断罪






 石の床を歩くと固い足音が響いた。もう血の足跡はつかない。その代わりぼたぼたと、腕から血が伝い落ちる。

 ズボンも血に染まり、手のひらも同じく。

 その姿でリリスは歩く。

 歩みが、止まる。


「アレクセイ」


 呼びかけた声には何の感情も反映されていなかった。

 アレクセイは振り向き、リリスの格好を見てわずかに目を細めた。何を見つけたか分かったのだろう。「喰っておけと言ったのに」と、口が動いた。

 アレクセイの姿は乱れも、汚れもない。


「ヴィルヘルムに危害を加えたのは、おまえだな」


 リリスは断言する。淡々と事実を示す。そして、宣告する。


「わたしの大切なものを傷つける者は、わたしが許さない」

「……やはり、あなたはあの人間に心を傾けておられましたか」


 アレクセイは緩く首を横に振った。何も突きつけられたことを否定したのではない。むしろ言葉は仄かに肯定したものだったろう。


「竜人としてあってはならないことです」

「『あってはならないこと』」


 リリスはアレクセイの言葉の一部を繰り返した。

 身の内に淀みが生じる。他の竜人を前にすると、湧き上がってきてしまうもので、いつもは蓋をしようとする。今は押さえ込もうとしようとは思わなかった。


「だからわたしは、おまえたちが──竜人わたしたちが嫌いだ」


 口に出す。

 嫌いだ。大嫌いだ。竜人という、自分を含めたものがリリスは嫌いだ。

 竜人としてあってはならないこと、という竜人の枠を決めて、判断する本能を持つものが嫌いだった。

 今日、より嫌いになった。


 アレクセイは、リリスが嫌いなこと、してはならなかったことをした。悩む余地はない。


「アレクセイ、決められた我が『婚約者』よ。わたしがおまえを愛することも、結婚することもあり得ない」


 おまえがわたしを愛することもないだろう。

 愛を抱いたとしても、それはある種の敬愛であり、自分より上の者であるという畏怖の域から出ない。

 愛してもらいたかったわけではない。だが、結婚を否とする絶対的なことが起こされた。


「何を仰いますか」

「もう決めた。わたしは、おまえを許さない」


 許さない。

 竜人の価値観により、ヴィルヘルムに危害を加えたおまえを許さない。


「わたしのものを害する命を実行した精霊よ──消えるがいい」


 パンッ、と何か繊細な硝子細工でも壊れたような音がした。

 人間には聞こえない音をさせ、人間には見えない光の粒を散らし、その場にいた精霊たちの半数が消滅した。

 リリスの近くでも消えた。中には、リリスがここに現れてからアレクセイの近くからリリスの方へ寄ってきた精霊たちがいたからだ。

 残った精霊たちが一瞬驚き、たじろいだ。


「次はおまえだ、アレクセイ」


 アレクセイを捉える紫の瞳には、今や明確な殺意が宿っていた。睨む目の中央の瞳孔は、細い。竜独特の目をしている。


「死をもって、罪を償うがいい。過去、そうして罪を償った者がいることをおまえは知っているだろう。同じ愚を犯した自らを悔いろ」

「──あの人間は、人間の身でありながら竜人の王であるあなたに懸想していたのですよ。それこそ、罪です」

「それが罪かどうかは、わたしが判断する。勝手に判断し、裁く権限がおまえにあったか、アレクセイ。わたしの側に仕える者を勝手に裁く権限が」


 アレクセイにはない。リリスが許した覚えがないのだ。

 リリスにはその権限がある。全ての者を統べる王だ。


 リリスが放つ威圧を前に、アレクセイは死を前にしてもそれ以上逆らえない。口では未だしも、物理的に逆らうことは出来ない生き物だ。愚かなものだ。

 自分も、彼も。全ての竜人というものは。愚かな生き物だ。


「精霊よ」


 精霊たちが反応する。

 元々部屋にいた精霊のみに留まらず、近辺にいた精霊が多く集まった。


 ──わたしに仇を為す不届き者を、喰ってしまえ


 そう命じようとしたが思い止まる。


「いや」


 竜の王は少女の姿を変貌させた。

 天井までつかんばかりの巨体、爪が大きく鋭く床を抉り、鋭い歯が並ぶ口を開く。


「わたしが喰ってやる」


 竜の王が啼けば、全ての精霊が呼応し空気を震わせ、王が敵と見なしたものに牙を剥いた。












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