約束





 出来るだけ近くで、と言った。

 竜人のようになろうと一番近く、隣で生きられると思うほどめでたい頭はしていなかったからだ。

 聞きたい言葉が聞けて、その想いを得られ、同じような時の長さを過ごしていけるのなら良かった。


「それなら、隣で生きてくれ」


 けれどリリスはそう言った。

 腕の中の彼女が、細い指で、シャツを掴む。

 隣。彼女の隣とは、すなわち。


「わたしが一番近くにいてほしいのは、ヴィルだ。愛せるのはヴィルしかいない」

「いい、のか?」


 ヴィルヘルムは呆然と尋ね返した。


「何がだ」

「前の婚約者のこととか、俺がその位置にいっていいのか、相応しいような竜人には、なれないんだろ?」


 リリスの兄がそうだったように、他の竜人を従えられるような強さなどないのだろう。

 ヴィルヘルムを見上げるリリスが、それを聞き、首を振る。


「アレクセイはそうなることをした。わたしが言えば、それが完全なる真実となり、正しいことになる。……ヴィルは、そんなわたしは嫌か。わたしは、そういう面を持つ。アレクセイを殺した」


 ああ、やはり、あの竜人は本当に言葉通り、いなくなったのだ。

 今初めて明確に口にされ、自分が読み取った意味は正しかったのだと知る。そしてその行いは、他ならぬ自分に危害が加えられたことによって起こった。彼女が殺した。


「リリスは、俺のためにしてくれたんだろ? そうでなくとも、俺はリリスのことを嫌いにならない」


 自由気ままだけれど、誰かを罰するところを見たことがなかった彼女は過去に血を流した事実を持ち、今回そのような行いをした。

 そんな面があると分かれど、嫌だと思わないのが事実だった。彼女だから。

 むしろ歓喜のような、愉悦のような初めて味わう心地を抱いた。

 自分のことで、他の竜人を罰した。失いたくないと思ってくれた。自分を共に生きられる身にしてくれた。

 間違いない喜びだった。しかしこれを言えば馬鹿なことを言うなと言われるだろう。

 そう思い、


「愛してる。この気持ちは、変わらない」


 今、とても気にしているところが愛しく、いじらしく感じた彼女に伝えた。

 愛している。愛している。この言葉と想いを許してくれるのなら、何度でも言おう。

 何を馬鹿なことを言っているのかと、彼女の懸念を一蹴したいのはヴィルヘルムの方だった。


「わたしも、ヴィルを愛しているから」


 リリスは、また、その言葉をくれた。

 もはや惜しげもなく彼女は、こちらが熱に浮かされそうな言葉を紡ぎ、


「わたしは暴君だ。今までも好きにしてきた。兄を殺した竜人を殺した。他の竜人が目に入らないように追い出した。今さら風習に従うのも変な話だ。最後まで自由に生きてやる」


 ゆえに、と、


「ヴィル、わたしの伴侶となってくれるか」


 叶うことがないと思った、夢かと思う言葉をくれた。




 *









 鏡を見ると、元の色である青に紫が混じった目が見返してきた。

 リリスは竜人独特の瞳孔の細さより、青色が損なわれたと嘆いていたが、ヴィルヘルムとしては気に入っていた。当然、リリスの目の色だからだ。

 また、目以外に視界にはあれ以来の変化が見えていた。

 精霊だ。人間には見えないがいるとされる存在が、見えるようになった。なぜか常時ヴィルヘルムの近くにもいて、これも竜人となった影響なのだろうと思う。


「ヴィル」


 鏡から目を離す。


「どうだ、見違えるだろう」


 隣の部屋で着替えて、出てきたリリスが胸を張る。

 見違えるかと言えば、服装的にはその通りだ。普段簡単なと言えば聞こえはいいが、楽で何かしら省いた軽い格好がほとんどだ。

 それが今、上から下まで、凝った衣装を身につけている。いや、本来これが普通なのだ。


「とてもお似合いです」


 若干棒読みである。

 大層かっこいい仕上がりだった。別に、ズボン姿なんて出会った頃からで、文句があるのではないが、今日ばかりは何だか奇妙な心地だ。

 気合いを入れているのは分かるが……。

 頼めば、またドレスを着てくれるのだろうか、と考えはじめる。


「では、親への挨拶というものに行こう」


 リリスは褒められて満足げになった顔を引き締め、ヴィルヘルムを促した。


 ヴィルヘルムがベッドで眠り、目覚めるのに要した期間は五日だった。部屋は城のヴィルヘルムの部屋だった。

 その五日で何が起こったのか、実際は知らない。他の者に聞くところによると、体感では竜人たちに漂う空気が変わったとか。ただし体感であり、それ以上でもない。

 例の婚約者だった竜人が罰されたことは竜人たちに伝えられたようだが、人間は入らないようにされた竜人たちが会議を行っている時間にだったのだろう。

 竜人たちにそれほど動揺がないのは、竜人にとってリリスが絶対的に従うべき存在で、そのリリスが行ったことだからなのか。

 罰されることをした。だから罰された。そういう見方なのだろうか。


「ほう、ここがヴィルの生まれた家か」


 気がつくと、首都の実家に着いていた。

 馬車も使わず徒歩で来たため、門の前に立ち止まっていた。

 門番が、リリスの顔は知らなくとも、ヴィルヘルムの顔はよく知っている。門が開かれた。

 父は家にいるはずだ。前もって、間接的にはなったが伝えておいた。

 リリスが来ることも知っている。何の用かは言っていないし、ヴィルヘルムは身に変化が起きてからまだ会っていない。

 父は、どのような反応をするか。


「ヴィルヘルム、その目は──」


 王と息子を出迎え、まず王に言葉を、そして息子の顔を見た父の反応が以上のようであった。

 リリスに瞳孔を丸くする方法を伝授されたのだが、それが上手くいっていないのか、色のせいか。とりあえず、息子の変化に気がついたようだ。

 固まる父に、リリスが少し顔を曇らせた。リリスは大胆なところが多いくせに、変なところを気にする性格だと思う。自分がいいと言うのだから、そんな顔をする必要はないのに。

 ヴィルヘルムは、父を我に返らせ、場を移動した。玄関でする話でもない。


 準備されていた茶を並べ、使用人が退室すれば、移動した部屋の中に残るのは三名。

 リリス、父、自分だ。

 父は、役職によりほぼ一年を首都で過ごしているが、母は領地で領主の代わりをしている。ここにはいない。姉はすでに嫁に行った。

 今日は父だけになるが、母にも姉にも伝えなければ。


「今日は急だが、話がある」

「はい」


 父は上の空の返事をした。視線はちらちらとヴィルヘルムに向いている。こんな挙動不審な動きをする父を見たことがない。

 そんな父を真っ直ぐに見つめ、リリスが切り出す。


「ヴィルヘルムを婿にくれ」

「──────は?」


 父が、大層間抜けな声を出し、表情をした。視線はやっとリリスに定まった。その代わり、瞬きもしない凝視だ。


「……『は?』って」


 リリスの座る後ろに立っているヴィルヘルムがぼやくと、父は我に返った。


「と、とんだ失礼を」

「構わない。突然の話だ。……それに、わたしは、おまえに謝らなければならないことがある」

「陛下が、私に、ですか」

「そうだ。おまえも見て察しただろうが──ヴィルヘルムは、人間ではなくなってしまった」


 息を飲む音が聞こえた。無論、父だ。

 喉が上下し、リリスを凝視していた目が、ゆっくりとヴィルヘルムに移動していく。

 リリスの言葉を、確かめるがごとく。

 ヴィルヘルムと目が合う。


「……それは、どういうことでしょう。失礼ながら、理解が及ばず……」


 ぎこちない声の尋ね返しと、ぎこちない動きでの目の動かし方で、父は視線をリリスに戻した。


「わたしが、ヴィルヘルムの人のあり方をねじ曲げてしまった。彼は、すでに人と同じ体ではない。見て分かる通り、竜人の在り方が混ざっている」

「……」

「最もなところで言えば、この先彼は人間と寿命を大きく違え、容姿もさほど歳を重ねないだろう」


 どうせ子どもは親の後に死ぬのだ。その辺りを気にするとすれば当人であるヴィルヘルムで、自分はむしろ得られるはずのなかったものを得られたと思っているから気にしなくていいのにと思う。

 しかし、ヴィルヘルムも自分はいいと思っているが、親がどう思うのかは若干気になる。息子が、人間の域から逸脱したとしたら。


「…………私の理解が正しければ」


 かなり時間を要して、父は、言葉が出てくる状態になれたようだった。


「ヴィルヘルムは、人ではなく、竜人になったということ、でしょうか……?」

「そうだ」

「……そんなことが、可能なんて……」


 混乱していることが、手に取るように分かる。と言うか、見て分かる。

 ヴィルヘルムを見て、リリスを見てを繰り返している。


「しかし、どういった経緯でそう──?」


 リリスは、父の混乱に何も気分を害した様子はなかった。茶に手をつけず、ただ、その混乱に答えを返してゆく。


「今回来ていた竜人の中に、アレクセイという竜人がいたことを知っているか」

「はい」


 あのことを話すつもりなのだ、と分かった。

 案の定、リリスはアレクセイがヴィルヘルムに危害を加えたことを語った。自分のせいであった、とも。

 何も知らなかった父は、絶句した。ヴィルヘルムは、向けられた視線に静かに瞬いた。


「……ヴィルヘルムをどうしても失いたくなくて、竜人にした。わたしは、ヴィルヘルムを愛していた、愛している。ゆえに、そうした」

「──陛下」

「ヴィルヘルムは許してくれたが、人間の親であるおまえの息子を竜人にしたことについて、わたしは、彼とは別に謝らなければならないと思った」


 すまない、と彼女は言葉通りに謝った。

 初めて聞くであろう、王の謝罪の言葉。父は、また言葉を失ったようだった。

 ヴィルヘルムは、その沈黙は、単に父が起こっていたことに驚き、リリスの謝罪に驚いているばかりだと思っていた。

 けれど、そうではなかったと知ることになる。


「……陛下、どうか、お謝りになどならないで下さい」


 話しはじめた父は、存外落ち着いた声を出した。


「ヴィルヘルムが竜人となったことには、未だに驚きが冷めませんが……一つ、確かめさせていただきたいことがあります」

「何だ」

「陛下が……その、ヴィルヘルムを婿にと仰った記憶が朧気にあるのですが」


 朧気も何も、さっきの話のはずだが。


「陛下は、ヴィルヘルムを竜人にしてしまったから婿の類いにするのではなく、その……」


 歯切れが悪い。


「わたしがヴィルを好きだから、伴侶にしたい」

「それは…………。良い、のでしょうか」


 竜人になったことは置いておいて、いまいち、結婚云々を受け止め切れないようだ。

 人間の中でどれほど位が高くとも、竜人と人間の間には、決定的な、越えられない線がある。竜人と結婚する発想など誰も持たないから、そうもなる。

 ヴィルヘルムは、人間だったのだ。


「良い、わたしがそうしたいから。誰がわたしに何を言うと言うんだ。今日は、ヴィルヘルムが竜人となったことと、結婚の話を通しておかなければならないと思って来た」

「結、婚………………そう、でしたか……」


 父の青い目がヴィルヘルムを見る。じっと見る。

 竜人の特徴を持ち現れた息子を見る、信じがたい目付きは、なくなっていた。代わりに、別の種類の信じがたい感情が見える気がする。

 ヴィルヘルムが父の考えを読み取ろうとしている内に、父はやっとこちらから目を離し、唇が動かした。ああ、そうか、と。


「陛下」


 と、呼びかける。

 父の目は先程までの混乱が嘘のように、穏やかな目をしていた。


「私は息子が、陛下に身の程知らずの恋心を抱いていたことを知っておりました」


 唐突な初耳の事項だった。

 ヴィルヘルムがこの場において初めて驚く番だった。


「知ったのは、陛下の側仕えに推薦してからでしたが……。息子ながら側仕えの仕事はしっかりしているようだったため、黙っていました。しかし、婚約者様がおいでになり、失礼をしないか気がかりでした」


 ヴィルヘルムはこのときになって気がついた。先日、父が「方々に失礼のないように」と言ったあれは、忠告だったのか。


「アレクセイ様がヴィルヘルムを傷つけたのは、ヴィルヘルムにも非があったはずです。……ヴィルヘルムが抱く感情を思えば、罰であったのでしょう」

「それは違う」

「いいえ、陛下。陛下がお思いにならずとも、周りにとってはそうなのです。身の程知らずの、罪深い思いでした。──陛下がお許しになるまでは、確かに許されぬことでした」


 ──息子の想いを許されざるものだったと語る彼は、この場で、たった一つ明確に理解できたことがあった。息子の想いが、許されたのだと。


「陛下、息子のことは何なりと自由にしていただいて構いません。しかし、今一度お聞きしたく存じます。本当に良いのでしょうか」

「わたしがそうしたいと思った。そう決めた。誰もわたしには逆らえない」


 ──王たる彼女にはもう躊躇いはなかった。奪われかけて、心は振り切った。そして受け入れられた。ならばもう悩む必要はない。


「……様々に、心配事はあります」

「大丈夫だと言っておこう」

「はい。陛下が仰るのであれば、きっと」


 きっと、そうなのでしょう、と父は言った。


「息子が望んだ幸せが叶うのであれば、それを阻む親はどこにもおりません。陛下、どうか、息子のことをお願いいたします」

「責任をもって、わたしが幸せにしよう」


 ヴィルヘルムは、今まで散々好きにしてきた。

 人間の中で最も高き地位を持つ家に生まれながら、家を飛び出したりした。決められた道は嫌だと、未熟極まりない理由からだった。

 そしてリリスと出会い、別れ、空に銀の竜を見て。家に戻り、父に唐突なことを言い、側仕えとなり。

 私欲を抱え、側にいるために、側仕えをしていた。勝手ばかりして、そしてまた、逸脱した道を行こうとしている。

 けれど、父はヴィルヘルムの行き先に苦言を口にすることはなかった。王が決めたことだからかもしれない。

 でも、──望んだ幸せが叶うのであれば。父はそう言った。

 父には敵わない。親不孝で、幼稚で勝手なことばかりしてきた自分には、もったいない親だと心の底から思った。



「『責任をもって幸せにしよう』って、これ以上、幸せにしてくれるのか」


 家を出て、歩き出したところで、リリスに尋ねた。

 彼女は、こちらを見上げ、「もちろんだ」と大きく頷いた。

 それは、楽しみだ。


「守るとも約束しよう」

「守る?」


 幸せに浸っていたところ、ヴィルヘルムは首を捻る。守る、とは何だ。


「兄が殺されたように、おまえが他の竜人に殺されないように」


 そういう可能性があったか。

 言われて、思い至った。

 どうも、余り余る幸福に、めでたい頭になっていたらしい。

 リリスの兄は、過去、竜人の王族でありながら殺された。王位を狙うかもしれないから、と。

 それは即ち、リリスの兄が王位には相応しくないと認識されたばかりか、王族にも相応しくないと認識されてしまったからだ。


 リリスの隣に自分が立ったとき、立場は違えど、殺そうとする者が出てくるかもしれない。

 リリスの兄が元は人間だと知られていなかったようだが、自分の場合は人間だと知られる可能性は十分にある。


「わたしは絶対におまえを失わない。そうしようとする者がいるのなら、わたしはその者を許さない」


 しかし、リリスがいる。

 彼女の紫の瞳には強い意志があり、その意志の源はヴィルヘルムだ。


「俺は、とんだ幸せ者だな」


 死にかけたかいがあったのではないか。

 リリスに知られれば怒られそうなことを思いながらも、そう感じずにはいられなかった。

 自分は弱い。遥かに弱い。

 だから、せめて、彼女が言った通り、一生側で生きていこう。









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わがまま女王と側仕え~竜の女王は、恋を認めるわけにはいかない。~ 久浪 @007abc

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