愛している
「……は?」
黙って話に耳を傾けていたヴィルヘルムは思わず声を出したようだった。それはそうだろう。
「人間……って、リリスの兄だろう?」
リリスは頷く。兄だった。
「父が死ぬ前に、明かした。兄は元は人間だった」
「元は?」
彼は兄だった。
リリスが生まれたときからおり、人間より遥かに長く生き、外見の歳も人間の重ねるはやさではなかった。力を除き、その性質は竜人のものだった。
しかし、リリスの実の兄ではなかったのだ。
「その昔、父が酷い怪我を負った人間の子を見つけたそうだ。そのとき、父は子どもを哀れに思ったという」
竜人の王には自分の存在より上がいない。
普通の竜人たちには絶対に上がいる。
他の竜人が従うべき存在なのか、自分より下の存在なのかを計る。
王は一番上でしかない。
その関係もあってほとんどが当然のように暴君となるが、下を慈しむ心がないわけではなかった。
「父は、その人間の子どもに血肉を与えた。簡単な考えでな、竜人は人間よりも早く怪我が治る。損傷した部分を自分の身で塞いでみたらしい。すると、子どもの怪我が治った。血肉が怪我を塞ぎ、融合し、その治り方は竜人のそれだったという」
それで終わりではない。
「人間の子どもは、竜人の目を持ち、鱗を持つようになった。時が経つにつれ、竜人となっているとしか言いようがない状態になった。体の歳の取り方、怪我の治り方、目……人間とは言えなかった。竜人と言った方が納得でき、事実、わたしは疑ったこともなかった。しかし、元々兄は病弱だったようで、怪我が早く治る体質になっても、病弱気味なところは変わらなかった。完全な竜人ではない一面だったのだろうと父は言っていた」
兄が王族にしては力が弱かったのは、上記のことが理由だった。
父の血肉により竜人へと変貌したが、完全な竜人にはなれなかったし、元々父の血を継いで生まれてきたわけではないから、最も強い力も持つまでには至らなかった。
「普通の王族ではなかった兄は弱かった。彼は殺された」
あるいは竜人の王族のはずが力が弱かった他に、臣下の竜人の本能が何らかの齟齬を感じ、殺すまでに至ったのかもしれない。生粋の人間ではなく、人間だと。本来は上にいる存在ではない、と。
それでも、リリスにとっては兄だった。できた事実はただ一つ、兄が殺されたということだ。
「だからと言って、殺さなくてもいいだろう。そうやって、力云々で、本能で判断する竜人などいらない。竜人なんて嫌いだ」
リリスが生まれた頃、この国には竜人がもっといた。
元から他国の主として、国一つを領地として与えられていたことは変わらなかったが、その全てをまとめる竜人の王の元の側に仕える竜人はいた。
リリスが廃し、追い出した。
兄が殺されたからだ。
リリスは竜人が嫌いだ。同族でありながら、嫌悪している。
力がない者を認めない本能。そして、兄が殺されたのは、きっと普段から人間を軽視していることが影響していた。人間である部分を感じ、本能が拒否をしたのだ。
リリスはあのときから、自らが竜であることを含め嫌悪していた。
空を飛ぶのは好きだ。本能だろう。だが、異なる部分の本能は嫌いだった。
ゆえに人の姿の方を好み、瞳孔も丸くしていた。
それなのに。
「それなのに、わたしは、同じことをおまえにした。おまえを、忌まわしいと感じている身に引きずり込んだ」
リリスは自らのしたことを、ヴィルヘルムに告白した。
何とか顔を上げて彼を見ると、ヴィルヘルムは何事かまだよく分かっていないようだった。
「目を、見るといい」
傍らの引き出しを引き、中から手鏡を出す。戦慄きそうになる手で、ヴィルヘルムに差し出した。
ヴィルヘルムは身を起こし、受け取った鏡を自らに向け────驚いた様子になった。
ヴィルヘルムの目は、瞳孔が細く竜人特有の目だったのだ。
「あのまま、おまえを失うことは考えられなかった」
リリスが見つけたとき、もうヴィルヘルムの命は消えかけていた。
精霊によって、辛うじて繋ぎとめられていた状態で、あれ以上精霊の力を総動員させていても、怪我が治る前に体が限界を越えて死んでいた。
リリスはヴィルヘルムに死んでほしくなかった。いつか別れが来るとしても、あんな風に死に向かう様を見るとは思わなかった。
「わたしの血肉を、おまえに与えた」
腕を抉り、肉を取り、血を掬い、怪我を塞ぐようにした。
──そして、現在に至る。
ヴィルヘルムは死ななかった。怪我は治り、目が覚めた。それが示すところは、人間ではなくなったということだ。
父の話は本当だった。兄と同じことがヴィルヘルムに起こった。
忌まわしい存在だと自分の身も含めて思いながら、ヴィルヘルムもその身にした。
死なせなくなかった、その一心で。
リリスの血を吐くような告白を聞き、ヴィルヘルムは手鏡を見て、またリリスを見た。手鏡を置く。
「そういうことは、先に言えよ」
あきれたように言った直後、
「嬉しくて仕方ない」
彼は、微笑んだ。
微笑んだのである。
「──取り返しの、つかないことだぞ」
リリスは途切れ途切れに言う。
「勝手に、竜人にしたんだ。人間ではなくしたんだ」
「まさにそこだ。つまり、リリスに近い存在になれたんだろ?」
「それは事実だが──」
「愛してる」
竜の瞳になりながら、瞳に宿す感情は変わらず、ヴィルヘルムは囁いた。
リリスが声に詰まっているうちに、畳み掛ける。
「一緒に生きられる方法があるなら、人なんて止められる。むしろ、どうすれば止めれるのか考えたことがあるくらいだ」
簡単にそう言ってのけてから、リリスに問いかける。
「それとも、竜人が嫌いなら、人間でなくなった俺も嫌いか? 俺を人間でなくしたことを、後悔しているのか?」
リリスは首を横に振る。
確かに竜人は嫌いだ。この感情は、一生なくならないものだろう。
一方でヴィルヘルムに対してはそれに負けない感情があるのだ。
リリスは声を絞り出し、その感情を外に出す。
「認めよう」
決定的にならないよう、ずっと目を逸らしてきたことを。
「ヴィルが大切だ。一緒に時間が楽しくて、嬉しくて、仕方がなかった」
先で途切れる時間だとしても、今だけはと思っていた。
「あいしている」
リリスは、初めてその言葉を音にした。
愛している、愛している、愛している。
出会ったときに、恋に落ちていたのだろう。しかし、ヴィルヘルムは人間であり、リリスは竜人の王だった。
再会してからも、真に落ちてしまうことだけは避けていた。
けれどもう認めざるを得ない。
リリスはヴィルヘルムを失いたくない。ヴィルヘルムを害したアレクセイが憎くて仕方がなかった。
「俺は、ずっと、その言葉を聞きたくて堪らなかった」
ベッドの上から、腕が伸ばされる。
リリスも手を伸ばす。
手が触れて、引っ張られて、リリスはその腕の中に飛び込んだ。
「俺を、生き延びさせてくれたなら、俺を、リリスと生きさせてくれないか。少しでも近くで」
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