2.空腹を知らない百合
彼は、既成概念を超越しようとしていました。
私は彼の
「
「ただいま、
畳に敷かれた布団の上、無造作に足を投げ出して、幼児のように座る月彦。
長方形の容器の中、並んでいる正方形のサンドイッチは、彼の好むレタスとトマトが無くなり、滋養豊富な卵とツナは残されています。
「ねぇ、日芽子さん。
洗面所で丹念に手を洗いました。外出用の服から
外界の菌が月彦に
「
白いネグリジェを
「ありがとう。月彦くんは彦星よ」
私の言葉に彼は心底、嬉しそうな笑顔を返します。
その笑顔は束の間に消えました。
キッチンから漂ってくる青魚を焼く匂いに凍りつきました。
彼は寝床に潜ってしまいます。繰り返される日常でした。
子守唄には早い時刻、眠ってはいけません。
私たちには、夕食を摂るという仕事が残っているのですから。
「
お母様が呼んでいます。晩餐の席が調った
月彦は
彼は、お母様に「月ちゃん」と呼ばれることに、激しい嫌悪を示していました。
うっかりと幼少時代の呼称を口にしたお母様は、慌てて言い直します。
「月彦くん、日芽ちゃん。今夜は
しめて五百キロカロリー以下のヘルシーな
空腹を知らない。そんな文豪のような人が、この現代社会に居るのかしら。
はたして
さて、先程から連呼しておりますアノレキシアとは学名でして、一般の呼称は拒食症です。医学的には摂食障害、または神経性食思不振症、はたまた思春期
百七十センチの身長に対し、四十キロの重さが有るような無いような月彦。
四十キロ前後だなんて、私と変わりません。
同僚には、百五十センチ四十キロを羨ましいと思われているでしょうか。
「
うっすらとした
私はドラッグストアの店員でした。
約一年前の夏、店舗を訪れた月彦は、お客様。
やたら私の目を
出逢いを想い出しましょう。
職場にて、それ以上
「お客様、失礼ですが先週も同じ、おくすりをお買い求めでしたよね?
忠告に、綺麗に澄みわたった心で
「ありがとう。僕のこと、心配してくれるんだね。はじめてだよ。そんな店員さん。優しいね」
下剤を棚に戻します。
はじめて聴いた彼の声は、男の人のトーンではありませんでした。
今現在、過不足無き栄養バランスの和食の席に、彼は不在でした。人と一緒に食事を摂ることを、更に言えば生きるための食べるという行為を嫌悪する月彦は、布団に潜ったまま、出てきません。
「月ちゃん。つい呼んでしまうの。気を付けているのに、私って駄目な母親ね」
お母様は、青魚の骨を外しながら言いました。
「あんなふうに産んでしまった。私って母親失格だわ」
そんな
「お母様は御自分を責め過ぎです。駄目な母親ではなく、むしろ御立派ですわ。彼を二十五歳まで育てたのですから。きっと、誰のせいでもないのです。
月彦が許容するであろう食品を盛り付けた皿。それをトレイに載せます。
レタスとトマトのサラダと、みぞれと、職場で購入したゼロカロリーのゼリー。
合計百キロカロリーにも満たないトレイでした。
私の運んだ許可食を苦行の如く口にする月彦は、記憶の中、お客様だったころの彼よりも、また一段と細く変わっていました。
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