目覚める
天井が見えた。
ヴィルヘルムはゆっくりと瞬き、目覚めた状態だということを理解した。けれど、なぜ目覚めた状態なのかという疑問が湧いた。
自分は、何をしていただろうか。眠りについて起きたという考えは浮かばず──
「……俺、は、」
死んだのではなかったか。
感じた死を思い出して、余計にわけが分からなくなった。
どうして、生きているのだろう。
「ヴィル……?」
もう聞くことも出来ないと思っていた声が、彼を呼んだ。
*
リリスはベッドに伏していた顔を上げた。
声が聞こえて見ると、ヴィルヘルムがこちらを向いた。
瞬間唇を噛みしめてしまったが、開き、「起きたか」と声をかけた。
「起きた、が、状況がよく分からない」
「どこまで覚えている」
問うと、ヴィルヘルムは眉を寄せた。
「……リリスがいなかったから……やることがあまりなくて、廊下を歩いていて──」
「アレクセイに会ったな」
途切れたところを補った。
「そうだ」と認めたヴィルヘルムは覚えているらしい。けれども「それから……」と、何かを思い出すようにこめかみに手を当てた。
「てっきり、死んだかと思った」
リリスは一時、心臓が縮まったような感覚に陥った。ヴィルヘルムが倒れていた光景が脳裏に過ったのだ。
俯き、ぎゅっと、シーツを握り締めた。
「アレクセイの行いは、わたしに対する無礼だった。だから、罰した」
「罰した?」
「あれは、もういない。アレクセイはそうなるだけのことをした」
後悔していない。ヴィルヘルムは死ななかったが、アレクセイはそれだけのことをしたのだ。
ただヴィルヘルムにどう思われるかは、こわかった。
明確にどうしたとは言わなかったが、ヴィルヘルムは何かを察したようだった。息を吸う音がして、静かになって。
「……俺が生意気言ったせいだって言ったら、怒るか」
リリスが顔を上げると、横たわるヴィルヘルムと目が合った。少し、弱い表情だった。
なぜヴィルヘルムがあのようになったのか。アレクセイの言葉では自分のせいのようだと考えていたが、ヴィルヘルムの言葉に「中身を、聞こう」と先を促した。
「リリスの機嫌を損ねると喰われるぞって言われて、脅されたみたいで癪に触ったから、それがどうしたって言い返した」
「おまえは──」
何と無謀なのだ。
言い返すなとは言わないが、相手は竜人だ。もしもの場合になれば……いや、今回そのもしもが起こってしまったのだった。
しかしながらそれ以上に、アレクセイが述べたという内容に、逸らすように目を伏せる。
「…………アレクセイが言ったそれは、実際にあったことだ」
目を閉じる。
言うことは恐ろしい。でも、これから話さなければならないことに繋がる話だ。全てを、話さなければならないと思った。
細かく震える唇を開き、声は震えないようにと注意する。
「わたしは、過去に、竜人を喰ったことがある」
人間の一生分は過去の話だ。
人間に、当時のことを知る者はいない。今いる人間は総じて、この国に住居を置く竜人はリリスだけということが当たり前の竜人のみ。
かつてこの国、城の王の側には竜人がいたし、各国の主をしている竜人たちも一年に一度はこの国に来ていた。
リリスがまだ王位に就く前の、竜人を嫌悪していなかった頃の話だ。
──いや、嫌悪することが起きたから、嫌悪し、遠ざけたのだ
「わたしには、兄がいた」
一人の兄がいた。
リリスとは似ていない兄で、似ていない部分は外見のみではなかった。
「病弱な兄だった」
部屋から出られず、ずっと臥せっている兄だった。
毎日兄の部屋に行き彼を見舞った。兄と会うのはいつも室内だった。
その体の弱さは竜人、それも王族にしては致命的だった。
「竜人は強さを重んじる。竜人とは強いものだ。そして、最も強く、周りを従えられる者が王になる。……兄は見るからに体が弱かったことからも、わたしの方が強いのは明白で、周りは皆わたしが王位に相応しいと言った」
生まれたときから満場一致だったろう。
「わたしも、兄には難しいだろうと感じていた。そして、兄も王位を望む様子はなかった。──だというのに、兄は殺された」
「……誰に」
「臣下だ。わたしが部屋に行ったときには、兄はもう死んでいた。ベッドの上、壁も、床も、血まみれで、酷いものだった」
目を疑った。
ベッドの上で血まみれで、形の崩れたものが兄だと理解することは容易ではなかった。酷かった。
「……竜人は、王族に他の竜人とは一線を画す強い血が流れている。それゆえ、一般的な竜人は王に逆らわない。それ以前に逆らう気が起きない」
圧倒的な力の差があり、本能が感じとるからだ。
「けれど、一般的な竜人の中には力が拮抗したり、微妙な力の差である竜人がいる。そういう竜人同士、争うことがある。稀にな。そういうとき、王が収めることになるそうだが。その争いは、王族内にも言えることだそうだ。過去、王族内で王位継承権が争われたことがあるそうだ。同じ親から生まれた子だ。そういうこともあるのだろう」
聞いた話だ。滅多にないことだという。
「兄を殺した竜人は、大義名分を語った。万が一があっては大事だ、と」
万が一兄が反逆の心を抱くようなものならと。
「前代未聞のことだった。臣下が王族を殺すなど。だが、それには理由があった」
理由があった。あの竜人たちが掲げた大義名分は、本当に薄っぺらな口実に過ぎなかった。
「兄は竜人にしては弱すぎた。本来、王族が臣下に殺されることはあり得ない。なぜなら、王族は最低でも他の貴族より余程高い力を持ち生まれてくるからだ。当たり前に。それなのに、兄は弱すぎた」
弱い兄だった。──弱すぎた。
竜人の王族にしては、臣下を本能的に従えられる力がなかった。いや、リリスはそこまでの不足があるようには感じなかったから、力自体は備わっていたのかもしれない。
しかしある種の違和感が、拭いきれなかったのかも。
「わたしは、兄を殺した竜人を殺した。喰った。跡形もなく、この世から消してやった」
それがアレクセイの言の真実だ。真実を自らの口で明かし、肯定したリリスは唇を噛む。
竜人を殺し、ただ殺すだけではない残虐な方法を取ったことへの反応はもちろんこわかった。けれど、「それなのに」と思った。竜人のことをそう思っているくせに、自分は。
「俺から言わせてもらえると」
過去、リリスが竜人を喰ったという事実を受け、飲み込むようにしばらく黙っていたヴィルヘルムが口を開いた。
「いつか死ぬなら普通に死ぬより、リリスに食われて死ぬ方がいいけどな」
リリスは勢いよく顔を上げた。
何と、何ということを言うのか。
「そういうことを言うな!」
「本心だ。……あいつに殺されずに済んで良かった。もう少し、死に方は選びたい方だからな」
微かな笑みを唇の端に乗せ、ヴィルヘルムはリリスを見た。
一方リリスはその言葉を細かく分解して捉えて、やはり唇を噛む。
「どうして、そんな顔をするんだ。俺が、それを聞いて軽蔑とかするとでも思ってたのか?」
わからない。恐れを抱かれるかもしれないとは、思った。
今、気にしているところはそこではなかった。もっと恐れていることがある。
「……わたしは、竜人が嫌いだ」
「リリスも、竜人だろう?」
「そうだ。だから、わたし自身も含めて、わたしは竜人が嫌いだ」
「どうして」
「兄が殺されたからだ。力ない者を認めない本能を持つ竜人が、嫌いだ。大きな力を持ち、無抵抗の者を簡単に屠ってしまえる竜の部分が。……わたしは、他の竜人を前にすると彼らを葬り去ってしまいたくなる」
竜人が近づくと嫌悪感が湧き、排除したくなるようになった。兄のことを思い出すからでもあり、自己嫌悪でもあった。
あの日、圧倒的な力で残虐に臣下を葬った自分。血まみれの銀色の竜の姿。
ヴィル、と彼の名前を呼んだ。
言わなければならないことがある。
「……王族として通常でなかった兄には、ある理由があった」
リリスが改めて始めた話は、さっきからの話と繋がっていた。
「わたしの兄は、人間だった」
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