10.薔薇も百合も美しく咲く


 幕間まくあいのアリアは跡切れて、次の演目が始まります。

 六角形の小部屋にも届く、けたたましい楽音。


 微量のトフィソパムを流し込んだ月彦つきひこの身体は、静寂しじまをも流し込んでいるのでしょう。すやすやと眠っています。


『パウダールームに行ってきます』


 会場の卓上テーヴルに備えられていたメモ帳とペンを使って、書き置きしました。




 ギグのにぎわいが、オヴラートに包まれた音で聴こえます。

 夜の顔はロリータ限定ギグ。昼の顔はブライダル。

 そんな風情を醸す会場。清潔な白無垢のパウダールームは宮殿の如く。

 鏡の中にはマダムではなくマドモアゼル。

 お化粧を直す彼女たちは、異国のプリンセスみたいなファッションに身を包み、少女で在ることの幸せの渦中に住まうようでした。


 そして、鏡に映る私も彼女たちと同列に、幸せそうな少女に他ならないのです。


「キャーッ、御人形オニンギョさんみたい! お持ち帰りしたーい!!」


 パウダールームを出たところで、思わぬ襲撃を受けました。

 美しい、お姉様かお兄様か分からない御方に捕まったのです。

 いったい何者でしょう。耳朶じだには幾つピアスホールを作っておられるのですか。真紅のロングワンピースが、よくお似合いです。


「先輩、僕のお姫様に手、出さないでよ」


 あぁ、こんな歯の浮くような台詞セリフを言う人はキミだけです。


「月彦ちゃんも可愛かわいい! ふたりセットでお持ち帰りしたーい!!」


 月彦に「先輩」と呼ばれた人物は、細長い腕で私たちを抱き締めました。

 

「冗談はめてよ」


 月彦。そう呼ばれたのに、不貞腐ふてくされることなく、嬉しそうです。やんわり先輩の腕をほどきます。


「もう時間だわ。準備しなくちゃ。二十分後に開始よ。見逃さないでね」

「目、覚ましてもらったよ。先輩の魂を僕に刻み込んでおくれ」


 意味不明の会話。

 まったく読めず唖然あぜんとしている私を刹那せつな、抱き寄せた先輩は、足取り軽く遠ざかります。


「先輩は、人形みたいな子が大好物なんだ」

「月彦くんの学生時代の先輩?」

「僕のの先輩さ」




 宮殿風のパウダールーム。仲良きことは美しき少女同士を映す鏡。

 麗しき男装の月彦に、マドモアゼルたちの疑惑の目は鏡越しに一瞬そそがれど、たちまち落ち着いたのでした。

 大きな鏡の前に並んだ月彦と私。昔話が始まります。


「あれは二十歳を過ぎたころ……と言っておこう。僕がライヴハウスの片隅で煙草をっていたら、一緒に喫いましょうとのシェアを求められてさ。僕たちを区分けして、障害という箱の中へ片付けようとする者への怒りもシェアしたんだ。この何処にも、やり場のない気持ち。ノーマルな母親にも、海外にしか興味の無い父親にも、打ち明けられない思いをあの人が吸い取ってくれた。お陰様で二十五歳まで生き延びて、日芽子ひめこさんに出逢えたんだ。先輩は僕の恩人だよ」

「つらかったのね。月彦くん、生きていてくれて、ありがとう。ところで、恩人さんは何者かしら?」

「コスプレイヤー兼バンドマンとして活躍中。本業は派遣社員」


 バンドということは、どうやら男性のようですね。

 世の中のアンドロギュヌス的な人々が今宵こよい、集合しています。

 月彦に似た男装の麗人が横切りました。みやびやかな撮影会が始まります。


「日芽子さん。目移りしないで。僕を見て。僕を愛して」


 視線が月彦以外に釘付けになってはいけないのです。

 月彦を見詰めて、濃密な愛をそそぐ私。眼差しと花唇くちびるを合わせます。

 誰にも邪魔させない、ふたりきりの世界。


 アップルの香りのハンドソープで洗ったばかりの冷たい手。

 指をつなぐ私たちは、仲良く演奏会場に戻ります。

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