「くそったれがあ!」

倉井さとり

「くそったれがあ!」

「いやー、あのホームセンターの店員のおにいさん……イケメンなだけじゃなくてさ、若いのに。いや私も充分若いよ。でもあんなに物腰ものごしが柔らかくてさ……。あやうく恋するところだったわ……。こんな軽い荷物にもつなのに……『持てますか?』だって……。れたら終わりよね、実際。こっちはいそがしいってのにさ……。……あっ!


 なんだよ……このはあ! あやうく顔面がんめんから倒れるところでしたよ! なんでこんなっかになっとんじゃあー!

 はあ……山びこさえ返りませんねぇ……。どうせ私はひとりだよ。ていうか、うわぁ……手のひらからめっちゃ血ぃ出てる。こんなん子供いらいだよ。私は子供かー!


 普通さ、こんな大声出したら、ちょっとくらい反応あると思うんですけど……。けものはおろか、鳥さえ飛びたたないじゃんか。寝てんのか? でも今日くらい私に構ってくれー!

 はぁ……しんとしすぎ。もうひとごとだけが頼りですよ、実際。


 子供の頃よく言われたっけ。あんたはじっとしてられない子だねえって。おしゃべりだねえって。お母さんの方が、私の5倍はおしゃべりだと思うけどね……。そんでさあ、肝心かんじんなときになにも言ってくれないから、これがこまっちゃう! ああ、もう! なんでこんなにつるつるすべるんじゃあ! ぬかるみすぎでしょ、くそったれえ!


 今まで生きてきて、くそったれなんて初めて言ったわ……。

 うう……お母さんとお父さんさあ、おしゃべりなのはいいんだけど……変なところで潔癖けっぺきなんだよね……特に言葉づかいにきびしくてさ……うう……汚い言葉をちょっとでも口にすりゃあ、私をまるで、汚物おぶつを見るような目で見るわけですよ……あ、あれが愛娘まなむすめを見る目ですか? ……くそったれがぁ……2人して……。


 笑えてしまいますよ、2人おんなじ目をしてさ……あんたら双子ふたごですかってね。本当に仲がよくてさ……娘の私がいう言葉じゃないけど……ホント、愛すべき2人ですよ。

 なんでもおそろいでさ、いい歳してまるで新婚しんこんみたいに。くそったれめ!


 うう……だからなのかな、両親がべったりなのを見て育ったからなのかな。付き合う人とは、いつでも一緒にいたくてさ。……お、重たい女。そ、そんな言葉をじかに言われるなんて、夢にも思わなかった……。だって、そういうのってかげで言うものじゃ……? くそったれがあ! ていうか、くそったれだけじゃん、私。……うう……ほかなにも浮かばんよぉ……ボキャブラリーなさすぎ……。くそったれ! せっかく、汚い言葉いい放題ほうだいなのに……。


 ていうか、えるわー。ほとんど冬やんけ。もう足の感覚ないんですけど……。しかも太股ふとももが、もう筋肉痛きんにくつうおこしてる……。これも日頃の運動不足だねえ。しかも最近は家にこもりっきりだったから……。


 しかも、しばらくしゃべってなかったせいか、声が出なくてさ……。ホームセンターのおにいさんに返した言葉が『けっこうでふ。あひがとうございはす』。私は歯抜はぬけのもうろくじじいかよ!

 ホント嫌になる……。恥ずかしい……。めっちゃ化粧けしょうして、お気に入りの服でばっちり決めてるのに……。もう私、ほとんどおばあちゃんじゃん……。


 服もずたぼろ、化粧けしょうも流れて、くつもどろどろで。あれですね……私は間違えた、選択を……。都会育ちがなにやってんだよ……本当に……。ペーパードライバーがレンタカーまでりて、こんな遠くにはるばるさぁ……。ホント、私の人生間違いだらけ。間違える女ですとも、ええ。うう……。


 だあー! くそたわけえー! くそたわけ? できんじゃん私、言えたじゃん、くそったれ以外の汚い言葉。ていうかどこでおぼえた、こんな言葉……。……あれかな、最近くるったみたく、お笑いの動画みてたからかな……? でも、うーん、今思うと、あんなにいっぱい見て、少しも笑えなかったのが、いちばん笑えるね。はぁ……私、不感症ふかんしょうになっちゃった……はぁ……。


 くそったれですね! ホント! なんでこのへんばっかなのよ! 辛気しんきくさいわ! 音もまったく鳴らないし、この山、ほとんど死んでるよ……。こんなに人里ひとざと離れてんだからさあ……生きなよ、のびのびと! お願いだから生きてー! うわあー! ホント、しんとしすぎて、頭が変になるっちゅうねん!


 ……まったくみんなして……私を無視むししてさ、みんな同じだよ。なんだっけ、五十歩百歩ごじゅっぽひゃっぽ? いや、意味がちょっと違うか……。ずれてんだよなぁ……私、いっつも、ことごとく……。ていうか、もうどれくらい歩いたんだろう、私? もうさ、……こ、腰すら痛いんだけど……。いけんのか私? やれんのか私? おい、やれんのかよ私! はぁ……ひとりでなにやってんだよ私……いま知りました……自分が本物のバカだと……。


 ごめんね、お母さんお父さん。大切に育ててくれてありがとう。でもさ、私もうダメみたい。ゆるしてなんて言わないよ。まっとうな子じゃなかったと思って、忘れてほしい。ほかに、きょうだいがいたらよかったけど。でも、たらればは、どこまでいっても、たらればで。だけどやっぱり思うよ。

 私が、もっとちゃんとした、強い子だったらって。

 お母さんとお父さんが、生きていてくれたらって。

 ほかに、きょうだいがいてくれたらって。


 ひとりっきりの子供なのに、2人のあとを追おうなんてさ。

 絶対に地獄じごく行きだね。だから2人にはもう会えない。

 当たり前だよ、こんな最低な私に、誰も構ってくれるわけないじゃんね。

 振られるのだって、当然だ。当たり前だよ。2人が死んで、2年も経って、いまだに死んだ親のことばっかり話すんだもん。そりゃあさ、うんざりもするよね。

 今思うとさ、重い女って言葉は、彼なりの優しさだったのかなって。さすがに夢みすぎとも思うけど、本当にうしろめたそうな顔だったからなあ。案外あんがい当たってるかもねぇ。


 いくらさ、おそろいが好きだからって。おそろいでくも膜下まっかで死んじゃうなんて、笑えないよ。ほんの少しも笑えない。それも、2人でおんなじ季節きせつのうちに死んじゃうなんて。でもさ、でも、そんなの五十歩百歩ごじゅっぽひゃっぽでさ、2人が死んじゃったのがそもそも悲しくて、そんなのどうでもいいんだよ。なんか泣けてくる、2人がずっと前からいないみたいに思えてさ。このあいだまで、一緒にごはんを食べてたはずなのに。なのに、2人のことを考えてないと、まるで最初からいなかったみたいに思えてくる始末しまつでさ。


 この木、よさそう。すごく立派な木。こんなにひらけた場所にひとりでいるのに、本当に立派。

 カバンから、……バカだよねぇ、山に登るのに手提てさげカバンで来るなんてさ。リュックですよ普通。カバンから出したロープに、ホームセンターのテープがられたままでさ、あのおにいさんのことが頭に浮かんだ。イケメンのね。大事だよね、やっぱり顔は。でも、それよりもさ、よかったって心から思う。最後に見る人の顔が、あんなに優しくてさ。


 店員さんの笑顔なんて薄気味悪うすきみわるいだけだって思ってた、正直。でもたとえ、商売のためでもさ、笑顔には変わりないんだよね。知らない人に笑いかけるだけで、すごいことだよね。幸せなことでさ。私なんか、誰かに優しくしたのが、いつだったのかすら、思い出せないのに。


 あー本当、不器用で嫌になる。っかすらすぐにむすべないなんて……。

 だけど、これで準備完了。あとはえだむすんでぶらがるだけ。

 ぶらがるわけですから、高いところにむすぶ必要があるわけで、おのずと上を向くわけですよ私は。そしたら、いっしゅん、息がまってのどが鳴り、カエルみたいなグエッって音がして、自分自身、驚いた。


 月のない夜だからなのか、それとも山の上だからなのか、葉合はあいからのぞいているのにもかかわらず、……私、初めて見ました、こんな綺麗な星空を。

 それにさ。

 さっきまで、風なんて少しも吹いてなかったのに、こんなに葉がさらさら鳴ってさ。少しも死んでないじゃん、この山。なんだよ、すごい生きてんじゃん。

 今頃になって、遠くでフクロウが鳴いてさ。くそったれだよ。

 こんなの見たらさ、生きたいって思うじゃん。反則だよ、本当。

 思うよ、これを見れるだけで、生きてる価値があるって。本当、くそったれだ。


 ……生きたいけど、……どうだろう、たして下山げざんできるだろうか。

 それが問題じゃ、くそったれがあ!」

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「くそったれがあ!」 倉井さとり @sasugari

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