3.麗しのキミ


「あら、今日も御来店ごらいてん。麗しのキミよ」


 月彦つきひこの異様な美しさには、私のみならず、ドラッグストアの同僚も感嘆しておりました。下剤の危険性を忠告した日から、数ヶ月が経過した夏の昔話です。


 彼は他店で下剤を購入しているのかもしれません。

 体内の糖と脂肪をぎ落としたような姿が、淡い夏服を通して伝わるのです。

 痛々しく美しいスタイルで、糖質ゼロのゼリーと、特定保健用の脂肪を落とすドリンクをお買い上げ。それが定番です。スナック菓子には目もくれません。


 或るキャンペーンの日、彼は定番のゼリーとドリンク、それから一本の化粧水をカウンターに並べました。私は店員の義務として、カードの勧誘をするのです。


「お客様、本日はキャンペーンにつき、カード会員様限定で、此方こちらのお化粧品がポイント二十倍になります。この機会にカードは如何いかがでしょう? 年会費入会費無料です。ポイントは、一ポイント一円で、即日、ご利用可能です」

「じゃあ、作ろうかな」


 彼は勧誘に応じようとしました。しかし、入会申し込み用紙を目にした途端、両手を背中に隠してしまいます。


「やっぱりめておく。御免ゴメンね」


 私は、それ以上の勧誘をすることなく、すみやかに精算を済ませます。


「どうぞ、お大事に」

「どうして? 僕は何処も悪くないよ。店員さん、またね」


 悪戯いたずらっぽく笑って去る後ろ姿に、やはり「お大事に」としか浮かばなかった私。

 店員さんの私と、お客様のキミ。

 適度な距離感を保持していたころの私たち。


 麗しのキミに急接近した切っ掛け。それは、或る商品の接客でした。


 フルール・コレクション。

 フルールはフランス語で花。コレクションは英語で収集。

 日本人は、このような言語のミックスに何の違和感も持たないのでしょうか。


『トキメキ❤フルール・コレクション』と記されたバッジを付けるよう、店長に指示された従業員たち。私も仕方なく白衣の胸ポケットにバッジを付けて、レジに佇んでおりました。


 盛夏です。真冬の商品の予約を取るために、真夏から努力するのです。


『完全限定受注生産。あなたにもトキメキあげたい』


 店内のポスターに魅入みいる麗しのキミ。


櫻井さくらいさん、予約のチャンス、到来しているよ。レジはオレたちが見ているから、接客、張り切って行こう」


 その日のスタッフ構成は、男性の登録販売者店長、男性の大学生アルバイト、女性の登録販売者アルバイトの私。三名でした。昨今の人件費削減で、化粧品担当者不在の店舗。


「私は医薬品担当なので無理です」


 そのように断ることは不可能。

 化粧品に対して専門知識の無い身ですが、ただ女性というだけで、化粧品の推売を一任されるのです。アイブローとアイライナーの違いすら、最近、おぼえたばかりの私には、責め苦とも言える領域でした。


 憂鬱ユウウツモード。しかし、相手は麗しのキミ。話し掛ける機会に恵まれたことを喜びながら、明るく言います。


「いらっしゃいませ、こんにちは。いつもありがとうございます」


 ズボンのポケットに突っ込んだ手を、ぴくりと震わせる彼。振り向きざま、合わさる視線は、夕暮れに消えていく光線ひかりのように、はかなく綺麗なのでした。


「トキメキ❤フルール・コレクション。毎日を頑張って生きるあなたにクリスマスの御褒美ごほうび、プレゼントしませんか? 完全限定受注生産。十二月二十日、販売開始。ご予約は十月十日まで。お早めに、どうぞ」


 ポスターの文字を棒読みしました。麗しのキミは、美爪術びそうじゅつの施された黒い指先で、ポスターに写る商品をでます。


「このマニキュア、素敵だね。口紅の色も素敵」


 彼が素敵と褒める色は、毒々しいほどの赤でした。


「血のようなべにが欲しかったんだ。流行に左右されない鮮血の色。探していた色に近い」


 先行して届いていたテスターを眺めるキミ。それを試したいように見えます。


「どうぞ、お試しください」


 私の声を受けたキミは、ポケットから取り出したティッシュで自らの唇を拭き、備え付けのチップでリップスティックのべにをすくい、紅差し指で輪郭を描きます。


 店内に設えられた鏡の中のキミは慣れた手付き。唇をべにで縁取ります。まごうことなき美人でした。純文学の世界にだけ存在する結核に冒された人のよう。紅色は喀血かっけつの跡の如く、病的に輝くばかり。でも、そんな個人的に偏った趣旨の称賛は控えましょう。


「たいへん、お似合いです」


 無難な褒め言葉が功を奏します。


「予約させてもらうよ」


 予約申し込み用紙を取りにレジへ戻った私に、店長が小声でプレッシャーをかけます。


「グッジョブ!」


 私は、この予約を何が何でも成功させなければいけません。


 以前、ポイントカードの入会申し込み用紙に筆を走らせることを躊躇ためらわれたお客様。何となく理由が分かっただけに、商品予約申し込み用紙に『性別』を書く欄が無いことを確認します。頂きたい情報は『連絡先』と『お名前』のみ。


 そうして残されたキミの情報が、携帯電話の番号と『月彦』という名前だったのです。


「ご予約、ありがとうございます。入荷次第しだい、お電話致します」

「店員さん、何度もかけてね。つながらなくても諦めないで、何度もかけて」


 虚偽の電話番号を書かれたのではないかと危惧をあお台詞セリフでした。

 即刻、店舗の電話からアクセスを試みます。


「わぁ」


 マナーモードの端末が震えたことに驚くキミ。

 吃驚箱びっくりばこを開けたような、こどものリアクション。


此方こちらの電話番号で、ご連絡差し上げますので、よろしくお願いします」




 ご本人を前に電話で会話した、あの夏の日を忘れることはありません。

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