスは怖いところじゃないよ。でも、怖いなら、僕と手をつなごう。大丈夫だから」


 月彦の華奢きゃしゃな指に繋がれる私の指。震えています。

 本当に怖いのです。背後からの視線なりエネルギーが。


「日芽子さんってさ、どんな音楽を聴いて育ったの?」


 緊張している私に、月彦が話し掛けてくれます。彼の耳許みみもとに背伸びします。


「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトとか、フレデリク・フランソワ・ショパンとか」

「何それ? 新しいバンドの名前?」

「作曲者の名前よ。古典音楽とロマン派の」

「全然、分かんないなぁ。もしかして、クラシック?」

「そう、クラシックよ。ふるいものに安心するの。変わらない過去にとざされた音楽は……」


 突然、ドライアイス・スモークのかれた空気が、開いた幔幕まんまくから客席にあふれ出します。同時に演奏が始まりました。ステージには、月彦の先輩が佇んでいます。


 ステージは赤い薔薇に彩られたベルサイユの世界。

 披露される曲はアニメ『ベルサイユのばら』より『薔薇は美しく散る』でした。


 この曲は月彦のお母様の十八番おはこ

 洗濯を畳みながら、食器を片付けながら、掃除機をかけながら、歌っておられる人生のテーマ。薔薇の運命に生まれた自分を呪わず誇る名曲です。


 サビのメロディーで客席はエキサイト。客席と申しましたが、厳密には席などありません。オールスタンディング状態。背後の観客たちが興奮して押し寄せて来ます。私は月彦の背中でセミのように固まりながらも、ステージで展開される熱量に引き寄せられていました。


 ライトの色が満月フルムーンを思わせる暖色に変わります。

 続く曲は『ムーンライト伝説』でした。


 今度は私の母の十八番おはこ

 思考回路が、どうつながった選曲なのでしょう。シナプスは迷走中です。


 見渡せば周囲は、軍服を着た御方とセーラーカラーに身を包んだ御方に埋め尽くされ、私は不謹慎にも舞台より、集合されたコスプレイヤーの方々を観察してしまいました。

 皆様、気合いが入っています。私など地味なストロベリー・ミルクティーと思えるのが不思議でした。


 月彦の鼓動が、キラキラとした生命力エナジーに充ちた韻律アクセントを伴って、私の耳に伝わります。やがて先輩は、しっとりとしたオリジナルらしきバラードを歌い、最後は『小さな恋のロマンス』のギターソロで、舞台は静かに幕を閉じました。


 とりとめのないライヴ空間に遊ぶ私たちは、間違いなく、幸せな少年少女で在ったことでしょう。




「予想外に激しいギグだったけれど、楽しかったね」

「うん。途中から楽しくなってきて、幸せだった」


 私たちは月彦の先輩に挨拶をして、帰路に就きました。

 うちあげというイベントにも誘われたのですが、ふたりして体力の限界を超えています。早く眠りたいのです。


「今度は、日芽子さんのお仕事の公休日に行こう。直前まで家で寝て、体力をチャージして、うちあげに行こう」

「それって、おもしろい?」

「おもしろいさ。はっちゃけるんだ。好きなことを好きなだけ好きな人と話して、お酒を飲んだり、煙草をったり、美味おいしいものを食べたりするんだ」


 職場の忘年会のノリに近いでしょうか。それにしても月彦が、美味おいしいものを食べる場所に自ら行きたいと言うなんて。回復の兆しと見えて、私も次は、うちあげに行ってみたいと伝えました。




 その夜は、余程よっぽど、疲れたと見える月彦。

 入眠剤無しで眠りに落ちていました。


 いつも散々、電子書籍を読み漁って脳と目を疲れさせた挙句あげく、時間差でエチゾラムとブロチゾラムを飲んで「眠る」という作業を頑張っておりますのに。

 ライヴハウスで疲れ切ってしまうのは、良いことなのかもしれません。


 月彦の背中の鼓動を聴いていました。

 それは、私の心を調律する、途切れてはいけない調べなのです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る